本記事感想ネタバレm(_ _)m
11本目は『レオナルド・ダ・ヴィンチ・コード』(88分)
いきなり 人差し指で天を指すポーズをとった男性が素っ裸で映ります。
彼はどうやら屋敷の中で絵のモデルになっているらしい。
そして、カメラがひくとあご髭フサフサの老人が…
そう、本作品はダ・ヴィンチの生涯を追った再現ドラマタッチの歴史ドキュメンタリーなのです。
したがって、“ダ・ヴィンチ コード”の是非については一切触れることナシ!
ちょっとホノボノした雰囲気に包まれた88分でした☆
(ここから本編)
レオナルド ダ・ヴィンチは画家兼発明家兼エンジニア兼建築家兼科学者兼数学者兼音楽家兼デザイナー兼作家で、世界一有名な左利きのベジタリアンである。
ダ・ヴィンチの絵画は20歳代(1470年代)のものがほとんど。
ルネッサンスは15世紀末から16世紀初頭に起こったムーブメントであり、ダ・ヴィンチはルネッサンスの父と呼ばれている。
彼が“父”と呼ばれたのは生涯成長し続けたからである。
特に絵画の新しい技法を編み出すことに熱心で、中でもスフマートという影をぼかす手法はあらゆる光を再現する効果があり現代まで受け継がれている。
1482年 ダ・ヴィンチはミラノ公 ルドヴィゴ・スフォルツァに軍事技術者として自分を売り込んだ。
この頃に代表作『岩窟の聖母』『最後の晩餐』を描いている。
1490年から1495年にかけ“絵日記”をつけはじめる…これがいわゆるダ・ヴィンチの手稿と呼ばれているもので、内容は絵画 建築 機械工学 人体解剖学の4分野にまたがる。
独特の“鏡像筆記”(鏡文字)で記されており、約7000頁にわたる。現存するものはその約1/4である。
中には飛行機 パラシュート 戦車 車 潜水艦の原形となるイラストも描かれていた。
また、この頃死体30体を解剖しスケッチを残している。
ルドヴィゴ・スフォルツァの失脚後、かつて枢機卿を務めたノトーリアス・チェザーレ・ボルジアの軍事技術顧問になる。
この頃、一回りほど年齢の違うミケランジェロとはライバル関係になる。
16世紀、ダ・ヴィンチは建築と数学に没頭した。
1516年に『燃える鏡』という 船のロープを燃やす兵器を造っている時、仕事が嫌になった鏡職人がダ・ヴィンチの人体解剖を密告、フランスへと渡る。
フランスでは王様の教育顧問として厚遇される。
1517年病により右半身が麻痺するが、その後も熱心に活動する…
ややまったりした空気の作品でしたが、良くまとまっていました。
おすすめです!
今回は、本作品で紹介された様々な名言とともにお別れでーす
※“いかに生きるべきか学んでいたつもりが、実際には いかに死ぬべきかを学んでいた。”
※“この世には優れた芸術作品があふれている。作品を通し新たな世界を見る面白さにひかれ生涯を費やす作家や収集家や批評家がいる。中でも心を打つ作品は どこが違うのだろうか?”
※青年時代のうちに老年の欠乏を補うに足るものを蓄えておけ。理解しておくといい。老年は食物として知恵を必要とすると。そして若いうちに老いても栄養不足にならぬよう努力せよ。
※“科学は将校であり、実践は兵である。”
※“芸術の科学、科学の芸術を学べ。”
※“五感を研ぎ澄まし、特に視覚を鍛えよ。”
※“すべてが連動していることに気付くのだ。”
※“鏡は女王を映して得意げだったが、女王が鏡の前を立ち去ると たちまち希望を失う。”
※(劇中のやりとり)
『ご友人のミケランジェロも?』
『私の前で奴の名を出すなと言っただろう!』
『彼ならモデルに果物をくれたはずだ』
『果物さえあれば、君の腹と舌は黙るのか?』
『ええ』
『では好きなだけ取れ!』
以上でーす。また次回
11本目は『レオナルド・ダ・ヴィンチ・コード』(88分)
いきなり 人差し指で天を指すポーズをとった男性が素っ裸で映ります。
彼はどうやら屋敷の中で絵のモデルになっているらしい。
そして、カメラがひくとあご髭フサフサの老人が…
そう、本作品はダ・ヴィンチの生涯を追った再現ドラマタッチの歴史ドキュメンタリーなのです。
したがって、“ダ・ヴィンチ コード”の是非については一切触れることナシ!
