Lotustyle trust yourself

〜内にあるエネルギーを解放して自分の道を進んでいこう〜

「ペレット」灰から・・・秋田ニュース

2012年03月22日 | ちょいとしつれい

木材加工品「ペレット」灰からセシウム検出、大館市が発表

 秋田県大館市は19日、暖房の燃料に使われる木材加工品「ペレット」の焼却灰から1キログラム当たり1300ベクレルの放射性セシウム137が検出されたと発表した。
 市内の業者がスウェーデン産の赤松を使い製造、販売。137は半減期が30年で、2年のセシウム134は不検出だったことから、市の担当者は東京電力福島第1原発事故の影響とは考えにくいとして「チェルノブイリ原発事故によるものではないか」とみている。
 国の基準では、1キログラム当たり8千ベクレル以下なら通常のゴミと同じように埋め立てが可能。肥料などとして使用する場合の暫定許容値は同400ベクレル。

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/03/20120320t43014.htm

 

チェルノブイリ原子力発電所事故は、

1986年4月26日1時23分(モスクワ時間 ※UTC+3)にソビエト連邦(現:ウクライナ)の

チェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きました。 by wiki


いまから何年前ですか?

1.2.3........26年前ですか。

25年間、なんにも検出されなくていきなりいきなり顕われちゃったんですかね。



Synchronicity シンクロニシティー

2012年03月20日 | Weblog

シンクロニシティ:「意味のある偶然の一致」のことで、日本語訳では「共時性(きょうじせい)」とも言う。 by wiki

共時性:複数の出来事が非因果的に意味的関連を呈して同時に起きる(共起する)こと。 明治大学教授 超心理学講座より

 

友人と呼ばせて頂きたいスピリチュアルの分野では

一歩や二歩どころかずっと先を歩まれている方のブログとかつぶやきに、

今製作中のHPやこないだ変更した自己紹介に書いたのと同じようなことが書かれていらしゃいましたの。

後輩意識があるオイラ、「わっ、真似したって思われる!?」て一瞬。

 

同じように捉えている部分があるので、当然っちゃ当然で、不思議なこともないんだけど。

どっちが先ってことでもないし、ま いっか

それを見て「真似されてますよ!」って言う人がいるかもしれないけど、

まぁ、それもどうでもいっか、って慌てない自分。

前よかずいぶんと落ちついたもんだ

でも、仲良くさせてもらってる方なんで、一応メールしとこ

 

The Police-Synchronicity 1 and 2


なごりというか

2012年03月18日 | LOTUSTYLE DATA

横なぐり状態でときたま下から雪が降ってきています。

4月の頭にもこういう雪が降ることよくありますわね。

そうすると思い出すのがあの歌です。

 

話は変わりますが、

人間て痛みや症状が出てやっと行動に移す。

ふと、そういうふうに。

かくいう私も漏れないわけですが。

私のばやい、歯の土台となっている骨が変(特殊)で

定期的に歯医者さんへ通いお掃除をするのが自分の歯を失わない唯一の方法だそうです。

月1くらいで行くのがベストなのですが、

行かなきゃと思いながら3ヶ月経ってまいました^^;

あー、また痛みださないと行こうとしない。

で、そんな風におもったしだいです。

 

放射性物質は見えません。

少なからず線量の上がった地域で今まで通り普通に生活をしている人であれば、

花粉症が発症するように、じっくりゆっくり蓄積してって定量を超えたある日、

突如として症状が顕われてくるのでしょう。

そうして初めて、ことの事態を理解される。

でも、自分に目を向けていれば、

気のせいかな?と感じる微細な変化に気づけるはずだし、

早いうちから対処もできます。

うちは大丈夫。

よそで起きていること。

幸い北海道は問題ないとされるラインにいますが、

泊が有事になれば札幌は!?

すべてを検査するはずのない瓦礫を!?

後からでは遅いのです。

国はパニックになるのを恐れて事実を公表しなかったのかも知れませんが、

私は大勢の人が被曝するより、真実を公開してもみくちゃになってでも避難した方がいいと思います。

 

以前よりヒーリングを続けようと気持ちが強くなったのは、

その対処となる手段のひとつになると思ったから。

きっと、助けることが出来る。

そう信じてるのです。

 

できることをした上で被曝したなら、

それでも笑って生きてやる。

 

なごり雪 ~かぐや姫


笑える

2012年03月18日 | 灯遙って?

