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ロータスブルーム~ふしぎなこと~

不思議なこと、人間関係、明晰夢、開運、直感、ヘミシンク。「本日のラッキーを招く3つのポイント」は翌日分を前日に更新^^

ベティ・シャインさんの娘さんに手紙を書いた話(義父の治療で)

2013年02月06日 | ふしぎなこと
あまりに感動することがあると、海外だろうがなんだろうがファンレターを書いてしまいます。下手くそな英語だったりしますが。返事はハナから期待してません。自分の感動を伝えられればそれで満足なのです。
ですが
返事が来ることもあります。

「ベティ・シャイン」さんの本を読んで、感動したんだけども、
当人はもうお亡くなりになってるので、どうしようかと思っていたら
義父が癌になってしまいました。

私はベティ・シャインさんのHPに、
ヒーリング無料のお知らせがあるのをみました。娘さんが今はやっておられて、
手紙を娘さんに送れば、やっていただけるらしいです。

義父の写真と事情を英語で書いて、送りました。

「神なるジョン」として有名なジョン・デバーニャさんのところにも手紙を書いた。
(ヒーリングは無料だけど薬草が有料。4,5千円だったかな)

末期だったので、義父は助かりませんでしたが
最後までわりと苦しみは少なかったと思います。
ヒーリングが効いたのだと私は思っています。

デバーニャさんのオフィスの人からも、
ベティさんの娘さんからも返事がきました。
ベティさんの娘さんは、かなり後になってからでしたが
私は返信そのものを期待してなかったので、うれしかったです。

その時は東北大震災の直後で、お返事の手紙にはそれに関してのいたわりの言葉がつづられていました。
そして、義父の写真にはちょうちょの手描きのイラストが添えられていました。
義父が、新しい世界へ無事旅立っていけるようにとの祈りが感じられました。



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半年前の夢に思い当たるところあり

2012年05月09日 | ふしぎなこと
三つの建物が並んでいて、私、旦那、長女(社会人)がそれぞれ、その建物の前に一人ずつ立っているという
夢を見たことがあるんですよね。

そのころは、家族同士で、わりと話があって、長時間
「仕事とは何か」とか
「人生、何をするのが幸せか」
とか、
話し込んでいました。

で、「家族は一体!!」って思ってたんですよね。私は。

そういうときに見たんですよね。この夢。(前記事に書いていますが)

建物はそっくりだけど、
別棟として、それぞれ、まったく同じ大きさで建っていました。

そのとき、
「家族は家族だけれども、それぞれ別の人生がある」みたいに解釈したんです。

家族は家族だけど、
家族は自分じゃない。
家族の人生は自分とまったく同じコースはたどらないし、
自分の人生も家族とは別物。
家族は家族ではあるんですけれども、
あまりに「一緒!ぜんぶ同じ!」と思ってしまうと
それは違うよと。そういうふうに解釈してました。

あの夢を見たのは去年の12月ですが、
今(5月)
その夢は予言的な夢だったなぁ。と思います。

旦那は中国に一年の半分、暮らす予定がその夢をみたとき、
すでにありましたが、
今現在、
そこでの生活のペース、仕事仲間を作りつつあり、
そしてそれは、日本での仕事よりも、
本人の気質にフィットしてるみたいなんですね。
つまり、中国があってるんです。旦那は。
もともと、大陸的な気質というか、細かいことを、ぐじょぐじょ言うのが大嫌いだったので、
水があわないとか道路が危ないとか、色々言うわりに
旦那の人生が、あかるくなってきたような気がするんです。

娘は娘で、
あれから、変化があって、いま、わりと大きな会社にいってます。
派遣ですけれども、
そのことが、彼女のこれからの仕事に良い影響があるのは
間違いないです。経理なので、そこで決算もしたし、
そのことは、
夢を見たときの彼女の状態からは、ちょっと、考えられないくらいの進展なのですね。


さて。

そこで私です。

あの夢は
「家族に自分の夢を託してはいけない」というメッセージだったな。と思います。

家族に時間を取られてるとブーブーいいながらも、
では、
その家族がそれぞれ、かんぜんに自足してしまったら、
主婦たる私には、何が残っているのでしょう?

