c'est joli ここちよく たのしく すこやかに・・・

庭で育てた草花と描く情景画
les couleur
高折みゆき

11月19日 牡牛座満月 月蝕

2021年11月21日 12時39分51秒 | 自分軸を整える


blogを書くのが遅くなってしまいましたが、
11月19日 牡牛座で満月を迎えましたね。

この日の満月は、部分月食とはいえ、ほぼ皆既月食と言っても良いほどの98%ほどの月蝕を伴い、天気のよかった日なので、夜空を見上げて、変化していく月の様子をゆっくりと感じられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この満月は、前回起きました蠍座の新月をワンセットではありますが、同時に約半年前に起きた月食からの変化を見つめるにもとても良い機会だったかと思います。

かなり強い影響力をもった月食満月でしたので、数日前から、さまざまな影響が出ていた方も多いのではないでしょうか。

わたくしごとですが、秋の3つの展覧会が終わって、気持ちが解放されたせいか、それまで感じないようにしていた心身の疲れが、どっと出てきた感じがありました。
気が張っている間は、感じないようにしている、心とからだの疲れ・・・安心したことで、待っていたかのように、思い出したかのようにでてくる疲れ・・・そんな疲れがあったのか、この1週間ほどは、眠っても眠っても眠っても・・・眠い・・・といっても、そんなに眠っていないので、ただの睡眠不足の感もありますが・・・

あとは、10代半ばで、突然逝ってしまった父のことが強く思い出されました。
10代半ば・・・ある意味いちばん多感な頃に、朝元気だった父が、その数時間後に、突然逝ってしまった・・・
とても悲しく、信じがたい出来事・・・10代半ばのわたしは、反抗期にはいろうとしていたこともあって、そのやり場を失ってしまったように思います。
悲しくて、寂しくて、辛くて、なにより信じられなくて、そんな自分が受け入れがたい突然の出来事のなかで、次第に、父のことは好きでなかったと思おうと思ってしまったように思います。
そんなに好きでなかったから、逝ってしまっても、そんなに悲しいことではない・・・
そんな悲しいまでに驚くようなそんな選択を、心にしてしまったように思います
そうすることでしか、その信じがたい現実のなかで、生きていくことができなかったのかもしれません。
いま思うと、あまりにも、悲しく切ない選択でしたが、それでも、当時のわたしには、不器用ながらも、そうすることでしか、納得ができなかったのかもしれません。できるだけ生きやすくするためには、大切で大好きだった父が逝ってしまったかと思うよりも、そう思うことでしか、受け入れられなかったのかもしれません。

その想いは、とても強いものでしたので、気がつくと、次第にそれが真実かのように塗り替えられてしまったように思います。
父は、わたしたち家族を置いて、突然先に逝ってしまって、ほんとうに無責任で、身勝手で、傲慢な人だった。とてもひどい人だった、わたしのことなど愛してくれていなかったのだと、思うようになっていきました。
想いの力というのは、とても強いものですね。
気が付くと、そちらが真実になってしまっていたかのように思います。
亡くなった父に、一線を引いたような気持で、それからの人生を歩んだように思います。
いなくても、普通に、それ以上に生きていくことができる・・・
そんな風に自分を奮い立たせて生きたのかもしれません。

でも、それは、あたり前なのですが、間違っていました。
やはり、どこかで、バランスを崩してしまっていたのだと思います。
今年、実家の整理をしていた際に、父の持ち物がいくつかでてきて、ふと1つの時計に目がとまりました。
なぜだか、とても気になって、手巻きだった時計を、時計店にもっていき、整備してもらうことにしました。 
その時計店で、女性がつけてもよい大きさで、せっかくだから、まだまだ使えるので、ぜひ使ってあげてくださいと言われて、わたしのしている時計を外して、その時計を腕につけてくださいました。
帰り父の時計を身に着けて、チチチチッと時を刻む音をきいていると、自然と涙があふれてきました。なぜだか、父の想いのようなものが溢れてきて、わたしたち家族と一緒に、どんなにか一緒に居たかったか・・・そして、一緒に時を刻みたかったか・・・
そんなあたたかい想いが、わたしのなかに、まるで父が同調したかのように、一体化したかのように感じたのです。

