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つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

時には、いいことを!

2012年12月22日 | Weblog
世の中、えっということばかりまかり通って・・・。
合わせて体調不良だと、気力もなえてよくないですね。

今回は いいことを数えて気分転換を図りましょう。


いいこと その1

9月以来散々悩まされていたリンパ浮腫&蜂窩織炎。

何とかしなくてはと、必死で病院を探しました。

手術&リンパ浮腫&リハビリをつなげて取り組んでいるという病院を探し出して、これまでかかっていた先生に紹介状を書いてもらって受診。

ドクターの受診1回。 リハビリ指導1回。
リハビリ指導を受けてびっくり。
片足全体にに巻くテープが何と6枚。
目下ひざ下なので3枚+アルファ。
まるでテープでギブスをしたみたい。
今までは1枚だけでしたから。

巻くにもとるにも時間はかかるし、
大体はける靴がありません。
でも何とか継続中。

それというのも、かなり浮腫が小さくなってきたように見えるから。
医師がどう判断するかは1月の受診次第。
蜂窩織炎の再燃もこのところありません。

息子いわく、寒くなったからじゃないの、炎症が出にくいのは。

体力的には弱くなったままですが、出歩けるようになってきましたから、これが続けばいいことになるでしょう!


いいこと その2 
 体調の悪さに並行して時間ばかりかかって悪戦苦闘していたフォトダイアリー「風になって」がやっと色原版を試作するところまでこぎつけました。

でもあと1枚、大事な写真が決まりません。あとすこし悩みが続きそうです。

いいこと3

明日から2泊3日で咲たちがやってきます。
私の体力が心配ですが、さきから元気をもらいます。

冬の花火! 熱海海岸にて

2012年12月10日 | Weblog





12月9日、熱海は折から日本海側に大雪を降らした寒風が吹きこみ、これまでに経験したことが無い程寒い日でした。

そんな日に私は娘一家と熱海にいました。
勿論、さきも一緒です。
さきからは前日も、当日も「おばあちゃん準備できた?」と確認の電話が入りました。

冬の花火をどうしても見たいと思った娘が8月に申し込んであったのです。
凍てつく海の上に上がる花火はどんな風に見えるのか見たくなって、私も申し込みました。

その後 私は蜂窩織炎の再燃に悩まされて、花火見物どころではなかったのですが、
先月の鎌倉行に医者の許可が得られたことを幸いに、このイヴェントにもいってきました。

楽xのイベント企画で申し込んだ宿は花火会場の真ん前で絶好のロケーションということでしたが、確かに真ん前ではありましたし、温泉付きでもありました。
温泉は海水よりもとてもしょっぱくてびっくりでしたが、とっても体が温まりました。

設備そのものは、とても申し上げられません、営業妨害になるといけませんから。

花火の写し方などをにわか勉強して、一眼レフカメラをセットして待ちましたが、いざ始まると、全然うまく撮れません。

これでは、花火を楽しむどころではなくなりそうで、
写真はコンパクトカメラに変えて、歓声を上げながら
眼前に繰り広げられる花火を堪能。
さきちゃんも感激して大騒ぎでした。
ただし、見物は宿のガラス越しでした。
そうでないと花火の殻をかぶりそうだったのです。

20分はあっけなく終わってしまいましたが、
確かに冷気の中に打ち上げられる花火は、曇ることもなく透き通って見えました。

認知症ましぐらかな~?

2012年11月16日 | Weblog
クローズアップ現代を何気なく見ていたら、
あの「きんさん、ぎんさん」の4人の娘さん達がでてきて、
おしゃべりして、頭の血流の検査を受けていました。
みなさんの平均年齢93歳?だったかな。

いいリズムでたわいなく見える会話をしている。
この会話が弾むと、脳の血流が増えるのです。
このこと、すなわち軽やかな会話を交わして、笑って過ごす。
これが認知症ならないことにとっても大事だということでした。
こうなったら絶対女性の方が有利でしょうね。女性はいろんなことをしゃべっては笑いあっていますから。


そう言えば、おかしくなくても、声を出して笑うと脳はだまされて、体の免疫力がアップするという話も聞きました。
笑うサークルがあって、突然皆で笑い声を出すのです。
さすがに私はすぐにはついていけませんでしたが、時々一人でやってみますが、様にはなっていないような気がします。
あなたはやれますか?

思い起こせば、私の両親は、真面目で、ほとんど家で笑いあうことを見たことがありませんでした。
母は私が、具合が悪くても、学校は休んではいけないと強く思っていたらしく、それに皆勤賞がとれなくなるからと、
学校に行かされたものです。
おなじ両親に育てられたにも関わらず、弟は大学などでの経験が良かったのか、なかなか上手なジョークも言える、ひょうきんなところのある大人になりました。

ですから、すべて両親のせいにするわけにはいきませんが、私はすっかり両親の遺伝子を引き継いでしまった様な気がしています。

とにかく、なんとかしなくては、このままでは、
痴呆症へまっしぐらになるのではという思いにとりつかれている昨今です。

でも、なんでも病気になるのは本人が悪いという扱いの
情報が多くて、それにひっかかるものを感じております。






やっと退院しました。

2012年10月22日 | Weblog
 随分のご無沙汰になってしまいました。

危険を承知で、何とか乗り切れたら思ってこの夏かなり無謀な計画を立ててしまいました。

キッチンのリホーム(やったことに比べて予想以上の費用がかかりました)、

3階の屋根裏をはじめとして、家中にたまった積年の不要物の片づけ(想像を絶する労力と時間がかかり、
何と2トントラックに収納しきれないほどの廃棄物が出てきました)