昨日書き出してみた経歴みたいなもの、

思い出をなぞるようで面白くなりエスカレートしてた。

書きながら「これ、自慢になってね?」と思っいたら案の定。

自己満足、独りよがりのようなもんで、笑える。

背景を削除すると、簡素なものになった。

見る側にとってはこれくらいでいいのかもしれない。

またひとつ、いいお勉強をした。

人は、なかなか一人では成長していけるものではない。

コメント頂けるのは本当に有り難いものだ。

 

謝謝(^人^)シェシェニ♪


経歴(か?自慢か?)

2012年03月17日 | 灯遙って?

HP用に書いてみたのです。

 

・経歴・

高校卒業後、定職にも就かずプラプラ。

よく出入りしていた古着屋のオヂサンに「移転するんだけど店長やらない?」とそそのかされて、

右も左も知らない18歳の若造がいきなり Rock Shopの店長をする。

給料は貰えなかったけど、楽しかった。

 

工場や地下鉄工事を経て、ファンシーショップで働く。

アルバイトながら一店舗の雑貨を任され、低価格品としては驚きの売上げをつくる。

一度退社するが一年後に戻り、21歳の頃、4プラB2にあったファッションウオッチ&喫煙具店の店長を任され、

喫煙具販売(小売り)東京以北最高の売上げに貢献する。

 

同フロア・リニューアルの際、時計専門店 click clack 誕生。(名付け親は私)

この店舗で「ポールスミス」の販売を全国で5本の指に、「エンポリオ・アルマーニ」の販売全国2位の実績をあげる。

G-ショックブームでてんやわんやの時もあった。

 

日本が誇る時計メーカー SEIKO が企画した全国の時計店が参加するディスプレイ・コンクールで最優秀賞を頂戴する。

副賞は「プロの指導によるディスプレイの仕方」。意味がわからないので、準優勝の方にお譲りくださいと辞退する。

 

そうこうしているうちに、時計部門総責任者に任命され、ここでの数年間は多くの経験を積ませてもらう。

オリジナル・ウオッチ制作会議の際、なかなか進行しない状況を見た先輩が「オマエが決めれ」と鶴の声を発し、

文字盤デザインの元を発案。

当初、400本の制作予定が、全国ファッション紙が取りあげてくれたおかげでとんでもないことになり、

通販では2ヶ月待ちとなるほど。

新宿に居を構える有名時計店から卸のオファーを頂くまでになった。

(この頃、社長の娘がモーニ○グ娘。一期生でデビューしたため、多少目論みがあったともいえる。)

延べ販売本数1,000本を優に超えた。限定品が限定にならなくなりそうだった。

2作目、3作目も好調。しかし突如、ドラマでも見ているかのような展開があり、3作目納品直前で退社したため遺品となった。

 

メーカーのプッシュのおかげで札幌老舗百貨店時計サロンに入るが、

熱い思いが志となり、無理を承諾して頂き円満退社する。

まもなくラブコールを送り続けた地元の会社に直前でフラレ、

熱い志はその矛先であったon time(主にロフトに入っているウオッチショップ)で披露することとなる。

 

この時、梅田、横浜、渋谷の店舗を数ヶ月経験。

札幌市しか知らないあんちゃんの視野は広がったのは言うまでもないが、同時にどこでもやれる自信を持った。

店長としては戻りたくなかったが有無を言わさず帰札。

低迷に困窮していた札幌店を着任翌月から回復に導く。

初の店長会議ではどんな手品を使ったんだと責められる(笑

 

本社営業部所属を前提に千葉店異動を言い渡される。

 

奇しくも言い渡されているさなかに「母が骨折」と姉から一報が「辞退、そして退社へ。」と決断させた。

 

不毛の期間を過ごし、2007年促されるように Lotustyle を立ち上げ、現在に至る。

ここからがまた長いのである。

 

経歴ってこんなに長く書かねーよな

最後まで読んで頂き、ありがとうございます


子供を守るためには

2012年03月17日 | ちょいとしつれい

子供を産むことができるのは女の人です。

日本人の遺伝子を引き継いていく子供たち、

未来をお願いすることにもなる子供たちを守るには、

世の女性方に、心身ともに元気でいてもらわなくてはなりません。

子供を守るということは、女性を守るということではないでしょうか。

無論、男性も正常な遺伝子が必須ですが。※「正常な」とは「破壊されていない」という意味。

 

