日本書紀 巻第十三
雄朝津間稚子宿禰天皇 十
・淡路島の神の祟り
・男狭磯の活躍とその死
十四年秋九月十二日、
天皇は淡路島で猟をしました。
時に、莫莫紛紛(ありのまかひ)の
大鹿、猿、猪が満ちていました。
炎が起きたように
蝿のごとく散っていました。
然るに、
終日に一つの獣さえも
獲ることができませんでした。
ここにおいて、
猟を止めて、
更に卜(うらな)いました。
島の神が祟って、
「獣を獲る事ができないのは、
これは我の心である。
赤石の海の底に真珠がある。
その珠を祠(まつ)るなら、
悉く獣を獲るだろう」
といいました。
ここに、
更に処処の白水郎(はくすいろう)を集めて、
探させました。
海は深く底に至ることができませんでした。
唯ひとりの海人がいました。
男狭磯(おさし)といいます。
これは
阿波国の長邑(ながのむら)の海人です。
諸の海人に勝っていました。
是、腰に縄を繋いで、
海の底に入りました。
しばらくして出てきて、
「海底に、大鮑(あわび)がいて、
その処が光っています」
といいました。
諸人は皆、
「嶋の神が請う珠は、
ほとんどその鮑の腹にあるだろう」
といいました。
また入ってこれを探しました。
ここで男狭磯は大鮑を抱いて、
浮かび出てきました。
乃ち、
息絶え、
浪の上で死にました。
既に縄を下ろし海の底を測ると、
六十尋ありました。
則ち、
鮑の腹を割ると
実に真珠が腹の中にありました。
その大きさは桃の実ぐらいでした。
乃ち、
嶋神に祠(まつ)り、
猟をしました。
多く獣を獲ました。
ただ男狭磯が海に入って
死んだことを悲しんで、
則ち、墓を作り厚く葬りました。
その墓は今もなおあります。
・莫莫紛紛(ありのまかひ)
たくさんの
・白水郎(はくすいろう)
漁師、海人(あま)
・阿波国の長邑(ながのむら)
徳島県那賀郡那賀川町
(感想)
允恭天皇14年秋9月12日、
天皇は淡路島で狩りをしました。
この時、
たくさんの大鹿、猿、猪が
島に満ちていました。
炎が起きたように
蝿のごとく散っていました。
しかし、
終日には一つの獣さえも
狩ることができませんでした。
そこで、猟を止めて、
更に占いました。
島の神が祟って、
「獣を獲る事ができないのは、
これは我の心である。
赤石の海の底に真珠がある。
その珠を祠(まつ)るなら、
悉く獣を獲るだろう」
といいました。
ここに、
更に処処の海人を集めて、
探させました。
海は深く底に至ることができませんでした。
唯ひとりの海人がいました。
男狭磯(おさし)といいます。
彼は阿波国の長邑の海人で、
他の海人に勝っていました。
彼は、腰に縄を繋いで、
海の底に入りました。
しばらくして出てきて、
「海底に、大鮑がいて、
その処が光っています」
といいました。
諸人は皆、
「嶋の神が請う珠は、
必ずやその鮑の腹にあるだろう」
といいました。
また入ってこれを探しました。
ここで男狭磯は大鮑を抱いて、
浮かび出てきました。
しかし、
すぐに息絶え、
浪の上で死んでしまいました。
その後、
縄を下ろし海の底を測ると、
六十尋ありました。
則ち、
鮑の腹を割ると
実に真珠が腹の中にありました。
その大きさは桃の実ぐらいでした。
乃ち、
嶋神に祠(まつ)り、
猟をしました。
多く獣を獲ることができました。
ただ男狭磯が
海に入って死んだことを悲しんで、
則ち、
墓を作り厚く葬りました。
その墓は今もなおあります。
六十尋
一尋は両手を左右に伸ばしたときの、
指先から指先までの長さを基準にし、
1尋は5尺すなわち約1.515メートル、
ないし6尺すなわち約1.816メートル。
六十尋は、約110m
ちなみに
足ひれを着けて一呼吸でどれだけ長く泳げるかを競うフリーダイビング競技で、デンマークのスティ・セベリンセンさん(47)が202mを泳いでギネス・ワールド・レコーズの世界記録に認定された。
引用・
cnn 2021.01.11 Mon posted at 15:55 JST
世界記録は202m。
男狭磯は素足で180m。
どれだけ凄いのかがよくわかります。
フリーダイビング…
グランブルーだなぁ。
エンゾ〜。
ヤバ、マンマのパスタ食べたくなった。
😳
失礼しました。
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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