大学生のころ中国に語学留学をしたことがあります。私の在学していた大学が、上海にある復旦大学という学校と姉妹校の提携をしていたらしく、私の指導教官であった中国人の先生に引率されて私の学部から、私を含めたおよそ30名が復旦大学に赴くことになりました。まぁたったの1カ月でしたので、それほどたいした語学力向上は望めませんでしたけれど。。。
・・・その1カ月の間は、現地の大学の授業だけではなく、そこの大学の日本語学科の学生たちとの交流もすることができました。驚いたのは、彼らは一度に日本に滞在したことがないにもかかわらず、おそろしく流暢な日本語を話すことができる、という事実に直面したことです。復旦大学が中国のなかでもレベルの高い学生が集まる大学であったという事情もあるのでしょうが、どうもそれだけではない気がします。なんというか、彼らのエリート意識とでも言うのでしょうか、あるいは発展途上国特有の、猛烈な向学心がそうさせているのか。。。大学なんて正直遊ぶところだと思っている私のような日本人には、とても大きなカルチャーショックを感じさせる出来事でした。
・・・日本からはるばる上海に中国語を学びに来た私たち約30名が、カタコトの中国語しか操れなかったのに対し、中国語の日本語学科の学生がかなり流暢に日本語を話せていたこと。これはどうしてか、という疑問は、長い間私の心にぼんやりと存在していました。それから何年か経過し、2月24日に紹介した本を読んだとき、この疑問を考えるにあたって参考になりそうな文章に接することができました。ちょっと長いですが、以下に紹介しますね。
何年か前、私の大学の同僚の一人に、中年の中国婦人がいました。(中略)この人が私の書いた言語学の本を読んで、そこに扱われているような問題を、現代中国語の場合と比較研究してみたいと申し出られたことがあります。それではと私が参考になりそうな英語の文献をあれこれと挙げたところ、彼女は英語が殆ど読めないというのです。そこで私が、それでは学校で何語を勉強したのですかと尋ねたところ、ロシア語を外国語として学んだことが分かりました。中国とソ連の関係が蜜月の関係にあったころ、中国ではロシア語の学習が盛んだったのです。
私もロシア語は多少できますから、それではロシア語の文献や実例を使って研究を助けてあげましょうということになり、いろいろとロシアの作家や小説などについて話を始めると、どうもこの人はロシア文学もロシアの事情もさっぱり知らないようなのです。私は不思議に思って、ロシア語を学んだと言われたけれども、一体どんなことを勉強されたのですかと聞いてびっくりしました。学んだことの殆どは、ロシアやソ連の文学、社会、歴史といった相手国についてではなく、驚いたことに自分の国、つまり中国のことをロシア語で勉強していたのです。
教科書は『毛沢東語録』のロシア語版が中心で、その他には、人工衛星から肉眼で見える地球上最大の建造物は万里の長城だとか、中国の国土の広さ豊かさ、歴史の古さといった、要するに中国はいかに偉大で素晴らしい国かといった事柄が、ロシア語学習の教材として取り上げられていて、肝心のロシアについては、殆ど何も学んでいなかったのです。(鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』28~29pより引用)
・・・なるほど、確かに中国では、愛国者を育てるための教育が施されている、という話はマスコミなどでいろいろ喧伝されています。中国人が外国語を学ぶための目的も、実は外国の歴史や文化を知るためということが第一義なのではなく、自国の歴史や文化を外国に知らしめるために行われているのだ、という事実があったことをあらためて知りました。学生時代に接した復旦大学の日本人学生が、流暢な日本語を操ることができた理由は、自国のすばらしさを日本人に教え込むためという目的によって日本語の勉強をしていたためかもしれない、という思いを強くしたのでした。
・・・これまで日本人が外国語を学んできた理由としては、海外の進んだ技術や思想や文化を取り入れることで、自分たちの国を進歩させようとしたためでした。この学習方法はある程度うまくいき、やがては小さな島国ながら世界第二位とも言われる経済大国となることができました(今では世界第二位という地位もだいぶアヤシくなってきましたけれども・・^^;) しかし中国の例を見ていると、日本も外国の文物を学ぶための学習だけではなく、日本のすばらしさを世界に広めるための外国語学習を、進めていくべきなのではないでしょうか。。。(←このあたり、鈴木孝夫先生の主張の受け売りみたいな感じになってしまってますね^^;)