北海道の土壌を採取、測定してみると、「きれいだ」と言えるくらい放射線線量は著しく低いようです。

しかし、人工的放射性物質を侮ってはいけません。

だからこそ、わざわざ瓦礫を北海道に持ち込んではいけないし、

わざわざ何の対策もナシに線量の高い地域に行かせてはいけない。

 

そう強く思うのです。

 


kinky

2012年03月16日 | スピリチュアル

ひとりで未知なることをするのは心細く誰かに頼りたくなるものです。

しかし、信念に従い歩みだせば、

目の前にあった巨大な壁は 自分が創りだした幻想だったことを

忘れた頃に気づくのだと思います。

決断をし歩もうとする期は誰しもが一人なのかも知れません。

でも、けして独りではない。

 

Sasquatch music festival 2009 - Guy starts dance party

 

この人は踊ることで表現し楽しんでいたのでしょうね。

あの人楽しそう。

変な人。

よくやるなぁ。

恥ずかしくないのかしら。

一人でやるなんてかっこいい。

見る人によって、種々様々です。

 

RC サクセションが初めて?テレビの音楽番組に出演したした時、

清志郎は真っ赤なスーツに化粧、舞台袖まで飛び跳ねていました。

まだ、Rock'n rollは不良の時代ですから、会場はドン引きです。

小学生だった私は身震いしながら観ていました。

 

この動画のように、

一人の行動が人を惹き付け、共感を呼び、次第に大きなムーブメントとなっていきました。

いつしか彼の姿は見えなくなる程に。

 

みんな楽しくなればいい。

みんな幸せになればいい。

 

kinkiyはカッコいい。


そういえば・・・

2012年03月15日 | ちょいとしつれい

昨年3.11震災直後、

このブログでも必要な情報/活かせる情報をコピペしていて、

その中で、被災地での危険として女性への暴行が挙げられ、

単独での行動や夜一人でのトイレはくれぐれも気をつけるように、

というかヤメましょうという記載がありました。

このブログで?それを読んだ方(たぶん知らない人)から、

非常時に更なる災害や無政府状態(強盗・レ○プ)といった
不安を煽る発言をする事である種の享楽を得る輩が一定数存在します。
阪神淡路大震災の時は、治安悪化はなく、
むしろ諸外国から驚かれる位の秩序を維持していましたよ。
くれぐれもデマに踊らされぬよう落ち着いた行動が第一です。
治安悪化の人災とかデマもいいところ。
助け合いが一番必要な人たちを煽らないで!

とコメントをいただいたことがありました。

 

この時私は、これらを見た人に要らぬ知恵を授けるようになっては不本意だ!と思い削除しましたが、

あれから月日が経つ中で書面やインターネットを通じ阪神淡路大震災の時も含め、

一般には報道されないだけで実際にあった話であることを知りました。

対策としては、一人で行動しないことですが、遠くの親戚より近くの他人と言いますから、

隣近所さんと親しくすることも大事になってくるのではと思います。

被災地でもないのに「水がなくなるかも!?」と誰かが言い出せば、あっという間に買い占めが起こりました。

でも、今大量に水を購入しても「あの人どうしちゃったんだろ」くらいで誰も咎めません。

危険なのは女性に限ったことではありませんが、災害時の身を守る知恵として覚えていて欲しいと願います。

 

そんなことをふと思っていたら、こんな有り難い記事を見つけました。

一度読まれてみてはいかがでしょう。

地震が起こったら、まずこれをしろ!

震度7の真上にいた人間として、どうしても伝えたいことがあります。

http://www.satonao.com/column/variety/jishin.html

 

いつもブログにお付き合いありがとうございます。


ことのながれはというと、

2012年03月14日 | 灯遙って?