ちょっとホノボノした雰囲気に包まれた88分でした☆
(ここから本編)
レオナルド ダ・ヴィンチは画家兼発明家兼エンジニア兼建築家兼科学者兼数学者兼音楽家兼デザイナー兼作家で、世界一有名な左利きのベジタリアンである。
ダ・ヴィンチの絵画は20歳代(1470年代)のものがほとんど。
ルネッサンスは15世紀末から16世紀初頭に起こったムーブメントであり、ダ・ヴィンチはルネッサンスの父と呼ばれている。
彼が“父”と呼ばれたのは生涯成長し続けたからである。
特に絵画の新しい技法を編み出すことに熱心で、中でもスフマートという影をぼかす手法はあらゆる光を再現する効果があり現代まで受け継がれている。
1482年 ダ・ヴィンチはミラノ公 ルドヴィゴ・スフォルツァに軍事技術者として自分を売り込んだ。
この頃に代表作『岩窟の聖母』『最後の晩餐』を描いている。
1490年から1495年にかけ“絵日記”をつけはじめる…これがいわゆるダ・ヴィンチの手稿と呼ばれているもので、内容は絵画 建築 機械工学 人体解剖学の4分野にまたがる。
独特の“鏡像筆記”(鏡文字)で記されており、約7000頁にわたる。現存するものはその約1/4である。
中には飛行機 パラシュート 戦車 車 潜水艦の原形となるイラストも描かれていた。
また、この頃死体30体を解剖しスケッチを残している。
ルドヴィゴ・スフォルツァの失脚後、かつて枢機卿を務めたノトーリアス・チェザーレ・ボルジアの軍事技術顧問になる。
この頃、一回りほど年齢の違うミケランジェロとはライバル関係になる。
16世紀、ダ・ヴィンチは建築と数学に没頭した。
1516年に『燃える鏡』という 船のロープを燃やす兵器を造っている時、仕事が嫌になった鏡職人がダ・ヴィンチの人体解剖を密告、フランスへと渡る。
フランスでは王様の教育顧問として厚遇される。
1517年病により右半身が麻痺するが、その後も熱心に活動する…
ややまったりした空気の作品でしたが、良くまとまっていました。
おすすめです!
今回は、本作品で紹介された様々な名言とともにお別れでーす
※“いかに生きるべきか学んでいたつもりが、実際には いかに死ぬべきかを学んでいた。”
※“この世には優れた芸術作品があふれている。作品を通し新たな世界を見る面白さにひかれ生涯を費やす作家や収集家や批評家がいる。中でも心を打つ作品は どこが違うのだろうか?”
※青年時代のうちに老年の欠乏を補うに足るものを蓄えておけ。理解しておくといい。老年は食物として知恵を必要とすると。そして若いうちに老いても栄養不足にならぬよう努力せよ。
※“科学は将校であり、実践は兵である。”
※“芸術の科学、科学の芸術を学べ。”
※“五感を研ぎ澄まし、特に視覚を鍛えよ。”
※“すべてが連動していることに気付くのだ。”
※“鏡は女王を映して得意げだったが、女王が鏡の前を立ち去ると たちまち希望を失う。”
※(劇中のやりとり)
『ご友人のミケランジェロも?』
『私の前で奴の名を出すなと言っただろう!』
『彼ならモデルに果物をくれたはずだ』
『果物さえあれば、君の腹と舌は黙るのか?』
『ええ』
『では好きなだけ取れ!』
以上でーす。また次回
