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「毒親になるか・ならないかの分かれ道」について、ふと感じた事を書きたいと思います
毒親になるか・ならないかは「暴力や暴言や脅迫などで傷つけた親を、許したかどうか」でも、決まるのではないかと思いました。
●親に対し許した人
「親のした行為は、自分にとって苦しかったけど正しい教育なんだ。自分は親を許さなければならない」
と思った人は、親を肯定しているがゆえに子供へ親のような言動をしてしまう毒親になる可能性があると思います。
または 内に溜め込んでいた親への怒りを持て余し、解消するために子供や無実の他人へフラストレーションをぶつけてしまう可能性もあると思います。
●親に対し許さなかった人
「たとえ親であっても人として許されない行為だ!許さない。自分は味わった苦しみや悲しみは痛いほど分かるから、子供には味わせないようにしよう」
と思った人は、子供や同じ被害者に対して配慮し共感性が持てる人になれるでしょう。
「親を許す行為は心が広く美しい行為」と一見みなされますが、暴力や暴言や脅迫の正当化につながる危険性も秘めています。
そして傷つけられて悲しんだ自分を無視して否定し、一生自分の味方になることなく虐める日々が続いて行くでしょう。
「どんな親であっても神」で「親を許す行為が正しい」と教えられてきた人も多いと思いますが、
私はたとえ親であっても「暴力や暴言や脅迫などの行為」は犯罪と捉え、許さなくて良いと思います。
自分の命と存在の価値を守るためにも
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