S.

たいせつなことを忘れないために。

「Social Construction of the Self」

2010-02-15 20:05:40 | Weblog
茂木けんいちろう先生の講演を聴いてきました。

先生は
PCのキーを叩くのも勢いがあって
たまにひざをまげて
弾む感じ

でも
パンツのポケットには穴があいていて
カーディガンのボタンは欠けてました。

見られる事を意識しないで
自己を形成しているわけですね


それに対して
女性は
自分がどのように見られているかを知っていて
意識して
それを含めて自己を形成している
ときに浮かれ
ときに哀しい性なのだそうです。

映画「エレファントマン」に話は及び
モデルとなった
メリック青年の骨格標本を購入しようとしたのが
マイケル・ジャクソンであること。

そこにあらわれる
「見られる人間」の精神世界にもふれていました。

先生はマイケル・ジャクソンのことを
見られる喜び・哀しみ両方をしっている人間だったと。


自分がどのような姿か
知って生きているのは
人間だけ。


有名なGallapのミラーテストでわかるように
カササギやアジアゾウ、イルカ、ゴリラのように
鏡の中のイメージが自分だとわかる動物は他にもいるけれど

でも
それが自己形成になんら影響を及ぼすわけではないから。


だから
女性は化粧をするのです。
それは
「社会的自己」をつくるため。

「すっぴんを『自分の顔』だとは認めない。
化粧をしている顔が『自分の顔』です。」

おっしゃったのは
林まりこさんだとか


見られることがお仕事で
毎日
鏡の前で化粧をする「えび様」の色気を
先生は
「歌舞伎役者の宿命」とおっしゃっていたような・・・。

ここで
「えび様」が登場するとは!
「ほんとにいい男だよ!by先生」

けれど
『美』は
「平均値」なので
絶対的なものではなく
それでいて
「ひとを黙らせる、支配する『力』」だと。

そして
それは弱いものが身に付けている。
とも。


みなが集まる「平均値」に群がらなくても
自分の「美」を選択するという人生もあるとおっしゃっていたのは
印象的でした。

そこで
紹介されたのが
オスカー・ワイルドですね。

先生のはなしは
思いもよらないところへ波及して
それが
ツボばかり


オスカー・ワイルドが
時代の寵児で
さんざんもてはやされた挙句
同性愛の罪で投獄され
「獄中記」をのこしたのは有名ですが

それによって

「彼は人生を省みることができ
 幸せについて悟ることが出来たのです(by先生)」


平均値を選ばなくても
幸せであるためには
「孤独」に耐えること。

そういう道もあると。

かいつまんで記録したけれど
その後の質問コーナーでも
質問がおわらず
大盛り上がりでした


大学内の講演は無料のものが多いですよね。
また
先生のTwitterとかチェックして
講演を聴きに行きたいです


質問コーナーでの
「どうすればもてますか?」に対する回答。
「プラトンの『恋愛論』」が引用されたジェンダー論。
「なぜ男性はゲイを排除してしまうのか」などなど
楽しいお話は
また
残したいと思います

茂木先生
今日はありがとうござました


追伸:

写真は今日
講演に遅れる~と
駅の構内を爆走して飛び込んだ電車に
息をきらして
追いかけてきてくれた女性が
ひろって届けてくださった手袋です

彼女のこと
好きになってしまうかと思いました

右手の手袋。
もう離れないでね





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