感謝する相手は選んでもいいと思います
「他人に感謝をしましょう」と言われています。たとえば親。
- 子供が辛い時に話を聞いて励ましてくれた
- あなたはこんな良い所もあるよと褒めてくれた
- できないことは助けてくれた
- 子供の幸せを願ってくれた
- いつも笑顔を向けてくれた
- 子供の意思や気持ちを尊重してくれた
このような親であれば「今の自分がここまで生きてこれたのは親のお陰」と心から思い、自然と感謝できるでしょう。
しかし…こういう親であればどうでしょうか?
- 子供が辛い時に、平然と無視し いつも自分の好きなことばかりに没頭していた
- 子供が辛い時に、話も聞いても否定するか自身の苦労自慢に話をすり替えた
- お前が辛くてもお前の責任、死のうが生きようが痛くも痒くもないという対応をした
- 一切褒めず見下した、またはマウントした
- 助けを求めても拒絶した
- 子供の幸せよりも、親の幸せを優先し押しつけた
- いつも不機嫌な顔をし睨んだ
- お前のせいで不幸だと不幸の責任を全て押しつけた
- 子供の意思や気持ちを無視し、親の意思や気持ちを押しつけた
そんな親であれば、感謝どころか自然と恨みを感じてしまいますよね…。当然です。
自分中心で好き勝手に生きる・子供を見下しマウンティングし自己を満たす・子供を脅迫や暴力で物のように扱う・子供を親代わりにして依存する親に、無理に感謝をしなくて良いと私は思います。
「子供を愛し幸せを願う良い親」を前提に作られた言葉の呪いに苦しめられている人は、私を含め一定数おり…親から愛されず見捨てられても、親を愛し親の幸せを願い、親を幸せにできない自分に怒りながら罪悪感に苦しみながら、自分の自由や幸せを犠牲にしながら生きてきた人もいると思います。
しかし、もうその言葉の呪いから抜けましょう。自分を幸せにし安心させるために。
たとえ親であっても、自己中な人や冷酷な人や暴力的な人やズルい人には感謝しなくても良い。親は特別な神様ではなく、他の人と同等の人間なのだから。
人として他人から感謝される行いをしているか冷静に考えてみましょう(お店で会社で、そういう人間はどう評価されるか想像)
自然と感謝できる人「愛情がある・優しさがある・良心がある・他人への尊重がきちんとある人」に感謝していきましょう。
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