それを、いま、探しているところです。

まあ、家族は家族だし、
そんな大げさな話じゃないかもしれませんが

「私から、家族を取ったら、何が残るんだろう?」ということは
考えますねー

家族といても幸せ。

しかし、家族が外に出かけていても幸せな私になりたいものです。


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旦那が見た不思議な夢(ヒマワリになった義父)

2012年03月05日 | ふしぎなこと
昨年の12/22に旦那が最近見た不思議な夢です。義父の死後、半年くらいだったと思います。

「自分が(義母の家の)作業場で、木工をしていた。
ふと振り向くと、背後に、でかい植木鉢があって、そこから
親父が生えているのよ。
親父がヒマワリになっているのよ。
いや、ヒマワリつか、
ヒマワリの花の部分あるやろ?あそこが親父の顔なんよ。ガキの絵本みたいな感じで
お花さん、とか絵があるやろ?あんなん。
で、胴体がヒマワリつか、葉っぱとか生えてる。植木鉢から親父が生えているわけよ。
そのヒマワリ化した親父が、なんか俺を見て、にこにこ笑っているのよ。もう、ニッコニコ。
俺は驚いたね。で、二階に向かって(義母が住んでいる)おかんに、
「おいっ!出たぞっ!早く見に来い!!」って言ったのよ。そうしているうちに
親父は体を揺らしたかどうかして、
植木鉢が倒れちゃったらしいんだな。で、もがいてるわけよ。植木鉢から出ようとして」

*************************
旦那はあまり夢を見ません。
見ても白黒だそうで、私はオールカラー総天然色です。
だからどっちがえらいかというのではなく、
たぶん、旦那が睡眠が深く私は浅いので、
私の方が、半意識的に、夢に勝手に色をつけている可能性もあります。

見る夢も、あまり波乱万丈な夢は無かったのですが
(会社で、仕事が間に合いそうに無くてとか、そういう感じ)
義父がなくなって、この一年、意味深な夢を時々見るようになってきました。

原因はよくわかりませんが、旦那の大きな変化としては
「実用」のみだったのが、「美」について価値を見出し始めたということです。

これは私にとってはリンゴが天から降ってくるような、非常に驚愕した出来事でした。

旦那は、そうですね、まあー、ものに例えると
「ドリル」とか「チェーンソー」みたいな人です。
鋼のような神経と、毛の生えた心臓をあわせもち、
悲しいだのうれしいだのという単語を聞いたことがありません。
「××の直径は何ミクロン」みたいな単語は良く聞きます。
しかし、情がないわけではなく、
親が経済的に苦しいとき、黙って一か月分のバイト料を渡したという話を
義母から聞いたことがありますが
旦那によれば
「金が無いんだから、渡すしかしょーがないやろ」
ということらしいです。前振りはナシ。いきなり行動。
このへんは私は結構尊敬しています。

前振りが長いですが、まあ、そういう限りなく現実的な人なのだ、ということが
言いたいわけです。
彼は常々
「日本には工学部しか必要ない」
と豪語しており(工学部以外のみなさん、申し訳ありません。私も文学部でしたので
旦那とは何回もモーレツに喧嘩をしました)
工業国家たる日本を愛し、工業製品を作ることを生き甲斐としていたわけで、
数値で測れないものにはまるきり価値を置いていませんでした。

義父は非常に腕のよい職人でした。
仕事が早く、安く、良心的で、あとのメンテとかも快く無料で引き受けて、
「人ばっかり良くて・・・」
とか、旦那は言っていました。

私も義父の仕事はよく知っていますが、義父に関してのイメージは
「早い・うまい・正確」
というもので、実際的な腕が良い、というものでした。

ところが、義父の死後、遺品から、
掛け軸にするであろう書とか、達磨法師というんですか?そんな宗教画とかが
出てきました。
「あー、それ、なんかおとうさんが本とか見ながら書いた」とか義母は言っていました
(義父は中卒)。

しかし、うまいのです。書も絵も。
ただマネして描いただけではなく、何かひきつけられるものがありました。

旦那は木工をはじめた当初、
「早く正確に」作り、で、出来た完成品(行灯)を見て、
「なにか違う・・・」とか言ってました。

「確かにちゃんと出来ている。出来ているが、一体なんだろう???」
と。

私「工作、って感じだよね」
旦那は、うーむと唸り、「そうか、美が足りないのだ」と言っていました。

それから、京都の工芸品などに興味が向いてきました。

あの夢は、丁度、そういう会話をしたころの夢でした。


三ヶ月前の夢の意味わかる

2012年02月23日 | ふしぎなこと
夢日記をつけています。あんまりアゲても面白くないなと思うやつはブログに書いてませんが、ノートを枕元に置いておいて起きたらすぐ書いてます。ほぼ毎日。階下にノート置いたりしてると、歩いてるうちにそれこそ忘れちゃうんですよね。