父はわたしたち家族と一緒に過ごしたかった。
やむを得ず、先に逝くことになったことが、どれほど無念で不本意だったか・・・
そして、父と過ごしたたくさんの思い出が思い出されていきました。
父に、わたしは愛されていた
それなのに、わたしは、亡くなった父に対して、ずっと反抗期をしていたかのように、心のどこかで、責めて拒否しつづけたような時間を過ごしてしまった。
そのことが、父には、どれほど寂しいことだったか、どれほど、辛いことだったかと、やっとやっと気がつきました。
ほんとうは、ずっと心のどこかで、気がついてきたのかもしれません。
それでも、その古い想いが、いつしかわたしのなかで、信念のようになってしまっていて、どうしても、どうしても、そのことを手放せなかった。

それでも、やっと気づくことができたように思います。
そして、わたしは父が大好きだったこと、父がたくさんの愛情を注いでいてくれたことを
ようやく受け入れることができたように思います。

わたしが風邪をひいたときに、深夜に車を走らせて、好きなフルーツを買ってきてくれたこと
わたしが大切にしていた小鳥がいなくなってしまったときにも、みゆきが元気になったから、役目を終えて飛んで行ったんだよと言ってくれたこと
夜に、ライトアップされたお城の近くをドライブに連れていってくれたこと・・・
わたしが、クラスメートにケガをさせられたときに、相手の親に毅然と抗議してくれたこと・・・
忙しいなかで、学芸会のときに、お洒落して見にきてくれたこと・・・

不器用な愛し方だったかもしれない・・・それでも、ほんとうにほんとうに、愛してくれていた・・・それなのに・・・それなのに・・・
こんなにも長く、心のなかで、なかったことにして、拒否しつづけてしまった・・・
ほんとうにごめんなさい、お父さん、ほんとうにほんとうにごめんなさい
そして、ちゃんと愛されていた  ほんとうにほんとうにありがとう

そんな想いがようやく堰を切ったように、あふれてきて、涙が止まりませんでした。
満月前日、旅先の川辺で、そんなことをずっと感じて、ずっと泣いていました

すると、自然に、これまで起きたことが思い出されてきて、いかに自分がバランスを崩してしまっていたか・・・父に愛されていなかったと思うことで、バランスを取っていたようで、かなり崩してしまっていた・・・それが結局母との関係性にも影響を与えていたし、それ以外の人間関係にも及んでいたように気が付きはじめました
さまざまな出来事にも自然と意識が向いていきました

たくさん、たくさん泣いたせいか、とてもすっきりとして、全部が川に流れていったように思います。 あたらしい人生を歩むにあたって、きっと古い思い込みを、どうしても手放さなくてはいけなかったのだと、そのための旅行だったのだと気が付きました。

ふと、座っている場所の目の前の川を見ると、ちょうど境目のところだったのです。
ゆったりとした流れから、一段段差を超えると、一気に流れがはやくなる・・・そんな場所の前に座っていたのです。

そのことにもなぜだか意味があるように感じました。
ステージが変わる・・・
いままでのことも、いままでの経験も、これまでの人生には、大切で、かけがえのないものだったかもしれない・・・
それでも、あたらしいステージへと変わるとき、おおきなチェンジが起きるとき、もう手放して、ほんとうの自分に戻る必要があったのだと教えてくれているかのようでした。

そんな風に思っていると、木の葉が、ゆらゆらと流れてきました。
段差を超える手前で、ゆらゆらしていましたが、段差を超えて、一気に流れていきました。
きっとステージが変わる前では、不安も躊躇もあるかもしれないですが、それでも、まだ見ぬ新しい世界の素晴らしさもあるかもしれない
そんなことを、教えてくれたかのような出来事でした

とてもすっきりとした気持ちです
そして、ようやくそのことも、受け入れることができたかのように思います

その後、ゆっくりと眺めた景色は、先ほどまでの景色と変わらないはずなのに、一層輝いているかのようでした。

あたらしい日々、あたらしい人生で、きっとこれからもいろいろなことが起きるでしょう
順境もあれば、逆境もある・・・それでも、これまでの人生がそうであったように、すべては大いなるなにかに導かれているのかもしれません
生まれる前に書いてきたかもしれない人生という物語に、既に描かれているのかもしれません
そうであるならば、そのことを信頼して、人生を思うように生きればいいのです
そのことをただ信じて、しっかりと生きていけばいいのだと、不思議と心から感じることができました

