日本書紀 巻第十五 弘計天皇 十一
・月神の請い
・曲水宴
・日神の請い
・福草部を置く
・崩御
三年春二月一日、
阿閉臣事代(あえのおみことしろ)は、
命をうけて、
出て任那に使いにいきました。
ここにおいて、月神が、
人にかかりて語り、
「我が祖である、
高皇産靈(たかみむすひ)は、
あらかじめ
天地鎔造(てんちようぞう)した功がある。
民地(かきどところ)を我が月神に奉れ、
もし、
請うままに、
我を献(たてまつ)るなら、
福慶(さいわいよろこび)があるだろう」
といいました。
事代は、
これによって、
京に還って、
具に奏しました。
歌荒樔田(うたあらすだ)を奉りました。
(歌荒樔田は山背国の葛野郡にあります)
壱岐県主の祖先・
押見宿禰(おしみのすくね)が、
祠(やしろ)に侍(つか)えました。
三月上巳(かみのみのひ)、
後苑(みその)に幸て、
曲水宴(めぐりみずのとよあかり)を
しました。
夏四月五日、
日神が人にかかり、
阿閉臣事代に語って、
「磐余(いわれ)の田を、
我が祖である高皇産靈に献(たてまつ)れ」
といいました。
事代は、
そのぐあいを奏しました。
神の乞により、
田十四町を献(たてまつ)りました。
対馬下県直(つしまのしもつあがたのあたい)が、
祠に侍(つか)えました。
十三日、
福草部(さきくさべ)を置きました。
二十五日、
天皇が、
八釣宮で崩じました。
・登場した月神が祀られている神社
壱岐島壱岐郡月読神社の祭神
・天地鎔造(てんちようぞう)
天地を溶かして造る
・歌荒樔田(うたあらすだ)
葛野郡宇太村、のちの平安京の地
・押見宿禰が仕えた社
山城国葛野郡葛野坐月読神社
・登場した日神が祀られている神社
対馬島下県阿麻氏留(あまてる)神社
(感想)
顕宗天皇3年春2月1日、
阿閉臣事代は、
命をうけて、
日本を出て任那に使いに行きました。
ここにおいて、
月神が、
人に神懸かりして語り、
「我が祖である、
高皇産靈は、
かねて天地を溶かして造った功績がある。
民と地を我が月神に奉れ、
もし、
請うままに、
我に献上するなら、
福慶(さいわいよろこび)があるだろう」
といいました。
事代は、これによって、
京に帰り、
ことの詳細に奏言しました。
そこで歌荒樔田を奉りました。
壱岐県主の祖先・押見宿禰が、
祠(やしろ)に仕えました。
3月3日、
後苑に行幸して、
曲水宴をしました。
夏4月5日、
日神が人に神懸かりして、
阿閉臣事代に語って、
「磐余の田を、
我が祖である高皇産靈に献上しろ」
といいました。
事代は、
その詳細を奏言しました。
神の乞により、
田十四町を献上しました。
対馬下県直が、
畿内の分祠に仕えました。
13日、
福草部を置きました。
25日、
天皇が八釣宮で崩じました。
即位後すぐは、
雄略天皇への恨みで
暴走気味の顕宗天皇ですが、
後半は落ち着いたようで安心しました。
しかし、
在位3年で崩御されるとは…
時代を経るほどに、
天皇の寿命が短くなっているような…
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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