古くからこのブログを見てくださっている方はご存知な方も多いかもしれませんが、

わたくしときたら、社会に出てからそこに属していながらも、何かに染まることを嫌って生きてきました。

中か高か、学生だったころから徒党を組むことがどうも苦手で、

そこそこ大人になってからその気持ちがあっても、

ボランティア、NPO、宗教等々いかなる団体にもどうしても身を置けずにいました。

 

若い時こそ、肩書きに憧れた時期もありましたが、

『資格』には興味がなく、実践により技術を身につけ「運」とともに歩んできました。

決して口は達者な方ではない(今でも)のですが、正論を言うもので煙たがれることもしばしば。

出る釘は叩かれ、出すぎた杭は折られ、でも己の信念は曲げられず、現在に至っています。

 

2008年

自分の中で何となんの線が繋がったのか、

「スピリチュアルな生き方をしよう、もうそこにしか道はない」と思ったのが始まり。

そこからの様々なご縁が私の成長を助けてくれました。

 

 

昔、○○という人が○○という光をおろすことができるようになった。

同じ人間だもの、自分にもできるはず。

 

時々こういう逸脱した根拠のない自信を持つことがある私(汗

 

セルフアチューンメントを試してみたり、

書籍やインターネットで学んでみたり、

ヒーリングを受けさせてもらったり、

会話の中からヒントを頂戴したり。

それら経験をもとに試みた結果、

今や独自のスタイルで光を受け取りヒーリングすることができるようになりました。

 

ここに至るまでヒーリングに限らず、とある方とのお話の中で色々なヒントを頂いたおかげがあります。

この方の下で学んではいませんから所謂「師」ではないのですが、

そう言っても過言ではないくらい有り難い存在で、本当に感謝しています。

身を任せてもいい程に信頼できる方は、そういないのではないでしょうか。

安心できるヒーラーをお探しの方はご紹介させて頂きます、ご一報くださいませ。

 

話を戻します。

時はぐんと過ぎ、

昨年(2011年)秋頃から、「ヒーリングをする」というメッセージが続き、

体調の優れない方を見つけてはヒーリングをさせて頂きました。

こちらに来られなかったり、遠方の方には遠隔でさせて頂きました。猫ちゃんにも。

この猫ちゃんの体調は著しくなかったので一度お宅にお伺いした時、

始める前から初対面の私のひざの上でくつろいでいて、動物に好かれた記憶のない私も驚きでした。

年が明けても「ヒーリングをする」というメッセージは頻繁に続いていきました。

 

あるご家庭に、日課のようにさせて頂いていたのですが、

その時刻に出来そうもないときがあって、今日はお休みさせてもらおうと思っていたら、「時間を設定」と浮かびました。

 

んなことしたことないし、やり方なんかしらない。

 

ためしにガイドさんにできんの?って質問したら「できる」って返ってきた。

 

まじで!?

 

思うがままにやってみた翌日確認してみるとちゃんと届いていた。

単純にできてる。

そう確信した瞬間だった。

なおも「ヒーリングをする」というメッセージは続く。

もちろん、自分にもするがそういうことではないようだ。

 

誕生日を迎えるにあたり何方かのセッションを受けようと思ったのだが、

誕生日を一ヶ月を過ぎた頃にやっと実現した。

相変わらず、自分のことに対しては行動が遅い。

チャネリングによるメッセージを頂戴するとすべてが納得できるもので、

それでこうなのか、と苦笑いする部分もあった。

想像すらもしていない存在から守護頂いていたが、

その呼称を単なるキーワードだと思って事前にメモしていた存在で驚きが2倍。

意外なのはもうひとつ、何かを教えていく立場にあるようだった。

教えるものはなんでもいいそうだ。

 

先に記したように、形に拘らず、漠然と右往左往しながら、なんとか自分のスタイルでやってきた私が、

誰に何を教える事ができましょう。

それに、何でもいいと言われるのは、「晩ご飯、何食べたい?」「う~ん、なんでもいい」と同じくらいほんとに困る。

そんなもやもやした幾日が過ぎていく間に、

「まったくこいつはしかたないやつだ」と天が采配してくれたのか、

ヒーリングできるようになりたい人と、それを後押ししてくれる友人の出現だったわけだ。

すんません、ありがとございやす

他にも、自分が経験し学んでいったことを教わりたい人もいるようで、

培ったことがこんな風に役立つのかと人生の面白さを感じている。

 

さて、ここからが問題だ。

アウトプットってやつだ。

 

途中で地震があったものの、

とりあえず今日はこの事と次第を記録したかったようだから、ここまでにしておこう。

そいでは、また。

 

ここまで付き合ってくださって、ありがとうございます。