「木の細工物の意味」という記事を去年の12月3日にアゲてますが

あの意味が今日わかりました。

あれは数式です。

当時は「自分が作っている行灯の木枠を糸ノコで切り装飾してみたらいいかもしれない」
と木工を趣味にしている旦那が
言っていたときだったので
「おねえちゃん(長女)が美術系の学校出ているから、させてみたらどうかな」と思ってたんですが
なんでアルファベット?とは思ったんですよね。
和風照明にアルファベットはどう考えてもあわない。

この夢では木枠の中に最初、子供が遊ぶおもちゃみたいに
ヒヨコとか、かわいいものが色々詰め込まれている、というシーンがまず見え、
そのあと、
そろばんみたいな木枠の中にアルファベットが見えたのです。abcdef.....と、延々横に長いのが
続いてるのです。

そのときは意味がわからなかったけれども、今日しきりと「数学入門」(岩波新書)とか図書館で
借りようかなと思っていたとき(前借りたけど、とっても良かったのでまた借りようかと思っていた)
そのことを思い出した=あれは、あのことだ、と直感しました。
数学は昔から苦手意識を持っていたんで、数年に一回くらい本借りて、しきりに
読んだりはしていたんですが、その夢を見た時期はまるきり興味は薄れている時期でした。

やっぱ夢はそのときへんちくりんでも、つけておいたほうが、あとあと面白くはあります。
・・・しかし、今日もうひとつの可能性を考えました。それは英語です。英語は昔仕事で必要だったのもあって
やってたんで、あの木枠の中のアルファベットが英語のことだと思っても良さそうなものです。
(英語も、その時の自分の興味からは外れていた)
ですが「そろばんに似ている木枠の中」にアルファベットが現れたってことはやはり数式のほうが
自分的にはしっくりきますね。英語はなんか、後付けでつけた理屈っぽい。うむ。

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2/12の夢「電柱にもたれかかるハーフの子供」「国鉄」

2012年02月12日 | ふしぎなこと
つづきです。

ビリケンの夢の前に、こういう夢を見ていました。

電柱に7歳くらいの子供がよりかかっています。(現代の日本らしい)
そこに、18歳くらいの兄がかけよってきて、弟らしい子供の手の甲を見ます。針がつきささっています。
兄は「あいつにやられたんだな」と言います。あいつというのは、母親のことです。
そこに警官が通りかかり、どうしたんですか?と聞きます。兄は警官に母親のことを説明し、
母親は捕まるのでしょう。この2人の子供はハーフでした(母親が日本人)
生活苦から、何か母親は変になってしまったようです。

で、そのあと、さきほど書いたビリケンの夢です。

対照的な母性のあり方を見せられたような気がします。

ビリケンの夢のあと、こういう夢も見ました。

駅。何本も線路が通っていて、東京駅です。
鉄柱がむきだしで、背景も黒っぽく、どうも戦後すぐらしいです。

そこに昔の黒澤映画に出てきたような、サラリーマンというかエリート風の
スーツを着た男性が同僚らしき男と話をしています。戦後ですが、彼らはわりと豊かなようです。
その男性は黒ブチめがねですが、同僚はかけていません。
「国鉄もねぇ、あんな何千円もかけても、うまく民営に移行出来ないんだからねぇ」と
嘲笑した口調で話しています。同僚も笑っています。
で、マッカーサーがどうとかと話が続いたようです。

***********
という、三本立てでした。しかし戦後に民営化の話してる。
現実とはちょっと違いますよね。「何千円」を「大金」と表現しているのも、
当時のレートにあっていて、ほほーと思いました。

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2/8ヘミシンク続き「”俤地義?”って誰や」

2012年02月08日 | ふしぎなこと
今朝のヘミシンクの続きです。漢字が出てきました。
”俤地義?”っていう字です。四文字だったけど?のところの一文字を覚えていません。
「誰やソレ?」と思ったら、前世での自分ぽいです。
グーグルで調べたけど全然わかりませんでした。