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・・・その1カ月の間は、現地の大学の授業だけではなく、そこの大学の日本語学科の学生たちとの交流もすることができました。驚いたのは、彼らは一度に日本に滞在したことがないにもかかわらず、おそろしく流暢な日本語を話すことができる、という事実に直面したことです。復旦大学が中国のなかでもレベルの高い学生が集まる大学であったという事情もあるのでしょうが、どうもそれだけではない気がします。なんというか、彼らのエリート意識とでも言うのでしょうか、あるいは発展途上国特有の、猛烈な向学心がそうさせているのか。。。大学なんて正直遊ぶところだと思っている私のような日本人には、とても大きなカルチャーショックを感じさせる出来事でした。
・・・日本からはるばる上海に中国語を学びに来た私たち約30名が、カタコトの中国語しか操れなかったのに対し、中国語の日本語学科の学生がかなり流暢に日本語を話せていたこと。これはどうしてか、という疑問は、長い間私の心にぼんやりと存在していました。それから何年か経過し、2月24日に紹介した本を読んだとき、この疑問を考えるにあたって参考になりそうな文章に接することができました。ちょっと長いですが、以下に紹介しますね。
何年か前、私の大学の同僚の一人に、中年の中国婦人がいました。(中略)この人が私の書いた言語学の本を読んで、そこに扱われているような問題を、現代中国語の場合と比較研究してみたいと申し出られたことがあります。それではと私が参考になりそうな英語の文献をあれこれと挙げたところ、彼女は英語が殆ど読めないというのです。そこで私が、それでは学校で何語を勉強したのですかと尋ねたところ、ロシア語を外国語として学んだことが分かりました。中国とソ連の関係が蜜月の関係にあったころ、中国ではロシア語の学習が盛んだったのです。
私もロシア語は多少できますから、それではロシア語の文献や実例を使って研究を助けてあげましょうということになり、いろいろとロシアの作家や小説などについて話を始めると、どうもこの人はロシア文学もロシアの事情もさっぱり知らないようなのです。私は不思議に思って、ロシア語を学んだと言われたけれども、一体どんなことを勉強されたのですかと聞いてびっくりしました。学んだことの殆どは、ロシアやソ連の文学、社会、歴史といった相手国についてではなく、驚いたことに自分の国、つまり中国のことをロシア語で勉強していたのです。
教科書は『毛沢東語録』のロシア語版が中心で、その他には、人工衛星から肉眼で見える地球上最大の建造物は万里の長城だとか、中国の国土の広さ豊かさ、歴史の古さといった、要するに中国はいかに偉大で素晴らしい国かといった事柄が、ロシア語学習の教材として取り上げられていて、肝心のロシアについては、殆ど何も学んでいなかったのです。(鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』28~29pより引用)
・・・なるほど、確かに中国では、愛国者を育てるための教育が施されている、という話はマスコミなどでいろいろ喧伝されています。中国人が外国語を学ぶための目的も、実は外国の歴史や文化を知るためということが第一義なのではなく、自国の歴史や文化を外国に知らしめるために行われているのだ、という事実があったことをあらためて知りました。学生時代に接した復旦大学の日本人学生が、流暢な日本語を操ることができた理由は、自国のすばらしさを日本人に教え込むためという目的によって日本語の勉強をしていたためかもしれない、という思いを強くしたのでした。
・・・これまで日本人が外国語を学んできた理由としては、海外の進んだ技術や思想や文化を取り入れることで、自分たちの国を進歩させようとしたためでした。この学習方法はある程度うまくいき、やがては小さな島国ながら世界第二位とも言われる経済大国となることができました(今では世界第二位という地位もだいぶアヤシくなってきましたけれども・・^^;) しかし中国の例を見ていると、日本も外国の文物を学ぶための学習だけではなく、日本のすばらしさを世界に広めるための外国語学習を、進めていくべきなのではないでしょうか。。。(←このあたり、鈴木孝夫先生の主張の受け売りみたいな感じになってしまってますね^^;)