わたしの話がとても長くなってしまいましたが、今回の満月の影響力の大きさを実感した出来事だったので、とても個人的な話しですが、書かせていただきました。

すべては、何かしら導かれていると思います。
望む場合も、望まないできごとも、すべては、なにか意味があるのかもしれません。
そのときに、どう解釈していくかで、人生は、大きく変わる気がします。
すべては、自分のなかに、答えがあるのかもしれません。 そして、その人にとって、最善のタイミングで、その答えに導かれるようにできているように思います。

今回の満月は、サビアンシンボルは、成熟したロマンスで求められた女だそうです。
別の言い方をすれば、さまざまな人生の変化を受けた女性が、本来の自分自身の魅力をだしていくことで、あたらな愛だったり、チャンスを受けとれるという意味でもあります。

そのために、今回の満月は、月と太陽を調停する角度に冥王星が位置していたこともあって、
根本的な変容が求められ、ほんとうの自分自身に戻ること、ほんとうの望みに気づくこと、
そして、そのことを、しっかりと受け入れて、たとえ一人であっても、それをやりきるという、強い覚悟をもつことで、ほんらいのあなたらしさが出てくる・・・そしてそのことで、結果さまざまな恩恵が入る・・・そんなことを意味しているようです。

また、月食は、古い自分像を脱ぎ捨てるということがテーマにもなり、
今回、土星とカイロンが60度で、これまでの葛藤や、試練をしっかりと受け入れてきた方々にとって、過去の傷をいやすカイロンが60度なので、
過去のことも、すべては意味があって、そのことはそのことで、自分を創るためには、大切な出来事だったという、おおきな癒しも起きています

過去の歩みを認め、そしてそのうえで、過去の自分を超えていく・・・
そんな満月月食だったかとおもいます

今回の満月は、2022年を大きく左右する、大切なタイミングだったかと思います。
2020年、2021年と、激動の2年が間もなく終わります。
これからが、あたらしい時代の本番です。
あなたが、あなたらしく、きらきらと輝く人生の物語を創造しいくことを心が祈っています。

私事の話がとても長くなり、全体的に長文になりましたが、もしも最後までお読みいただけたなら、心から感謝いたします。




最良のカウンセラーは自分自身

2021年08月11日 06時45分17秒 | 自分軸を整える


つよい光を放ちながら
すべてをつよいつよいその光で
朝陽いろに染めていくように
すべてをつつみこむように
ときにつよく
ときにどこまでも優しく

あたらしい1日を迎え、
きょうからまた世界にたった1つのあたらしい瞬間が
はじまろうとしていますね

なんだかいい日になりそう
なんだか楽しいことが起きそう
きっと今日も笑顔の1日なる・・・
そんなことを感じて朝目覚められたら良いですね

1日のはじまりは、とてもたいせつな時間
忙しさのなかで、つい時間にながされてしまいそうですが、
朝、いちばんにどんなことを感じて
どんなことを考えたか・・・
それが、じつは、きょうという大切な1日を大きく左右しているかもしれない
そんな風にすこしでも感じていただけると、
きっときょうというたった1つの今、たった1つの1日が
きらきらと輝きを放つかもしれないですね

ライオンズゲート・・・
わたしは詳しくはわかりませんが、
強烈なパワーを放っていたように感じます
一旦明日で閉じるそうですが、エネルギーあたりのようなすごいパワーを感じざるを得ない
そんな日々だったように思います

自分自身の生き方や、あり方そのものを問われるような日々でもあったように思うので、いいようなない息苦しさを感じた方も多かったのではないのでしょうか
わたし自身も、ある特定のこだわりや、あなたや周囲の人を縛っている考え癖、生き方癖のようなものと、しっかり向き合い、この際手放しなさいと即されていたように感じ、真摯に見つめなおしたりする一方で、あまりに深刻になると疲れるので、逆に自分につっこみいれたりしながら面白がったりして、楽しんでいました。以前はかなり深刻に受けとめていたのですが、深刻になるだけなったら、一旦離れてしまって、客観的にみつめて、笑い飛ばしてしまったほうが、なんだかすっきり早く変化するように最近は感じています。