ところで、「俤」って字、浅学にして知りませんでした。

なんて字じゃ?と思って調べたら
「おもかげ」という意味で、日本にある漢字なんだそうですが
中国でも「おもかげ」という意味で使われた事があるそうで現代中国では「弟」と同じ意味で
名前にも使われているらしいです。
でもこれ、人の苗字らしいんでどうなんだろ?
ちょっと今から義母を歯医者に連れて行く用事があるんで、またヒマがあったら
調べよう。
でもねぇ時代も何もわかんないから、ほぼ無理だよね~
名も無い庶民だっただろうからね
名前よか、そこで何して何を感じていたかのほうが、役立つとは思うんだけどね~

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フォーカス21/事故死した青年?

2012年01月02日 | ふしぎなこと
昨日あった、不思議な話です。ここのところ、寝る時間が遅くなりがちなので
睡眠不足でした。たぶん。
というのは、あまりダルくもないからです。
昨日は5時間ほどでした。

元旦とは言っても、おねえちゃんは友達の家に大晦日からお泊りですし
息子は義母の家のコタツから出てきません(ドラえもんを読んでいます)。
掃除はすませているし、夕飯は本日に限っては義母任せです。

昼寝のチャンスです。

いつもならば「昼寝?任せとけ!」って感じなのですが
(固い椅子の上でも眠れる)
今日はダメです。どうもここ数日。
そこで、布団で本格的に寝てしまおうとしましたが、ダメ。
眠れないのであれば、
ヘミシンクの「スーパースリープ」を聞いたら少しはすっきりするかと思いましたが、今日はダメ。
久々に「フォーカス21」を聴いてみました。
いつもながら、一回聴いても、なーんにも起こりません。
私はipodの戻りダイヤルをぐるぐる回して、何回も聴くのが普通で
今回もそうやって延々、1時間くらいやってました。
頭は半分寝ていますが、そうやって手をごそごそ動かしても別に平気です。
そうしたら暗闇の中、意識が濃厚になり、濃密な四角い空間が目の前に見え、
次にはもう
自分は道にいます。
意識が濃厚になってきたら、大体シメたもんで、
ほぼ何かはヘミシンクで経験できています。
(ここまでに五年かかっていますが・・・)
道にいる自分の前を、70年代の車が通り過ぎ(ケンメリみたいな)
それに、知り合いが乗っています。助手席に女性が乗っているので
あ、奥さんだなと思って声をかけたら
運転席にいる男性も、助手席にいる女性も私が知っている夫婦とは違う人です。(顔が違う。顔立ちも
はっきりわかる。32,3歳の男女だった)
で、この車がまた発進して少し行って、で、次の瞬間、また私の前に戻ってくるんですよね。
で、顔を見たらまたさっきの違う人なのですが
顔にちょっと火傷の跡があるんです。助手席の彼女も同様です。
さっきはありませんでした。
で、また発進してまた戻ってきた。
そうしたらさっきの火傷の跡が
また少し広がってるみたいなんです(汗
「うーんこれはもしかして・・・」
と思っていると、

フレームだけになったバイクが見えます。真っ黒焦げです、フレームまで。
ケンメリがなんでバイクになったのかは不明です。
なんか怪談みたいな展開になってきたんですが、別に怖いとかそういうのじゃ
無かったです。ただ、あ、人違いして声かけちゃったな、とは思いました。

で、
これはちょっとな、と思った瞬間、
別の、ちょい森みたいなところをもう既に歩いています。

レンガの古い塀が見えます。

そこで、かねがね疑問だったことを考えて見ました。
「人間っていうのは、なぜ何回も生まれてくるのだろう?」
諸説ありますが、私にはせっかく年齢を重ねて経験を積んだのに、
次に生まれてくるとき、あらかた忘れているっていうのは
ムダなような気がしてならないからです。
経験の記憶があれば、しなくてもいい失敗もしないですみます。
学びのためだとか何とかという理由も考えられますが、
例えば、ひどい災難にあった人のニュースとか見ると
とにかく気の毒だという気持ちが先に立ちます。
そんな思いをしてまで学ばないといけないという説そのものに疑問が
わいてきます。

