10月28日(日)
今日も午後から中山道歩き。
東赤坂駅前を出発。
県道230号を少し西に歩いたところで県道から斜め南に外れる。
旧道らしい田舎道を歩いていくと、大きなイチョウの木に登ってゆさゆさ木をゆすって銀杏を落としている人がいた。下には奥さんらしき人がいて落ちた銀杏をほうきで集めている。たくさんの銀杏をどうするつもりなんだろう。
途中には、一里塚の跡がかろうじて残っている。
また、このあたりは、大理石の産地であり、加工場もある。
やがて、赤坂大橋を渡り、杭瀬川を越える。もっとも大橋というほど橋は大きくはない。
赤坂大橋を越えると両側に家並みが続き、美濃赤坂の街に入っていく。
程なくして、小さな川があり、そのほとりに大きな常夜灯があり、赤坂港跡がある。
ここは公園として整備されており、明治時代に警察の屯所として建設された建物を復元した赤坂港会館がある。
中に入ってみると昔の資料などが展示してあり、ちゃんと管理のおじいさんがいて説明をしてくれる。
それによると、戦国時代ごろまで杭瀬川は揖斐川の本流であった。その後流れが変わり揖斐川の支流となったが水量は多く舟運に利用され、このいったいは赤坂港として、明治の終わりごろから大正にかけては特に栄えた。また、ここは、中仙道と谷汲街道の分岐地という交通の要衝でもあった。
杭瀬川はその後昭和25年の河川改修によって直線になり、赤坂の街より東の現在の流れになった。
お礼を言って出ようとすると記帳を依頼されたので下手な字で記帳してきた。
大阪から東京まで各地から人が来るという。今日の分を見ると名古屋の人が多かった。
その先には本陣跡が公園になっている。
ここからさらに西に行くと谷汲街道との分岐点に矢橋家の広大な住宅がある。国有形文化財建造物だそうだ。
その先に、「五七処」という店がある。
ここは、美濃赤坂が中山道六九次の中の五七次目の宿場町であることにちなんで地元の商店主の人たちが立ち上げたもので、さまざまなお土産を売っている。
店の人に話を聞いてみると、まだ経営的には苦しいが2~3年後には軌道に乗せたいとのことだった。
正直いって色々努力はされているが買いたいと思うものはない。赤坂らしいたとえば大理石をテーマにしたものとか、皇女和宮にちなんだものとか、まだまだ創意の余地はあると思う。今後もがんばってほしい。
揖斐茶を入れたという「五七だんご」と地元の食材にこだわったという「押し寿司」を買って帰った。