07年2月11日(日)
昼から犬を連れて中山道歩き。
呂久は立派な家が多い。瑞穂バスのバス停のすぐそばの家の前には、明治天皇御小休憩所という石柱があった。
ここはかつては渡船場で、幕末に公武合体のため有栖川親王との婚約を解消し徳川に嫁いだ和宮が
「おちていく身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」
と読まれた場所でもある。
これを記念して昭和44年に小簾公園が開設されている。
またその横には呂久の渡し跡の看板がある。
かつての揖斐川は今より西に蛇行していたとのこと。それで揖斐川の西にあるのに呂久は瑞穂市なんだ。納得。
ここから少し西南に行き、平野井川を渡り堤防の上に出る。
ここには石柱があり、「右すのまた宿 左木曽路」とかろうじて読める。
ここから堤防沿いに西へ歩き堤防が曲がるところで下へ下り、新しくできた道路の下をくぐり西に行くと岐阜経済大学が見えてくる。
今日はここまで。
昼から犬を連れて中山道歩き。
呂久は立派な家が多い。瑞穂バスのバス停のすぐそばの家の前には、明治天皇御小休憩所という石柱があった。
ここはかつては渡船場で、幕末に公武合体のため有栖川親王との婚約を解消し徳川に嫁いだ和宮が
「おちていく身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」
と読まれた場所でもある。
これを記念して昭和44年に小簾公園が開設されている。
またその横には呂久の渡し跡の看板がある。
かつての揖斐川は今より西に蛇行していたとのこと。それで揖斐川の西にあるのに呂久は瑞穂市なんだ。納得。
ここから少し西南に行き、平野井川を渡り堤防の上に出る。
ここには石柱があり、「右すのまた宿 左木曽路」とかろうじて読める。
ここから堤防沿いに西へ歩き堤防が曲がるところで下へ下り、新しくできた道路の下をくぐり西に行くと岐阜経済大学が見えてくる。
今日はここまで。