大体、誰が我々をこういう設定にしたのか知りませんが、
痛い思いをして学習させようっていうのが気に入りません。

自分から志願してそうしている、という説もありますが
果たしてそうなんでしょうか。たとえば、子供を亡くすなどのつらい経験をする人は
そこまでして学びたいとか思って、その人生を志願したのでしょうか?
これは絶対ありえないと思うんですが。
運命の設定者がいるとしたら、一回どついてやりたいくらいです。
なぜ人をそういう目に遭わせるんだと。

そうしたら、その回答かどうかわかりませんが、
高度600メートルくらいの上空からの視点に切り替わり、
図書館なのか、国会なのか、広い広場のようなところに
人がぎっちり、無数にいるのが見えました。
そして、聴こえたのは
「日本の例文」
という言葉です。
ここで、トイレに行きたくなり起きてしまいました。
例文?
人の人生は例文なのか?
まさかー。
まあ、いつものことながら、いちいち本気にしてるわけではありませんが
(だからいつまでも私は永遠の初心者なんですが)

つまりは
パターンが無数にあり、そのパターンそのものが人生であるとかいうことでしょうか?
人はパターンを表現しているに過ぎないのでしょうか?
なんかミもフタもない気がしますが。

あと、なんで「日本の」ってついてたんでしょう?
ちなみに、私は霊能者から今まで生まれた地域は色々言われているんで、
特に日本、って言わなくてもいいような気もしますが。

しかし私はパターンなど、ゴメン蒙りたいと思いますが。
やはり運命の設定者に会えたら
「おまえー何考えてんだ、人間はおまえのおもちゃじゃないんだぞ」
と言ってやりたいです。

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托鉢僧の忠告「やりたい事は堂々と」・・・夢の話

2012年01月01日 | ふしぎなこと
明晰夢を見たあと、一度目が覚めまた寝ました。
その夢です。

旦那が非常に綺麗な着物(和風の)を着て、私といっしょに大通りを歩いています。
私はいつものホームセンターで買ったロングコートを着て、フツーの格好です。
銀座の歩行者天国のように広い道路ですが、車は通っています。

旦那の着物は三波春夫のようにド派手な、薄い空色のグラデーションで
すごい格好ですが、その着物を着ていることは旦那は恥ずかしくはないらしいです。
確かに良い布地で、京都の手描き友禅のような高価な着物で、上品です。
(※私の夢は質感までリアル)

歩道で、義妹の夫が、珈琲をふるまっています。彼はそれが長年趣味でしたが、
商売にしたいと思って今頑張っています。
しかし、義妹の夫は道行く人になぜ珈琲をやっているのかと聞かれると
「え?ああ、ハハ、なんか趣味でね」
とか言って、はっきり、コレで食いたいのだと言いません。

それを見やり、私たちはさらに歩いていき、
道端にござを敷いて、座り込みます。
横断歩道を渡りきったところで、道行く人が旦那と私をじろじろと見ます。
旦那はここで、芸を披露するつもりで、我々はここまで歩いてきたのです。
(※旦那の趣味は木工。落語ではない。ただ、和風の行灯の木の仕上げに今非常にこだわっている)
旦那は噺家のように、緊張したおももちでそこに座って黙っています。道行く人。通る車。
着物は非常に綺麗ですが、黙っていては何にもなりません。
そこに托鉢僧が通りかかり、かさを上げ、
「ほう」と旦那を見て、言います。しぶい声です。そして、非常に立派な堂々とした雰囲気で
ただものではない何かを感じさせます。
墨色の地味な着物(托鉢僧スタイル)を着てはいるが、
きっと高位のお坊さんに違いない、と私は思います(夢の中で)。

お坊さんは続けて、旦那にこう言いました。
「何かをやる時は、恥ずかしいと思ってはいけない。自分はこれで一流になるのだとまず心に決め
一流になる前から堂々と行動しなさい。趣味だの何だのと言ってカッコつけてはいけない。人に笑われやしないかとか、恥をかくことを恐れてはいけない」

