何の気なしに「氏」の由来を調べてみました。
本当にナニってこともなく ふと思ったら 手がもう検索していたんです(笑
私の「氏」は、珍しいっていうほどではないと思いますが
そんなにお見かけしない名前なので、小さい頃はあんまり好きではありませんでした。
(電話帳見ても3世帯くらいしかなかったし)
実は三国は母方の姓でして、父方の姓は陳。
えぇそうなんです、あたくし台湾と日本のハーフなんです。
5歳の時に帰化しています。
とは言っても、言語は日本語のみ 生まれも育ちもバリバリの道産子です。
今日はなまらシバレてて、手もかじかむっしょや
なんもだ、たいしたことねぇべさ
出かけんならちゃんとじょっぴんかってけぇ
と、綺麗な標準語でお喋ります。
母からは、本州のどこかの侍だか武家の子孫だかが落ち延びてなんちゃらかんちゃらと聞いたことはありましたが
いかんせんはっきりしません。ちなみに本家は鹿部(函館の近く)。
調べてみると、
三国さんは全国に7,000人ほどいて、みきくにさんと読む方もいらっしゃるようです。
ルーツは、どうやらここにあるみたい。
三国国造、三国公、三国君、三国真人、三国宿禰、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)房前子孫などにもみられる。
名字由来netさんより http://myoji-yurai.net/
んで、最初の国造さんを調べてみました。
三国国造 ( 越 )
みくにのくにのみやつこ【国造】
[三国国造 ( 越 )]
三国国造は三国国(現・福井県坂井市・あわら市周辺)を支配したと言われ、国造本紀(先代旧事本紀)によると成務天皇(13代)の時代に宗我(蘇我)臣(そがのおみ)の祖であり武内宿禰(たけうちのすくね)の父又は祖父・彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)の4世孫にあたる若長足尼(わかながのすくね)を国造に定めたことに始まるとされる。国造の世襲は三国君(公)が最有力視されているが、日本書紀では継体天皇の子・椀子皇子(まろこのみこ)が三国公の祖とされている。ちなみにあわら市にある横山古墳群は三国氏族の墳墓と見られている。
日本辞典さんより http://www.nihonjiten.com/data/263259.html
日本酒が飲みたくなるようなお名前ですが...^^;
で、あらま。
以前から親近感を持っていたお名前がちらほらとあるではないですか。
ほぅ、これはどういうことでしょう。
藤原とも関連があるみたいです。
ということは、旧姓に藤がつくうちの奥様とは遠い昔にも近くにいたのかもしれませんな♪
ふふふ(^^)
何が解明されたってわけではないですが、
お風呂に入ったというか
つまってた鼻が通った、みたいなすっきりした心地いい感じが漂っています。
ふと思ったこと
脈略のないこと
これといった結果に繋がらなくても
なんか気になった「それ」は、今必要なことかも知れません(^^)
よかったら、あなたの直感、いかがですか☆
ご先祖様、ありがとう