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航跡

雑多なこと、あれこれ。気ままに。

信じられないニュース

2007-08-08 | 日記

死んでもかまわない
世の中の役になってない
きたない
犬や猫と同じ存在だ


記事によると彼らはゴミ掃除と称したそうです

ホームレスの人なら火をつけてもかまわないって
犬や猫ならいいって
いったい、彼らはどういう環境に生きてきたのでしょうか?

私もどうでもいいゴミのような者ですが火をつけられた時の恐怖は想像できます

ざっと他の記事をひろってみても
こんな記事
こんな記事


ちなみに画像は近所の公園のものです
とられないように鍵をかけてありました

美しいはずの日本
どこへ行こうとしているのでしょう??

真の方向音痴

2007-07-18 | 日記


迷ってしまった。
近所のはずの場所で。

犬の行きたいように歩いていたら
知ってるはずの近所が
見知らぬ町になった。

興奮と不安で
それでもやはり進んでいく。

日も暮れかかってるのに初めての階段を
下のほうへ下のほうへと
降りていって
ますます見当のつかぬ所へ出てしまった。

本当は知り尽くしているはずのもの
一端それてしまえば知らない世界に変わる。
知っている安心感。
それって単なる思い込みなのかもしれない。


お金の使い方

2007-04-08 | 日記

時間とお金がたっぷりあったら何します?

今gooサイト開いたらTBの練習版テーマが目に飛び込んできました。


宋文州さんが

 「巨額の寄付をした著名な投資家ウォーレン・バフェットさんは、2,3着のスーツしか持っていない」
 
と書いてあったのを読んだことがあります。
かっこいいと思ったので、この部分がしっかり記憶されました。
こういうお金の使い方をするのもいいですね。



年の暮れ

2004-12-28 | 日記

とうとう、スマトラ沖で大きな地震が発生しましたね。
マグニチュード9.2!?
大津波の被害も大きく心傷みます。
10メートルを越すとは、想像すらできません。
人為的な戦争に加えて、地球がわめき立てて何かを訴えているような悲しい自然災害の多かった年でした。
いったいどうなってるのでしょう!
    

「つゆ違はざらむと向かひたらむはただひとりある心ちやせん」

徒然草のフレーズです。
「誰かと対座していても相手の心を害さないようにと気をつかってばかりでは、たった一人いる様な寂しい心持ちがするだろう」というような意味です。
日本人といえばどんな時にもただ謎の微笑を浮かべてるだけと、昔言われていました。
相手と違う意見を持っていても何もいわないでぐっと飲み込んでしまって、にこやかさを保つのが礼儀のひとつだったから。
それも度が過ぎるといやだなあと少なくとも吉田兼好は思っていた。
核家族という言葉が生まれ、あちこちにご近所付き合いを拒否するようなマンションが建ち、気遣いの窮屈さから解き放たれたい人が増えました。
それは、きっと、みんな、どこかで、兼好の言う寂しさを感じていたのだと思う。
最も今は逆の問題が表面化してましたね。
内へ内へと向かって、とうとう自分しか考えられなくなって。
他人を気にすることがあまりになくなって、必要な気遣いも出来ない人が増えてきました。

さて、私はお酒が飲めないというか飲む機会があまりなかった。
女には必要ないといわれて育ってきたから。
で、ノンベ(笑)の南無さんに、まだまだお酒の効用とかわかってないとレスしましたら、お酒は効用で飲むもんではないといわれてしまいました^^;
またまた、やられた(爆)
そうなのよね。
私は、こうした方がいいとか、この意義はとか、いろいろつまらない理屈で行動を飾ってしまって、肝心のことを見えなく動けなくしてしまう癖があるようです。
これは一見違うように見えるけれど、兼好のいらぬ気遣いの寂しさに通じています。
このカラを破れると、新しい自分が生まれてくるような気になってきました。

>ウイスキーはハーパー12年、ウオッカは凍る事のないクレプカヤ、焼酎は二階堂、酒は銀盤てな具合だよ。
(南無さん)

よし!
これ極力何も考えないで飲んでみる!(なんて~^^;)
ビールの苦さもわからないでここまできましたし、素敵な誰かでも出てこない限り無理かもねぇ?

もう2004年もあと少し。
忙しい日が続きます。
とりとめのない呟きになってしまいましたが、皆様、よいお年をお迎え下さい。


生で聞くには・・

2004-11-30 | 日記
先日ライブ久しぶりに聞いてきました。
本当はエ○○ンへ行きたかったのだけれど。
有名なのだけどここは私にはどうも落ち着かないので、専ら食べたり飲んだりしてしまう。

 人工的な青と赤の光の環境で、女は充分にでかい声をさらにいじってでかくする。
 耳をふさぎたくなるけれど、周りのみんなは声もなく懸命に聞いている。
 目の前で消えそうに細いテーブルの灯火さえも、身体をくねらし愛嬌を振りまく。

 これでもかこれでもかといわんばかりに、ドラムが軋んだ耳障りな音を放つ。
 新幹線走る際で飛行場の離着陸で高速道の分離帯で聞く音も、こんな嫌な音だ、きっと。

 少し食べ少し飲みじっと演奏のターンが終わるまで我慢して座っている。

「さあ、これでいよいよ最後の曲になってしまいました」

 苦痛から解放された瞬間。
 思わずみんなと共に拍手していた。

こうした後は特に心が寛ぐために自然の音を渇望しているのを感じます。
「老い去けば秋し悲しきを強めて自ずからを寛うす」
むろんとっくに気づいてはいたのだけれど若者でなくなったということなのだとも感じました。
あ、でも、エ○○ンならどうかなあ?
今度行ってみよう。