少し話はずれますが・・・
最近満月新月時にブログを書いていますが、満月新月の度に、変化しなきゃいけないような気に急かされてしまいそうなので、書いていて申し訳ないのですが、そんなことは決してないのですが、昨年12月にグレコンが起きてからは、どうしてもそうした宇宙の意図のようなものを、さらりとどこかで感じて生きた方が、逆に生きやすくなられる方もいらっしゃるように感じていることもあって、書いています。

新月・満月だけでなく、スピリチュアルな世界でも、ここ数年何度もアセンションという言葉が使われていて、結局いつだっていいんじゃないの・・・と冷めた気持ちになられる方も多いのではと感じてしまいます。

わたし自身、よくスピリチュアル系の方と思われるようなのですが・・・
実際絵描きさんや、ものづくりしている方々は、いろんなことが見える方は多いです。
わたし自身も、幼少期から、見えないものが見えたり、(霊的なものはいまだに一切見えませんが・・・)未来だったり過去だったり、その人に必要なメッセージが降りてきたり、声に出していない声に、うなずいたり、返事したり、お天気をあてたり、変えたり(変えたように感じていただけだと思いますが・・・💦)どちらかというと、その系は感じる方だと思いますが、スピリチュアルなことって、誰にでも自然に備わっていて、ただ感覚として忘れてしまっているか、鈍感になっているだけで、誰にでもあるものだと思うので、これからはさらに皆さん普通に、このあたりの感覚が、自然に研ぎ澄まされていくように思うので、これといって、特殊なものでもなんでもないかなって思っています。

さらにさらに話は横道にそれますが、
スピリチュアルブームがあった時、(女性はみんな好きですよね・・・)そういう方にみていただいたことも何度かありましたが、いまのわたしは、どちらかというと、あまり意識していないです。

例えばそういう方に、お話したその時は、なるほどと、膝を打って納得していたりするのですが、過去生やインナーチャイルド的なことにあまりに拘り過ぎると、現実の今というたいせつな瞬間からずれてしまうように感じています。もしもどうしても気になるようなら、ある程度やったら、OK! 的な軽さがあってもいいのかなって、ここ最近は感じています。
過去を生きるために、今生生まれてきたわけではないと思ってしまうので・・・
それよりも、今ここにある目の前にある幸せを感じたいし、創りたいと、心から感じます。

それに、わたしの場合はですが、人生を左右するような悩みを一大決心して相談すると、だいたい、その道でも有名な相手の方は外されてきたという歴史があるからかもしれません。(むしろそういう仕事でない友人の方が、かなり的確に答えてくれることが多かったように思います。)

相手がその道で有名だったり、すごいと言われていらっしゃる方程、なぜかそういう傾向にあった気がします。 その回答を聞いて、違和感を感じて、もやもやする・・・
次第に、それは間違っているし、信じないとつよく思い、かえって反発して、覚悟ができる・・・
そんな感じの流れになることが多いので、もう大切なことほど、聞いても仕方ないなって思うようになってしまったというのが理由の1つかなと思います。

そもそも、そういう方に人生の一大事を委ねるわたし自身が間違っていたのでしょうね。
すでに、自分自身が、人生を創りだしているし、創ることができるということを放棄している状態に入ってしまっているからこそ、深刻に悩んでしまっていたのでしょうね・・・

おそらく、わたし(わたしの魂だったり、高次のわたし)は、人生の一大事であればあるほど、それを他の誰かに委ねたり、決めてもらうような生き方をしたくなくて、そういう方にあえて逆を言わせてしまうように、オーラなどを操作しているのかもしれないとさえ、思ったことがあります。 
相手が大きな存在であればあるほど、それを言われたわたしのショックも大きく、そのショックをばねにさらに燃え上がるというか・・・自分で変えてやる的な強い意志を芽生えさせるために、使っている的な・・・

そうしたことにあるときふと気が付いて、ある意味、他人に人生を決められる必要のない自由さみたいなものを知ってから、すごく楽になったというか・・・

すっかり話がずれてしまったので、本題に戻しますと、
もちろん、悩んだり苦しいときに、それを自分ひとりで解決する必要なまったくないと思いますし、
同じことを悩み続け、ずっと同じ場所にいるように感じて停滞してしまうくらいなら、どんどん人に話したり、占いでもなんでも、聞いてもらうことで、やはり気持ちもすっきりするでしょうし、エネルギーはろ過できるでしょうし、波動もあがるでしょうし、大賛成です。
そして、話を聞いてくれた方々には、心から大いに感謝しましょう!

