南三陸町 posted by (C)pochi
今日で東日本大震災から一年と九ヶ月が経ちました。
南三陸町の防災庁舎から見えていた志津川病院も、サンポートも、解体されて無くなってしまい、震災破棄物を積んだ大型トラックの間を冷たい風だけが吹き抜けて行きます。
南三陸町 posted by (C)pochi
南三陸町 posted by (C)pochi
ここに電車が走らなくなってもう一年九ヶ月。
津波が破壊していった線路とトンネル、削り取られた山肌はあの日のままです。
戸倉 posted by (C)pochi
少しづつ養殖いかだも戻ってきた志津川湾。
先日の津波に流される事なく無事だったと聞いてはおりましたが、実際目にすると安堵します。
南三陸町 posted by (C)pochi
青い空より青い、志津川ブルーの穏やかな冬の海。
南三陸町 posted by (C)pochi
しかし、あの日の痕跡は消えることなく残っているのです。
南三陸町 posted by (C)pochi
南三陸町 posted by (C)pochi
南三陸町 posted by (C)pochi
破壊された防潮堤は今も土嚢で仮復旧。
この状態で津波警報が発令されてこの場に居たとしたら、どれほど恐ろしいか・・・。
南三陸町 posted by (C)pochi
防災庁舎前の本吉街道(国道398号線)は震災以来地盤沈下で海抜0m。
満潮時には道路が海水で冠水してしまいます。
南三陸町 posted by (C)pochi
防災庁舎前の池には小魚が生息して、ここもすっかり海水の池となってしまいました。
南三陸町 posted by (C)pochi
14時46分を迎える前には町を見下ろす高台にある志津川中学校の仮設住宅にお邪魔を致しました。
南三陸町 posted by (C)pochi
二次避難所となった鳴子温泉で知り合った南三陸の方々と“お茶っこ飲み”
南三陸町 posted by (C)pochi
津波から辛くも逃げ延びたおかあちゃんから『まだまだ地震来るから、油断しんすなよ』と念を押されました。
土煙を立てて迫り来る津波に追われ、裸足で山を駆け上がり助かった方の言葉は重い。