心身ともに、拘束、縛り、足枷がなく、誰かにコントロールされてもなく、
抑圧や既成概念にとらわれていない。
この状態で豊かな発想とともに、本心からそうしたいと思いとる行動が「自由」。
簡単に言うとこういうことかな。
ボクは型にはまりやすい性質を持っているから、
しがらみや序列がハッキリしていると この「自由」を規制してしまうので、
関わりはもっても属さないようにしています。
「自由」
でも、これをはき違えているのはよく見かけますよね。
自分だって若い頃は「好き勝手に 何をしてもいい」と都合のいいように解釈していました。
自分の道は自分で決めてきたし、
今だから「あの時もっとこうできたな」と思う事があるけど後悔はありません。
その時々の自分なりに責任を感じながら自由にやってきた。
そんな感想です。
「自由と責任」
これは対になっていると思います。
「自由」であることはとても大切ですが、
「自由」を主張するならば「責任」をまとうことが必須。
数年前、私はいきなり中学生の娘の親になりましたが、
もし、自分の自由を奪われんとするがために、娘に関するすべてを放棄してはあまりにも無責任ですよね。
他にたとえば、
お腹がすいたから好きなものを食べた。
好きなものはジャンクフードで喰い散らかしたあとのことは知りません。
これじゃ、家族がいればみんなに対して、自分の体に対しても気遣いがなく身勝手です。
「責任」
ではこれはなんでしょう?
どうすればいいのでしょう。
今日はあえて、疑問を投げかけるかたちで終わりにしちゃいます。