異端の左派が集うスレ
http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1158779844/
129 :無名の共和国人民 :06/09/26 05:37:36
☆(略)
日本の左翼でソ連追従した連中なんて、
代々木・反代々木問わず
昔からほとんどいないにもかかわらず、
現在の左翼に責任をとらせようとするあなたはウヨと同じで有害だ。
☆(略)
反JSF勢が「モスボール」にこだわるように、
私はRough Toneさん(seguiさん、Andante氏、昭和左翼氏、らふさん)
の上記の発言にどこまでもどこまでも粘着していきます。
一つの大きな違いとしては、「モスボール」に関してJSF氏が過ちを認めているのに対し、
Rough Toneさんはあくまでもほっかむりをし続け
「左翼」の過ちを問う者を「異端・ウヨ」呼ばわりしつづけている点ですね。
さてそんな中、宮地健一氏のページにすばらしい記事が載りました。
モスコウとつながる日本共産党の歴史
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/kazama.htm
それによると、
「第6回大会に参加した日本支部幹部たちは、単一国際共産党の鉄の規律の下で、
無条件で諸決定・指令に服従した」
「日本支部の人事に関する決定権も、ソ連共産党が握っていた事実がある」
「1922年日本支部創立から、袴田里見逮捕による党中央崩壊の1935年までの
14年間における日本支部党財政は、
ほとんどをコミンテルンに依存し、路線・方針の隷従だけでなく、
党財政面でも隷従していた」
「風間が言うように、主たる費用は、コミンテルンからの交付金で賄われた。
責任者たる市川(正一)が明確に述べているように、
費用の大部分が(殆んど全部と云ってよい程)モスコウから来ていた」
「例えば、市川はロシアからの帰途、上海に寄り、
ヤンソンから五百円を活動資金として受取って居る。
それ以後は東京で支那人李某と連絡して金を受取っていた」
「27年テーゼの中に、統一戦線戦術で、
社会民主主義政党・運動を排除、攻撃するというセクト主義があった。
日本支部はそれを教条的に実践した」
(コミンテルンの指示の下)「1932年、総同盟、全労、海員組合など9団体、28万人が、
反ファシズムをスローガンとして結成した日本労働組合会議をも「主要敵」として攻撃した」
片山潜の鍋山貞親への忠告「君、トロツキーは今排斥されているんだから、気を付け給えよ。
モスコウというところは、冷いところだよ。
いけない、となったら徹底的にやって容赦しないんだからね」
☆表題の風間丈吉氏は1925年にソ連入りして共産主義を学び、
帰国して日本共産党を再建し、中央委員長となった人物です。
1932年に逮捕され、33年に「転向」して共産党から離れました。
それにしても「自国の共産主義運動の歴史」という「左翼」にとってもっとも貴重な財産であるはずのものを、
きちんと総括できない、「ソ連に隷従した左翼なんてほとんどいないんだよバーヤ」と言いながら、
「靖国」では中国共産党の主張を垂れ流し、「32年テーゼ」をそのまま引っ張って天皇制廃止を叫ぶも
「ウヨ」がやってくると「今はその時期ではない」と言って自分のホームグランドで口をつぐんでしまう
Rough Toneさんとは一体いかなる「左翼」なのでしょうか。
過ちも多かったとはいえ、本物の官憲の弾圧とコミンテルンの圧力のはざまで
おのれの信ずる「大義」のために全力で闘った戦前の「左翼」は、
このRough Toneさんの姿に何を感じることでありましょうか。
http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1158779844/
129 :無名の共和国人民 :06/09/26 05:37:36
☆(略)
日本の左翼でソ連追従した連中なんて、
代々木・反代々木問わず
昔からほとんどいないにもかかわらず、
現在の左翼に責任をとらせようとするあなたはウヨと同じで有害だ。
☆(略)
反JSF勢が「モスボール」にこだわるように、
私はRough Toneさん(seguiさん、Andante氏、昭和左翼氏、らふさん)
の上記の発言にどこまでもどこまでも粘着していきます。
一つの大きな違いとしては、「モスボール」に関してJSF氏が過ちを認めているのに対し、
Rough Toneさんはあくまでもほっかむりをし続け
「左翼」の過ちを問う者を「異端・ウヨ」呼ばわりしつづけている点ですね。
さてそんな中、宮地健一氏のページにすばらしい記事が載りました。
モスコウとつながる日本共産党の歴史
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/kazama.htm
それによると、
「第6回大会に参加した日本支部幹部たちは、単一国際共産党の鉄の規律の下で、
無条件で諸決定・指令に服従した」
「日本支部の人事に関する決定権も、ソ連共産党が握っていた事実がある」
「1922年日本支部創立から、袴田里見逮捕による党中央崩壊の1935年までの
14年間における日本支部党財政は、
ほとんどをコミンテルンに依存し、路線・方針の隷従だけでなく、
党財政面でも隷従していた」
「風間が言うように、主たる費用は、コミンテルンからの交付金で賄われた。
責任者たる市川(正一)が明確に述べているように、
費用の大部分が(殆んど全部と云ってよい程)モスコウから来ていた」
「例えば、市川はロシアからの帰途、上海に寄り、
ヤンソンから五百円を活動資金として受取って居る。
それ以後は東京で支那人李某と連絡して金を受取っていた」
「27年テーゼの中に、統一戦線戦術で、
社会民主主義政党・運動を排除、攻撃するというセクト主義があった。
日本支部はそれを教条的に実践した」
(コミンテルンの指示の下)「1932年、総同盟、全労、海員組合など9団体、28万人が、
反ファシズムをスローガンとして結成した日本労働組合会議をも「主要敵」として攻撃した」
片山潜の鍋山貞親への忠告「君、トロツキーは今排斥されているんだから、気を付け給えよ。
モスコウというところは、冷いところだよ。
いけない、となったら徹底的にやって容赦しないんだからね」
☆表題の風間丈吉氏は1925年にソ連入りして共産主義を学び、
帰国して日本共産党を再建し、中央委員長となった人物です。
1932年に逮捕され、33年に「転向」して共産党から離れました。
それにしても「自国の共産主義運動の歴史」という「左翼」にとってもっとも貴重な財産であるはずのものを、
きちんと総括できない、「ソ連に隷従した左翼なんてほとんどいないんだよバーヤ」と言いながら、
「靖国」では中国共産党の主張を垂れ流し、「32年テーゼ」をそのまま引っ張って天皇制廃止を叫ぶも
「ウヨ」がやってくると「今はその時期ではない」と言って自分のホームグランドで口をつぐんでしまう
Rough Toneさんとは一体いかなる「左翼」なのでしょうか。
過ちも多かったとはいえ、本物の官憲の弾圧とコミンテルンの圧力のはざまで
おのれの信ずる「大義」のために全力で闘った戦前の「左翼」は、
このRough Toneさんの姿に何を感じることでありましょうか。
このエントリーとは関係ないですが、
上戸師匠改め上戸神の偉業にいつになくテンションが上がっています!
オルタナ的には「上戸さんをねたんでヘイトしている」とか解釈するのでしょうが。