
ある日突然、母が作る盆汁が食べたくなった。
お盆はとうに過ぎてはいたけど、無性にあの盆汁が食べたくなって帰る事にした。
母が作る盆汁が、伊勢のオリジナルかどうかは今もわからない。
母は伊勢の人なのでたぶんそうなのだろうけど、お婆さんは土路の人だと聞いているから実は、宮川の向こう側のものか
もしれない。しかし、それほど離れてはいないので、伊勢の盆汁といっても差し支えないだろう。
家に着くと開口一番
<盆汁が食べたい!>と訴えた。
母は少し驚いた風だったが、仕方ないなあと言いながらうれしそうでもあった。
実際にはもう何十年も作り続けているので、寝てても作れてしまうほどなのだ。
僕の土産話を聞きながら、いつの間にか緑豆の皮を剥いている。
ほんとうにいったいいつどこで用意したのかわからないけど、準備は着々と進んでいるのだった。
これに、改めて驚く。
こうやって写メを見ると、元祖具だくさんなのであるが、多すぎて見分けがつかない。
里芋、茄子、緑豆?、油揚げ、大根、さやえんどう、、、、ほかにも入ってそうだが。
うーんいつもの盆汁。
ああ、やっぱりおふくろの味はこれだーっと満足して写メを撮る。
<写真撮っとるわ、へんやわ>
と、母はおかしがったがこれは重要な記録である。
ありがとう、おかあさん。
その人がどこの出かによって、料理や、味は決まる。
伊勢の場合、志摩の出身だと絶対それがはっきり出ると思う。
学生の頃、磯部町(たぶん)の磯和君の家では、てこね寿司がお客様へのおもてなしだった。
もちろん、最高に美味しかったのは言うまでもない。
伊勢市内ではありえない。
母もてこね寿司は作るが、なぜか礒部のおばさんのてこね寿司は抜群だった。
そうかというと、僕の父方の祖母の実家は桑名で、そこのおばあさんが作ってくれる、小魚の甘露煮やかつおの佃煮は、
三越や高島屋で売っているどれよりも、間違いなく美味しかった。不思議なくらいそのおばあさんが作る佃煮は絶品だっ
た。それはやはり桑名なのだった。
高校生の分際で僕は母に、この味をなんとか伝承すべきだと訴えたが、叶わずおばあさんは亡くなり、味も途絶えた。
とても悔しい思いだった。
伊勢、礒部、桑名だけでもこのくらい違うのだった。
先日、僕はハナマサでかつおの半身を買い、桑名風に挑戦した。
母に味付けを聞き出して、やってはみたもののしょっぱいだけの佃煮ができただけである。
東京で作る、桑名風かつおの佃煮は、できやしなかった。
おそらく、母の作る盆汁も誰にもできはしないのだろうな。