日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 六十四
・頭霧唎耶陛の帰化
・洪水による飢え
・白猪田部
二十六年夏五月、
高麗人の頭霧唎耶陛(ずむりやへ)等が、
筑紫にはいり化しました。
山背国(やましろのくに)に置きました。
今の畝原(うねはら)、奈羅(なら)、
山村(やまむら)の高麗人の先祖です。
二十八年、
郡国(くにぐに)で、
大水があいついで、
飢えました。
或いは、
人が相食(あいはむ)しました。
傍らの郡の穀を転じて、
相救(あいすく)しました。
三十年春正月一日、
詔して、
「量りて、
田部(たべ)を置いたが、
それより尚も来ることになって久しい。
歳が十余りなのに、
籍(なのふみた)から脱して、
課(えつき)から免れる者が多い。
膽津(いつ)
(膽津は、王辰爾(オウジンニ)の甥です)
を遣わして、
白猪(しらい)の田部の丁の籍を検定せよ」
といいました。
夏四月、
膽津は、
白猪田部の丁を検閲(けんえつ)し、
詔の依る籍を定めました。
果たして、
田戸(たへ)を成しました。
天皇は、
膽津が籍を定めた功を嘉(よ)いとして、
姓・白猪史(しらいのふびと)を
賜りました。
すなわち、併せて、
田令(たつかい)に命じて、
端子(みつこ)の
副(すけ)としました。
(端子は上に見えます)
・相食(あいはむ)
互いに食い合う
・籍(なのふみた)
戸籍
・課(えつき)
課役
・検閲(けんえつ)
調べあらためること
・田令(たつかい)
令制前、大和政権の直轄領である屯倉(みやけ)の耕作民(田部)を統轄する責任者。
・端子(みつこ)
・端子(みつこ)
葛城山田直端子
(感想)
欽明天皇26年夏5月、
高麗人の頭霧唎耶陛らが、
筑紫に入り帰化しました。
山背国に置きました。
今の畝原、奈羅、山村の高麗人の先祖です。
欽明天皇28年、
郡国で、
大水が相次いで、
飢饉がおきました。
或いは、
人が互いに食い合いしました。
すぐ側の郡の穀物を運んで、
互いに助け合いました。
欽明天皇30年春1月1日、
詔して、
「はかって、
耕作民を置いたのだが、
それより尚も
その土地以外の民が
来ることになって久しい。
歳が十歳余りなのに、
戸籍から脱れ、
課役から免れる者が多い。
膽津を派遣して、
白猪の田部の
課丁の戸籍を検定せよ」
といいました。
夏4月、
膽津は、
白猪田部の課丁を調べあらためて、
詔のどおりに戸籍を定めました。
その結果、
田戸の戸籍を完成させました。
天皇は、
膽津が戸籍を定めた功績をよしとして、
姓・白猪史を与えました。
そして、併せて、
田令(たつかい)に任命し、
端子(みつこ)の副(すけ)としました。
相食(あいはむ)
:(;゙゚'ω゚'):
マジですか…
縄文時代、相棒だった犬。
それが、
弥生時代に入り、
犬食いが始まり…
ついに…
縄文時代では、
あり得ない事が
この時代に起きていたのですね。
弥生時代から
大陸から様々なものが入ってきました。
稲作。
食糧事情が安定し、
人口が増えました。
しかし、
争いも生まれました。
グローバルな世界…
いい事だけ入ってくればいいのですが、
悪い事も入ってくる…
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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