ただ、最終的な結論や、決断は、人生最良のパートナーであり、人生最高のカウンセラーは、他の誰でもない、自分自身だと思います。
結局のところ、共感はしてもらえても、寄り添ってもらえても、真の意味で、すべてを理解してあげられるのは、自分自身でしかないように思います。そして、包括的に的確に人生の舵をきれるのも自分自身かと思います。

そうした意味でも、やはり人生の主人公は、他の誰でもない自分自身なのだということを、そして、人生をクリエイティブに創っていけるのも他の誰でもない自分自身なのだということを、いま一度つよく感じるときにきていると思います。

幸せになりたいと思うとき、なにかを成し遂げたいとおもうとき、何かになりたいと思うのなら、必要なものをもう既にきっと持ってきているから思いつくのだと思います。 自分のなかに既にあるのだと思うのです。

探しにいく必要などありません。 
幸せは探すものではないのではと思います。 
あるものだと思うし、この瞬間に見出し、創り出すものだと思います。
自分のことも、そして周りの人も信じ、リスペクトして、
少しずつ行動にして、形にしていくことができると思います。

それが、誰かに創り上げられた自分の想いでなく、心の底から望む強い想い、生き方であるなら、それを創っていくことができると信じています。

この季節、宇宙から注がれたとてつもないパワーで、きっと自己への怖れ、他者への怖れ、愛への怖れは溶かされつつあるように感じます。
どうか、自分自身を信じて、周りを信じて、あたらしい自分らしい一歩を歩むという行動につながっていくことを心から願っています。
地球は行動の星だから、行動こそがあたらしい人生の物語を創ってくれるのではないかと思います

きょうという1日
どこまでもつよい太陽のエネルギーを
心とからだでいっぱい感じて、
これまで持ってきたたくさんの怖れや迷いが
溶けていくようなイメージをして、
心を開いて、たくさんのエネルギーをチャージして、
等身大の自分らしさを心から愛し、抱きしめて
あたらしい生き方をしようとしているあなたを祝福し、
その大切な一歩である、今日というあたらしい1日を笑顔で進んでください!
あなたらしい素敵な1日をお過ごしください!









あたりまえに思えることをあたり前に思わない尊さ

2021年07月26日 09時38分07秒 | 自分軸を整える


光がまっすぐと
大地にふりそそぎ
すべてを照らしてくれている
そこに影がないかと思うほど
まばゆい光

きょうは、
ふと感じたことがあったので、
ブログに書かせていただこうと思います

あたり前にあることに関してなのですが
このあたり前だということ
じつは、あたり前でないことがほとんどです

例えば人間関係
家族であったり
恋人であったり
友人で会ったり
知人であったり

日常という日々繰り返される時間・日々のなかで
いつもすぐそばにあって
いつも目にできる風景になってしまうと
どんな関係もあたり前のようになっていきますよね

そのなかで、家族であったら、
いつも一緒にいられることがあたりまえになったり、
お父さんが働いてくれることも
お母さんがおいしいご飯をつくってくれることも
お掃除・洗濯してくれることも、感謝しつつも
だんだんとあたり前になっていくかもしれません

恋人であっても
最初は、出会ったころのどきどきとした高揚感があって
お互いにもっと知りたいと、相手の行動や言動に
逐一注目するものですが、関係性が長くなると、
なんとなく、いつもと同じデートをして、
いつもと同じ仕事の話をして、気がつくと
ときめきが薄れてしまっている・・・
そんなことは、間間あるかと思います

でも、それは、すべて気持ちの持ち方次第かもしれません

あたり前のように感じることこそ、じつはあたり前でなく、
たいせつな幸せが隠れていて、尊いものかもしれないですよね

繰り返される日常の中で、繰り返される時間や日々のなかで、
次第に、尊くて、あたり前ではなかったはずのものが、
次第に薄れ、あたり前になっていくことは、どんな人間関係にも、
そして、それは仕事や、ものだったり、他のことにもが起こり得るかと思います。

どんなことにおいても、
例えば人間関係だったら、はじめて出会ったときの感動や
例えばお仕事のことだったら、はじめてできたときのうれしさを
忘れないでいることがとてもたいせつかもしれません。

あたり前のように感じてしまうと、
なぜだか、人は、残念なことですが、感謝をしなくなってしまうのです

水道の蛇口をひねれば、水がでるのはあたり前
シャワーのスイッチを入れれば、あたたかなお湯がでるのはあたり前・・・etc.