そしてかって、ネットにアップしていた写真付き日記を本にすること(こちらも結構気合いが必要なことでエネルギーを消耗)

これだけの私的なことを、日常の活動を縮小することなくやり続けました。
暑い暑い夏だというのに。

誰もが驚く愚行でしたが、本人にその認識が弱く、突入してしまいました。


その結果は、いろいろ。
確かにキッチンは使いやすくなり、不要物が無くなった場所は広々として快適です。


そんな中、8月末以来、3度目の蜂窩織炎の再燃に見舞われました。

10月の4日、少し頑張りすぎかなと思いながら日記を書いた翌日の朝、
目を覚ましたら右足は太ももまで発赤で真っ赤に。

蜂窩織炎の再燃です。
あわてて、病院へ。

偶然会えたリンパ浮腫外来の先生の紹介で、皮膚科に。
やっぱり蜂窩織炎は皮膚科の領域。

脚の様子を見た先生は「入院できますか?」
予定はいろいろあるけどこの際目をつぶって「できます」と答えました。。

入院の手続きをして、お昼前には病棟へ。
点滴を受けてから入院に必要なものを取りに帰ることにして、とりあえず息子と友人に電話を。

ところが突然の入院なので病棟の受け入れ態勢がととのわないのです。
何とか点滴が終わった時は4時過ぎ。
今回は熱も上がっていて、こちらはフラフラ。

着替えるのも面倒で寝巻のまま「帰ります」と言った私。
驚いた看護婦さんが「お着替え手伝いますよ」と言ってくれたのですが「いいです」と断って、
そのままエレベーターへ。

病院の出口の近くにタクシーがいます。
そのまま、崩れるように乗り込んで行き先をつげて、
25分くらいで、我が家に到着。

家では延々と待たされた息子たちが待っていました。
頭が働かなくて、あまり準備もできないまま、
今度は息子の車でふたたび病院へ。

息子いわく、「どう見ても痴呆症の老女の脱走に見えたよきっと」
髪が真っ白のパジャマ姿の女性がフラフラと乗ってきたのですから、
タクシーの運転手さんもそう思ったかもと
あっさり認めてしまいました。

血液の培養で、細菌が検出されていわゆる敗血症。
担当医に「薬の効き目が悪いので一日の抗生物質を3倍にします」と宣言されました、
2週間ほど、一日3回の点滴を受ける羽目になったのでした。

殆どをベットの上で過ごすこと2週間、やっと退院の許可がでて、帰ってきたところです。

保育園に行っている孫の初めての運動会にも行けず、
かっての写真学校の同級生たちとの旅行にも行けず(せっかく私がセットしたのにです)
いろいろ呼び出しはかかりますがそれにも参加できず、
家にいるのです。

あまり本を読む意欲も維持できず、
サスペンス物や刑事もののテレビを見るくらいで
気力は沈んでいくばかり。

こういう状況にふさぎ込むことなく
前向きに行動していくには、どうすればいいのかと・・・・・。

救いは、今のところ写真集への前向きな気持ちだけは残っていることです。


エンディングノートなるもの。

2012年08月19日 | Weblog
 今、周辺ではエンディングノートが話題になっています。

 私はどうも世事に疎いようです。
社会的なことには疎くないと思っているのですが、
世事はどうも・・・・。
断捨離ということも随分話題になった後でした。

私は正確には断捨離を理解していません。
私が読んだのは、
「シンプルに生きる。モノを持たない暮らしーードミニック・ローホー著」だけです。
このような私にはできないとつくづく思いました。
でも、せめて最後はそれらしくシンプルにしておきたいと思ったのでした。

 そして先月だったでしょうか、偶然ある会の「葬式について考える」講演で、エンディングノートが話題になったそうです。例によって私は出席できませんでした。

そういうことを活動に敏感に取り入れる人から
「エンディングノート」の改訂版を手に入れました。

これまでの思い出を書きとめたり、
どんな葬式をやりたいのか、
財産についての記載、
遺産相続についてなどなど。

まだじっくりとは見ていませんので、
もっとメンタルなものなのかもしれませんが。

確かに必要なものには違いありませんが、
書き込むのは何だか覚悟がいるような気がします。

私はいつもその時に精いっぱいで、
あまり自分の将来を設定して生きて来なかったような気がします。
日本の未来に思いをはせることはあっても。


でも、折角、愛情を持って育てた庭を持つ私の住まいが誰にも可愛がられることなく、
更地にされて売り飛ばされるのは、ちょっとさびしいな~ なんて思ったりもするのです・・・・・。

ただ一つ、準備がすすんでいるのは、
フォトエッセイ集を出すことだけです。


ふと思いました。

エンディングノートは
生きてきた人生をこれからの人につないでいくものでもあるから、
自分だけで書くものではないようような・・・・。

そんな風に思えてきました。
でも子どもたち、一緒に動いていた人たちが
どれだけ受けっとてくれのでしょうか?
なんて考えてしまいました。