悪夢を見続けた数日後、
フランスのいとこのまさかの死
その後向こうに飛んだり…と色々ありました。
更に
日本に帰って来てたった数日後に、向こうでお世話になっていたおじさん(親戚でない)も突然死したとかで。
人の死ってある日突然、ほんとに予想もしない形で起きるんですね。
あの悪夢は何かを意味していたのか…
あれから三ヶ月経って、あの頃よりは自分も落ち着いたかなと思っているのに、
時々どうしようもなく悲しくてなってしまい
涙が止まらない時がやっぱりあって、何だこれ、全然癒えてないじゃないか…と。
これはもう仕方ないかなって考えています。
一人でいる時くらい泣きたい時は我慢せず泣くっきゃない(^▽^)
自分の思っていることとか、文章にしたらちょっとは気持ちも落ちつくかな…なんて
何回もブログを書こうとしたけど、その度になーんか書く気になれなかったね。。。
今でも、こんなこと書かない方がいいんじゃないかとか考えている。
いとこの事が起こる前から、将来への不安とか自分の不甲斐無さとかで毎日悶々してさ、
神経すり減らしてたから(たぶん傍から見たらかなりお気楽人間に見えるのだろうけど。笑) 、
余計にダメージもでかいんですよね。
今でもこれは考えてはいけないことだと自分自身に言い聞かせてはいるんだけど、
才能も社会的ステータスもあり(自分の特性を生かした仕事をして、しかも成功している)
信頼出来るパートナーもいて、幼い子供もいる…家族の心配もいらない(年末の事件はあったが、各自十分な暮らしをしている)、
素敵な友人達、仕事仲間、人脈もあるし、いくらでも明るい未来があったはずなのに…
その人がこの世から去ってしまって。
何事も中途半端で自分自身をしっかり生きてる実感もイマイチないし、
特に誇れるようなこともなく、周りに迷惑ばかり掛けている自分がのうのうと生きてることに
嫌気がさす時あるんですよね。。。
すっごい悲観的になってるみたいだけど、ただ冷静に、今の私つまんない奴だなって。
一生懸命生きてないんですよ。
いとこにはいとこにしか分からない苦しみが勿論あったんだと思います。
過ぎたことは仕方ないし比べたところでどうしようもないし、
私は私なのだから、生きてる限り最後まで私なりにでも何とか生きていくのがベストなんでしょうけど。
たださ、仕事決まってなくて良かったなぁ…って、あの時は心底思ったな。
普通に働いてたら急に休みなんて取れないでしょう?一週間も二週間も。
親の死でもそんな長く休めない世の中なのに、いとこの死で、しかも海外なのでしばらく行ってきますって…
通用しないでしょ?
行けてなかったら絶対後悔してたと思います。
あれだけどこか見つけないと!って焦ってたのに、どこも見つからなかったおかげで
葬儀に参加出来ることになったっていうのがまた何とも言えないんですけどね。
育った環境も違うし、数年に一回のペースしか会えてなかったけど、
私、いとこのことすごく好きだったんですよ、昔から。
わざわざ言う必要もないですけど(笑)
自分より年が上だったのもあるけど、
いつでも私の上をいってる人だったので(絵の才能とかも)憧れもあったかな。
向こうに住むおばちゃんから久々にメールがきて、いとこと、いとこの息子(まだ2歳)の写真が数枚載ってたのね。
うわーまた大きくなってる!可愛い~~!!とか家族と言いながらそれを見て。
その日夕方から家には私一人で、そーだ!あのメール、返信しないと!と思って文字を打ってたら
突然電話があって、出たらおばちゃんが切れ切れの声で、いとこが死んだって言うもんだから
意味が分からなくて、なんで? の次に 分かった しか言えなかったよな。
言葉なんてそんなもの出てこないんですよ、ショックで。
こんなことある?ってあの時思ったなー。
さっきあんなメール見たばかりやん、しかも今から返信しようとしてたのにって。
結局それの返信は一生しないまま。
晩になって再びおばちゃんからメールがきて、一行で短く書かれた文(いとこの死因)を読んで
もうやるせないというか、嗚咽するしかなかったですね。
何で何で!?…の繰り返しです。それは今も変わらないですね。受け入れようとはしていますが。
その日の晩は結局一睡も出来ず、次の日家族に自分の口から言うのも辛かったです。
その日から不眠症になってしまい…
フランスに行って帰ってきた後もしばらくソレで悩まされました。
不思議と向こうにいてた時は眠れてたんですけどね。
すぐに葬儀が出来なかったので、おばちゃんちの掃除をしたり~
起こったことが嘘のように…平和に過ごした日も続きました。
いとこは今もパリで生きているんじゃないかって、そう思えてくるんですよね。
葬儀はパリと、実家がある南フランスの両方でしました。
南の葬儀は飛行機の都合で参加出来なくて残念だったなぁ。全然予定が分からなかったもんね、仕方ない。
パリの葬儀には何百という人がきてくれて…
2011年に会ったいとこの友人達とも再会しました。こんな形で再会したくなかったけどね。
パートナーのガブリエルにもハグをして…
いっぱい言いたい、聞きたい事あったんですけど、私、フランス語だけでなく英語すらろくに喋れないし
彼が一番辛いと思うので、何も言えませんでした。
初めて会った、いとこの息子は…もうほんと、写真で見る以上に可愛くて!
深めのグレーブルーだった瞳の色は光の加減で黒っぽく見えました。
遠い親戚の、知らない日本人の私に、野菜チップスをくれて、まぁ隣に座りなよ!と手でポンポンして
小さいイスに一緒に座らせてくれました(笑)
こんな機会とはいえ、もう一人のいとこ(兄)の現彼女に初めて会えたことも嬉しかったです。
教会で牧師さんが長々と喋ってたことは全く分からなかったけど…
ガブリエルのお母さんが歌った聖歌がとってもキレイで、
いとこの友人達が結成したバンドが歌ったハレルヤが心に響きました。
後で聞いたのですが、あれは本人たちの希望で行われた特例だったとのことです。
南に戻ってからは、パリで皆から頂いたたくさんの花束を
いとこの親友と一緒に試行錯誤しながら生け直しました。
ガブリエルがこっちに着いてからは大部分がやり直されたけどね(笑)←職業柄こだわるので
・・・とまぁ、書けばどんどん長くなるのでこの辺で一旦切ります。
いとこ達のこととか思い出とか、今までも時たま出してたけど、改めてまた書けたらいいな~