そんなちいさなことであっても、
感謝して、あたり前ではないかもしれないと
あらためて、ちいさな感謝を積み重ねていくと、
日々あたり前のように感じてしまっていた人間関係や、お仕事も、
あらためて、とてもとても大切で、尊い関係性が、あらたに、築けるかもしれません。

そして、もう1つ
人間関係においても、お仕事においても、
自分との関係性が良好な場合は、比較的人間関係においても、
良好な関係性を築けることがおおいかなと感じます

そうした意味でも、
ご自分自身との関係性というのは、
とても大切なので、
日ごろから、ご自分の気持ちを見つめて、しっかりと受けとめる時間を
1日のなかで、すこしだけでも持たれると良いかなと思います。

そういう意味では、ノートなどにパッと思いついたことを、2-3行書いておくだけでも、
振り返ってみたときに、じつはいつも同じことを書いていたり、
自分でも意識していなかった、心の言葉がでていることがあるので、
思いがけない気持ちに気づかせてくれることもあります。

自分軸が揺らいでしまうと、どうしても居心地がわるくなって、
なんだか不安定になるものです
そうすると、気がつくと感謝の気持ちも薄らいで、
なんだかぱさぱさとした殺風景な気持ちになってしまいかねません

たいせつな時間・たいせつな日々を
心地よく、笑顔ですごしたいですよね

そんなときこそ、あたり前だと感じてしまっていたことを、
いま一度振り返って、じつはとっても貴いことだったと感じられる自分へと
軸を整えていきたいですね。

きょうもお陽さまのように
笑顔輝く日をすごされますように
自分も周りも明るく照らせる日でありますように!

今日も笑顔で素敵な1日を!



なんだか低迷しているなって思ったら・・・

2021年06月08日 12時56分01秒 | 自分軸を整える


光のかけら
大地に降りそそぐ光
その光に向かって
まっすぐと伸びていく
草花たち

光と緑
そして花々
生命力に満ちたいまの季節

この季節の晴れ間のように、イキイキと、そしてキラキラしている
そんな毎日を過ごすことができていたら素敵ですね。

逆に、なんだかここ最近、とても疲れやすいな
ここ最近、ツイていないことが多いな・・・
わたしって、運がないのかも・・・etc.

そんな風に感じてしまっていたり、

例えばですが、
朝ファンデーションが洋服に飛んでしまって、
着替えていたら、乗ろうとしていた電車に、ギリギリで間に合わず、
挽回しようと走っていたら、人とぶつかり落とし物をして、
食べようとしたランチが、自分の目の前で売れきれになったり・・・
今日はほんとうに、ツイていない!って思ったり・・・
時には、そんな風に感じてしまったことがある方もいらっしゃるかと思います。

いわゆる負のスパイラルに入ってしまうと、こうしたことが立て続けに起きたりするものですよね。 そんなときには、焦って、なんとかしようとすると、更に負のスパイラルに巻き込まれてしまう可能性もあるので、注意が必要かと思います。

人間ですから、1日24時間、1年365日、毎日毎日ハッピーモード全開で、毎日楽しい!人生って、最高!などと、笑顔いっぱいに過ごせたらいいのですが、やはり毎日最高の日々を過ごせるという訳ではありませんよね。
それに、どういう訳か、なんとなくどうも運が悪い方に動いていることって、確かにあるように感じます。
星読みをはじめ、さまざまな占いなどで、現在停滞期ですので、動かない方がいい・・・的な時期は確かにあるかと思うのですが、それで、その期間をただただひらすらにじっと耐え続け、嵐が過ぎ去るのを待ち続けるというのも、いささかどうなのでしょうと思うので、やはり、自分の意識の持ち方で、運のながれを変えることができたらうれしいですし、やはりそうできるのではと私は信じています。

