九日ぶりに帰ってきた我が家。
虫の音が響きながら寄せてきます。
あっという間に秋なのです。
入院した病棟は4階、虫の音などどこからも聞えてきませんでした。
関東を竜巻が襲った日、鳴り響く雷鳴で深夜目が覚めました。
今回の入院で、私はとても怖い体験をしました。
何度目かの再燃なのか再発なのか、また蜂窩織炎で真っ赤になった脚。
入院になるだろうと思って、簡単に準備をして、
息子に頼んで何とか病院まで送ってもらいました。
予想通り、「緊急入院」になりました。
トイレも洗面も車いすと言うおまけつきでした。
車いす使用は初めてで、そんなに悪いのかとちょっと心配になったのでした。
私が入って間もなく6人部屋のベットは満床。
聞こえてくるみなさんの会話から、
85歳、83歳、73歳、70歳、62歳(後で知ったのですが)そして30代の女性の面々。
私ともう一人を除いてはみなさん ガンの治療を受けていました。
高性能の放射能照射装置があるということで、そのために入院している方がほとんどでした。
私も体験しているのでわかるのですが、
この部屋のガン患者さん達は 治すこと、生きることに必死なので、緊張感があって、
見るからに病人といった感じの方はいませんでした。
私の正面のベットの方は体格もよく、お元気そうで。
まあ、来客が多く、午後から夕食近くまで、ず~とおしゃべりが続いていました。
声を潜めて話すということがないので嫌でも話が聞こえてきて、
何とかならないと思ってしまうほどでした。
9時には消灯。熱が下がらず、点滴が続いていた私は
普段と違っておとなしく寝ていました。
朝が来て、廊下の灯がつき、みな洗面や体温測定に取り掛かります。
前のベットの方はまだ起きている様子がなく、
夜勤の看護師さんが「xxさん、xxさん」と呼びながらカーテンの中に入って行きました。
その呼ぶ声が4回になり、5-6回になった時、
看護師さんの声が大きく、緊張したものに変わりました。
そして、廊下を駆けだす足音が聞え、すぐ数人の看護師さんの足音がして、
ベットの上で心臓マッサージをする気配が。
間もなく、「xx室に移動しよう」との声とともに、ナースステーションの方に移動していきました。
アナウンスが入ったのです。「エマージェンシーコール4階」が繰り返されました。
私たちは、驚きと不安の中で言葉もあまり発することもなく
朝食をすましたのでした。
そして9時過ぎに息子さんと思しき20代の男性が一人で、
彼女の残していった荷物を片づけていたことで何が起こったのか私たちは理解したのでした。
言葉がありませんでした。
誰にも気づかれることなく、一言も言葉を発することもなく、病院のベットの上で亡くなるなんていうことが起きるのですね。
あまりのあっけなさに さらに言葉がありませんでした。
虫の音が響きながら寄せてきます。
あっという間に秋なのです。
入院した病棟は4階、虫の音などどこからも聞えてきませんでした。
関東を竜巻が襲った日、鳴り響く雷鳴で深夜目が覚めました。
今回の入院で、私はとても怖い体験をしました。
何度目かの再燃なのか再発なのか、また蜂窩織炎で真っ赤になった脚。
入院になるだろうと思って、簡単に準備をして、
息子に頼んで何とか病院まで送ってもらいました。
予想通り、「緊急入院」になりました。
トイレも洗面も車いすと言うおまけつきでした。
車いす使用は初めてで、そんなに悪いのかとちょっと心配になったのでした。
私が入って間もなく6人部屋のベットは満床。
聞こえてくるみなさんの会話から、
85歳、83歳、73歳、70歳、62歳(後で知ったのですが)そして30代の女性の面々。
私ともう一人を除いてはみなさん ガンの治療を受けていました。
高性能の放射能照射装置があるということで、そのために入院している方がほとんどでした。
私も体験しているのでわかるのですが、
この部屋のガン患者さん達は 治すこと、生きることに必死なので、緊張感があって、
見るからに病人といった感じの方はいませんでした。
私の正面のベットの方は体格もよく、お元気そうで。
まあ、来客が多く、午後から夕食近くまで、ず~とおしゃべりが続いていました。
声を潜めて話すということがないので嫌でも話が聞こえてきて、
何とかならないと思ってしまうほどでした。
9時には消灯。熱が下がらず、点滴が続いていた私は
普段と違っておとなしく寝ていました。
朝が来て、廊下の灯がつき、みな洗面や体温測定に取り掛かります。
前のベットの方はまだ起きている様子がなく、
夜勤の看護師さんが「xxさん、xxさん」と呼びながらカーテンの中に入って行きました。
その呼ぶ声が4回になり、5-6回になった時、
看護師さんの声が大きく、緊張したものに変わりました。
そして、廊下を駆けだす足音が聞え、すぐ数人の看護師さんの足音がして、
ベットの上で心臓マッサージをする気配が。
間もなく、「xx室に移動しよう」との声とともに、ナースステーションの方に移動していきました。
アナウンスが入ったのです。「エマージェンシーコール4階」が繰り返されました。
私たちは、驚きと不安の中で言葉もあまり発することもなく
朝食をすましたのでした。
そして9時過ぎに息子さんと思しき20代の男性が一人で、
彼女の残していった荷物を片づけていたことで何が起こったのか私たちは理解したのでした。
言葉がありませんでした。
誰にも気づかれることなく、一言も言葉を発することもなく、病院のベットの上で亡くなるなんていうことが起きるのですね。
あまりのあっけなさに さらに言葉がありませんでした。
お身体、ご自愛ください
クマの育ての母ですが、家で転んで膝の半月板を骨折し入院し
3日目に元気に家の近くの外科病院に転院しました
その夜中、血液のかたまりが脳の血管につまり
朝になって看護婦さんがカーテンを開けた時は
冷たくなっていました
誰にもみとられずでしたが、苦しむこともなかったようです
それが、母としては不幸だったか?幸いなことだったのか?
確かめることはできませんが
残された私たちは、良いほうに考えるようにしました
自分の意識と意志がある中で生きていられることは幸せなことですね
後悔のないように、毎日を過ごしていたいものです
ただ、それまで、どう生きるか。
でも、くちこは、その方のように去りたいなあ。
みんなを慌てさせるとしても。
たくさんの癌患者さんを見てきて、
強さ、明るさ、潔さ、サムライのような空気を感じていました。
自分が癌患者になってみて、自分がサムライのように生きられるか、甚だ疑問です。
お孫さん達、可愛いですね。
絵の雰囲気、なんだか懐かしいです。
苦しみが短いのはある意味幸せかもしれませんね。
自分の意識と意志がある中で生きていられることは幸せなことですね
後悔のないように、毎日を過ごしていたいものです
本当にそうですね。
無理をしないことこそが最大の薬のようですが、無理の度合いを測るのが難しい。
この絵が大好きで、幼児にしか書けない絵でしょう。
のびのびと描き続けてほしいと思っています。
私も4階に入院した事があります。
廊下の窓から朝日が昇るのが見えて、ずーと
見ていたのを思い出しました。
あれから9年、10年目の検査をしたら検査を続ける
かどうか考えておくよう言われたところです。
何があるか分からない年齢に差し掛かっています。
悔いのない毎日を送りたいと、送ろうと思っています。
しっかり休養をおとり下さいね。