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リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十三 ・伊吉連博徳の書 三



日本書紀 巻第二十六 
天豊財重日足姫天皇 十三

・伊吉連博徳の書 三



十一月一日、
朝で冬至の会がありました。

会の日、
また、観ました。

朝の所の諸蕃の中で
倭の客が最も勝れていました。

後に出火の乱があり、
棄ててしまい、

復(ふたた)び、
検(かむがえ)することが
できませんでした。

 十二月三日、
韓智興(かんちこう)の
傔人(ともびと)の
西漢大麻呂(にしのやまのおおまろ)が、

我が客の讒(そし)りをいい、
枉(ま)げました。

客等は、
唐朝から罪をとわれ、
もはや流罪と決まりました。

その前に、
智興(ちこう)を
三千里の外へ流しました。

客の中に
伊吉連博徳
(いきのむらじはかとこ)
あり奏しました。

よって、
卽ち、罪を免じられました。

事が了(お)わった後に、
勅旨があり、

「国家は來年に、
必ず海東の政の有がある。

汝等、倭客は、
東に帰すことができない」
といいました。

遂に、
西京に匿(かく)され、
別の所に幽置されました。

戸を閉ざし防禁(ぼうきん)し、
東西に行くこと許しませんでした。

困苦して年を経ました。

難波吉士男人
(なにわのきしおひと)の書では、

「大唐に向かった大使は、
嶋に触れて覆(くつがえ)り、

副使は自ら天子を観て、
蝦夷を示しました。

ここにおいて、
蝦夷は、
白鹿の皮一、弓三つ、矢を八十、
天子に献(たてまつ)りました。)



・検(かむがえ)
検査
・傔人(ともびと)
従者
・智興(ちこう)
韓智興
・防禁(ぼうきん)
防ぎとどめる



(感想)

前回のお話

日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 12 ・伊吉連博徳の書 二 - リートリンの覚書

日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇12・伊吉連博徳の書二三十日、天子と相見て問訊(もんじん)して、「日本国天皇は平安にしているのか」といいました。使人は謹み答...

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(斉明天皇5年)

11月1日、
唐朝で冬至の会がありました。

会の日、
また、天子に見えました。

朝見の諸蕃の中で
倭の客が最も勝れていました。

後に出火騒ぎがあり、
贈り物を
そのまま棄ててしまい、

ふたたび、
検査することができませんでした。

12月3日、
韓智興の従者の西漢大麻呂が、
我が日本国の客を讒言し、
無実の罪に陥れました

客たちは、
唐朝から罪をとわれ、
もはや流罪と決まりました。

その前に、
智興を三千里の外へ流しました。

韓智興自身も三千里の流刑という、
死刑の次に重い処罰に処せられました。

主人まで罰せられような讒言を
従者の西漢大麻呂は、
何故したのでしょうか?

客の中に
伊吉連博徳がいて奏言しました。

それにより、
罪を免じられました。

事件がおわった後に、
勅旨があり、

「国家は、
来年に必ず、
朝鮮の政治への有事がある。

汝ら、倭客は、
東に帰すことができない」
といいました。

遂に、
長安に隠匿され、
別々の所に幽置されました。

戸を閉ざし防ぎとどめられ、
東西に自由に行動することを
許しませんでした。

困苦して年を経ました。

唐の百済遠征のために、監禁された。
訪れた時期が悪かったみたいですね。

しかし、
遣唐使が監禁で済んだとは、

日本と唐国との関係は
それほど悪くはなかった
と言うことでしょうか。

難波吉士男人の書では、
「大唐に向かった大使の船は、
島に触れて転覆しました。

副使は自ら天子にみまえて、
蝦夷を示しました。

そして、
蝦夷は、
白鹿の皮1、弓3つ、矢を80を
天子に献上しました)

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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