たいせつなことの1つに、人生には、どうしても停滞してしまうことがあったり、運が落ちている時期があるのは、とても自然なことだということを、まず受け入れることが大切かなと思います。

自然界においても、毎日がぱりっと晴れで、さわやかなお天気ですということが無いように、やはり雨があったり、曇りがあったり、嵐が起きるからこそ、季節が動いていくように、やはり日々、人生でも、晴れがあれば、曇りや、雨があるというのは、自然なことかもしれません・・・ということを、
一旦、しっかりと受け入れるところから、スタートするのかなと思います。

そして、そんな中においても、運も自分自身も、自分の気持ち次第で、いつだって、自由に変えられるということを、信じること
ここが、いちばん大切なことかもしれません。

運が低迷していたり、気のすすまないことが立て続けに起きると、不安の波に押しつぶされそうになりますが、そうした中でも、
人間だもの、こんな日もあるっ!
長い人生生きていれば、こうした日もあるって! と
自己対話して、一旦受け入れてみる。
そして、すこし落ち着いたならば、

その次に、一旦立ちどまって、ここから、いい方向に変わる!と、
自分で決めることが大切かと思います。
その時、
いやいや、自分は運が悪いから・・・
どうせ、わたしは、低迷期だから・・・など・・・
頭をかすめそうになった場合は、ネガティブな気持ちを紙に書きだしてみて、一旦それをしっかりと眺めて、こんな風に感じていたんだ・・・
不安だよね。 怖かったよね。と不安がっている自分を認めて、寄り添うことで、
一旦受け入れたことになるのかなと思います。

そこで一旦受け入れることができたらなら、その紙は、やや激しいですが、その後は燃やす(火に気をつけて)か、びりびりに破ってきれいにゴミ箱に捨ててしまいましょう。 

そして、大丈夫、ここからいい方向に変わる! 
さらには、できることなら、
いい方向に変える! くらいに、決断しましょう。

意識をチェンジしたら、次に行動に移していきます

① 言葉を変える
ネガティブな言葉を使わない
自分の普段の口癖を振り返ってみましょう
でも・・・ でも、自信がないから・・・でも、忙しいから・・・
どうせ・・・ どうせ、わたしは・・・どうせ無理だから・・・
だって・・・ だって、いつもこうだから・・・だって、才能もないし・・・
この3つの言葉は、自己否定だったり、未来の可能性を消してしまうので、一旦封印するか、言い方を変換して、未来に可能性が残る言い方に変換するようにします
でも、自信ないから・・・
→それでも、少しずつ続けていったら、自信もついてくるかもしれないな
でも、忙しいから・・・・
→今は、忙しいけど、工夫をしたら、時間は少しずつでも作れるかもしれないなetc.

そして、もうひとつ、100%無理、絶対に無い、まじ無理なんですけど・・・
といったネガティブな言葉として、100%とか、絶対にとか、まじとか・・・といった言葉を使わないようにしてみる。

100%、絶対など、この世界には、存在しないのではないかと思います。

空を見あげると、一瞬として、雲はながれ、光は変化し、小鳥は飛び交い、同じ風景はありません。それに、地球も動いています。夜空を見上げれば、巨大な星すら動いています。動かないものはある意味ないとさえいえます。

運という字も、運ぶ=はこぶと書きますし、すべては、常に変化し、物事は循環しています。 そのことをしっかりと意識して、否定的だったり、ネガティブな表現での100%とか、絶対という言葉は使わないことをお勧めします。

可能性は、いつだって、扉を開いて待ってくれているくらいに考えていると、意識も行動も言葉も変化してくるのではと思います。

例えば、自分と全く異なる考えを聞いた際に、100%無いという言葉でなく、
そういう考え方もあるかもね・・・くらいの余白を残しておくことは、自分自身のなかで、固まってしまっているかもしれない信念にも、よい影響を与えてくれるかもしれません。