そこで目が覚めました。
ただの夢にしては、托鉢僧がなんだか良い事言ったので、あげときます。
旦那や義妹の夫に、というより私へのメッセージでしょう。


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久々に明晰夢「鴨居の下は見てはいけない」

2012年01月01日 | ふしぎなこと
ゆうべ久々に明晰夢を見ました。
夢の中で自分の意思でちゃんとこれは夢だとわかってて、行動できるアレです。

前よりちょっと違うのは、まぶたを閉じると、ただの暗闇ではなくて
すぐに何か見えることです。でもまあ夜だから暗いことは暗いんですけどね目を閉じてたって。
灯りをつけていない倉庫を夜に覗きに行くと、置いてあるものが月明かりに照らされてぼーっと見えますよね、
あんな感じで目を閉じても何か色々ある、みたいな感じで、で、それをじっと見ていると
明晰夢が始まっているという感じですというか明晰夢にダイブするという感じです。

ここんところ、目を閉じると何かあるなとは思うんですが、
いつもはそのまま深く眠っちゃうんですよね。昨日は大晦日で直前まで親戚とバタバタしてたんで
脳が興奮気味だったのか、うまく出来ました。

港を歩いてました。コンクリで、二メートルくらいの幅ですぐ堤防が見えます。
せっかくだから、ちょっと飛んでみっかと思って飛ぶと、その港の下の海が、
数百メートル下(爆)
波間に漂っている舟が超ちっこく見えます(汗

夢でもちゃんと高低差ってのを体感してて、ジェットコースターが落ちる瞬間みたいなヤな体感があるんですよね。
で、海に落ちましたわ。落ちるとやっぱり色々見えるんですけど
浮いたら、周りに若い人たちが海水浴していてこちらを見ている。海は深い青緑色ですごく綺麗です。

海の家に行ったら、東南アジアの高床式住居みたいなやつで、リゾートぽい小屋で、その中になぜか
義母が太陽の光とは反対方向を向いて(つまり暗いほうを向いて)いる。
「お義母さん、外に出ないんですか?」と私が聞いたら、しっしっという感じで手を振り「私は外には出ないよ。
それより、鴨居の下は絶対見ちゃいけないよ!」
と言いました。
そうかーと思って鴨居の下は見ませんでしたが、夢の中で私は鴨居を軒下と勘違いしてたんですが
鴨居って家にあるじゃん。で、義母が座っていた場所ってまさに部屋と部屋の間(仕切り)で
鴨居の下なんですよね。
どういう意味だろ?つまり自分を見んなという意味でしょうか。
実際の義母とはいちおう別物に考えては居ますが。

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旦那の夢☆亡くなった親戚の宴会

2012年01月01日 | ふしぎなこと
旦那の夢の話です。
旦那が車で、父方の実家へ行くと(現在空き家)
そこに、大勢の親戚が集まって、なごやかに話をしているのだそうです。
そして中にどうやらもうお亡くなりになった叔父や、おととし亡くなった義父もいて
話をしている。
「あれ、なんで親父や、あの叔父さんがいるんだ?」と
旦那は不思議に思っていると、脇から別の親類のおじさんが
「ありゃ幽霊だ。退治しないと!」と言って来ます。
旦那「いや~、退治までしなくても・・・」
おじさん「何言ってるんだ、さあ、道具を用意して退治するぞ!」
と話がゴーストバスターズのようになってしまい、仕方なくそのおじさんたちと
道具を取りに行く途中で、
「水道管からミミズが大量に発生した!」という知らせが来て、
おじさんたちは「大変だ!そっちを退治しよう!」と言い出し現場へ向かうと
水道管の継ぎ目から大量のミミズがうじゃうじゃ!
旦那「退治しても退治しても、次から次へと湧いてくるのよ・・・」

以上、旦那の夢でした☆

そのあと、義母の家へ行き、おいしい雑煮と黒豆(丹波の黒豆~♪)をたらふく食べました。
私は
「久々に明晰夢「鴨居の下は見てはいけない」 」
の夢の内容を義母に話しました。

私「ところで、鴨居って家のどこになるんでしたっけ?」

weblio辞書によると建築用語で、
「 障子・襖(ふすま)などの建具をはめる開口部の上に渡す溝付きの横木。」
とあるので、やっぱ、あの夢で義母が座っていた場所の真上が鴨居です。
で、見上げると先祖代々の額縁入り写真がずらりと。

「地震があったら、これらが落ちてくるかもしんないから、
鴨居の下ではとりあえず寝ないで下さい」
と言って置きました。ま、もちろんただの夢ではありますが
私が鴨居ってどこだかもわかってないのに、夢では正解の場所に義母が座っていたのは
面白いなと思いました。

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