日本書紀 巻第十三 穴穂天皇 二
・即位
・皇女等の拒絶
十二月十四日、
穴穂皇子は天皇位に即きました。
皇后を尊び皇太后としました。
則、都を石上(いそのかみ)に遷しました。
是を穴穂宮といいます。
この時に当たって、
大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)は、
瑞歯別天皇(みつはわけのすめらみこと)の
娘等を聘(めと)りたいと欲しました。
(娘の名は諸記に見えません)
ここにおいて、
皇女等は皆、答えて、
「君王は恒に荒く強(こわ)いです。
たちまち忿(いか)りだし、
則、
朝に見(まみ)えた者が夕には殺され、
夕に見えた者が朝には殺されます。
今、妾等は、顔が秀(ひい)でておらず、
加えて、
情性(ひととなり)は拙(つたな)いです。
もし、
威儀(ふるまい)や言語(ことば)が
毫毛(ごうもう)の如く、
王の意にかなわなかったら、
どうして親しくできるでしょうか。
これをもって、
命に奉じることができません」
といいました。
遂にのがれて聞き入れませんでした。
・毫毛(ごうもう)
きわめてわずかであること
(感想)
安康天皇元年12月14日、
穴穂皇子は天皇位に即きました。
皇后を尊び皇太后としました。
則、
都を石上(いそのかみ)に遷しました。
これを穴穂宮といいます。
この時、
大泊瀬皇子は、
瑞歯別天皇の娘等を娶りたいと思いました。
(娘の名は諸記に見えません)
ここにおいて、
皇女等は皆、答えて、
「君王は常に荒くて怖いです。
突然怒りだして、
朝にお会いになった者が夕には殺され、
夕にお会いになった者が
朝には殺されてしまう。
今、
私たちは、顔が美しくないし、
加えて人となりは劣っています。
もし、
振る舞いや言葉が
ほんの少しでも
王の意にかなわなかったとしたら…
どうしてそのような人と
親しくできるでしょうか。
こういうわけで、
命に応じることはできません」
といいました。
そして遂に逃れて聞き入れませんでした。
大泊瀬皇子、
振られちゃいましたね。
でも?
穴穂天皇のお話なのに、
なぜ、
大泊瀬皇子(後の雄略天皇)のお話?
穴穂天皇の影が薄い…
明日は、
穴穂天皇のお話出てくるかな?
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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