② 心が響くことに、時間をかけてみる
うつくしい音楽を聴く、うつくしい景色を見に行く、うつくしい美術に触れるetc.
日常のなかに、心が響くような時間や空間を持てたらベストですが、やはり時には、
足をつかって、自分自身が心響く空間に運んであげることも大切かもしれません。
現在はコロナ渦ということもあって、簡単にできない場合は、無理のない範囲で散歩して、きれいな花を愛でたり、オンライントラベルなど、日常とちがった、非日常の時間や空間を楽しむことをしてみることで、日常と異なる感情を味わうことで、心はおおきく解放されていくと思います。

  さらに、自分自身でも、音楽を奏でたり、花を生けたり、いつもと違った料理をつくったり、実際に、うつくしいものを創造すること、行動してみることも、本来人間が持っているクリエイティビティを遺憾なく発揮することで、魂が活性化するといいますか、エネルギーが循環しだして、とても良いことかなともいます。
例えば、料理をすることで、手を動かす。 そして、臭覚、視覚、味覚を刺激するということで、感覚が研ぎ澄まされていることは、自分自身を研ぎ澄ますことにつながっていくように感じます。

③ ポジティブな言葉を使う
人間は、人は、1日のうちに数万回~数十万回程、自分との対話を行っているといわれます。 繰り返し繰り返し、自己と知らず知らずに対話した内容は、深く、自分の中に根付いていきます。 日々、瞬間瞬間、自分自身とどんな会話をしているかが、ある意味人生をつくっているとも言っても過言ではないかとおもいます。

であるならば、
毎日、笑顔で、自分と向き合う時間を意識して、持ちましょう。
そして、そんなときは、わたしは運がいい、わたしは運がつよいなどと、
話しかけてあげましょう。
恥ずかしいと思われたり、できるかって、つっこみされる方の方が案外効果がある場合があるかもしれないです。

波動という言葉、聞かれたことはあられる方も多いかと思いますが、すべては波動かと思います。自分自身にネガティブな言葉がけをして、自己卑下して、自分を貶める発言よりも、やはり、自分は幸せな人間だと思っている心地よい状態こそが、心地よい状態を引き寄せてくれると思います。
それでも、心のブロックがあって、どうしてもそう思えない場合にも、まずは口に出すことで、脳に刷り込みさせていくことが、大切かと思います。ほんとうに日々の積み重ねで、変化が訪れるかと思います。

それでも、どうしても、そんな風に感じられないと、まだ思う場合は、相当根深いかもですが、そんな自分もしっかりと受けとめて、ブロックを外していく行動と同時に、もう1つ実践していただくと良いかもと思うのですが、

毎日、3個以上の良かった探しをするということです。
ふっと、落ち着いたときに、きょうはこんなことがあって、良かったと思うことを日々探していくのです。
ちいさなことでも、構いません。 
きょうは気持ちよく晴れたので、
お洗濯をいっぱいした だったり、
お陽さまの光に、寝具をあてて気持ちよかったとか、
丁寧に下ごしらえして、身体にやさしいスープを作ったとか、
お店のスタッフに親切にしてもらえたとか・・・etc.
会社の先輩が仕事を褒めてくれた・・・etc.

そんな感じで、良かった!探しをしていくのです。

最初は絞り出すように書いていたとしても、それがだんだん変化していく様子がわかるかと思います。
あれっ案外わたしって、恵まれている
あれっわたしって、良いことも意外とあるじゃない・・・
などと、感じ始められたら、既に波動は変わってきている証拠です。
そこで、さらに感謝が伴ってくると、さらに波動は変化していきます。
等など・・・

いろいろ書きましたが、やはり大切なことは、繰り返しになりますが、自分の意識を変化させていくことが大切かなと思います。
そして、意識を変えたことで、その変化が感じることを実感できたらなら・・・
うれしい変化ができているということだと思います。

最後に、運が低迷していたと感じられたことで、
自分自身の意識を変化させようという気持ちになれたことすらも感謝できる状態になれていたら
そして、運が低迷したことにスルーせずに
良いタイミングだととらえて、自分を見つめなおし、
なにかしら意識を変化させる行動ができた自分を
褒めてあげたくなったら、ひとまず大成功かなって思います。

晴れでも雨でも曇りでも、
人生って面白いなって、楽しむことができて
そして、笑顔で過ごすことができることに感謝できたなら、素敵ですね。

それでは、きょうも皆さんが笑顔で素敵な1日を過ごすことを願って!