日赤は正面から見ると、それは立派な建築だった。
楕円を半分に切って、かぶせたような正面玄関。そこに車寄せの大きなスロープが左右に回っていた。
本当に正面から見ると左右対称なのだった。
まじめになんで残さなかったのか残念でならない。こういう所にも日本人の建築物に対する畏敬の念のなさを感じる。
向かって左側から回り込むと、今の夜間出入り口あたりに巨大な楕円の鳥かごみたいな檻があって、そこに一匹の猿がいた。
痩せた大人の猿は、幼稚園児のボクが近くに寄っても、いつも無視していた。えさを欲しがることもなく、檻の柵をせわしなく登ったり降りたりした。
怖くはなかったけど、逆に興味も沸かず。いつもちら見して通り過ぎる。それは子供心に近くに寄ってはいけないもの、触れてはいけないのだと悟っていた。
その猿は、何もペットとして飼われていた訳ではなく、あくまで実験用動物なのだったと思う。
なぜかというとその檻の並びには、木造の小屋が連なり、羊、犬、猫などがたくさん飼われていたからだ。
その周りをウロウロとバッタ探して歩き回っていたのだから、恐ろしいことだった。今じゃあり得ない。
あの動物たちはどんな実験のために使われたのだろうか?
その猿も、理由ははっきりしないけど、翌年にはいなくなった。
そしてそれきり、檻に動物が入ることはなかったように記憶している。
楕円を半分に切って、かぶせたような正面玄関。そこに車寄せの大きなスロープが左右に回っていた。
本当に正面から見ると左右対称なのだった。
まじめになんで残さなかったのか残念でならない。こういう所にも日本人の建築物に対する畏敬の念のなさを感じる。
向かって左側から回り込むと、今の夜間出入り口あたりに巨大な楕円の鳥かごみたいな檻があって、そこに一匹の猿がいた。
痩せた大人の猿は、幼稚園児のボクが近くに寄っても、いつも無視していた。えさを欲しがることもなく、檻の柵をせわしなく登ったり降りたりした。
怖くはなかったけど、逆に興味も沸かず。いつもちら見して通り過ぎる。それは子供心に近くに寄ってはいけないもの、触れてはいけないのだと悟っていた。
その猿は、何もペットとして飼われていた訳ではなく、あくまで実験用動物なのだったと思う。
なぜかというとその檻の並びには、木造の小屋が連なり、羊、犬、猫などがたくさん飼われていたからだ。
その周りをウロウロとバッタ探して歩き回っていたのだから、恐ろしいことだった。今じゃあり得ない。
あの動物たちはどんな実験のために使われたのだろうか?
その猿も、理由ははっきりしないけど、翌年にはいなくなった。
そしてそれきり、檻に動物が入ることはなかったように記憶している。