日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 五十
・日蝕
・鋳銭司の拝命
・益須寺の醴泉
三月一日、
日蝕がありました。
二日、
直廣肆の
大宅朝臣麻呂
(おおやけのあそみまろ)、
勤大貳の
臺忌寸八嶋
(うてなのいみきやしま)、
黄書連本実
(きふみのむらじほんじつ)等をもって、
鋳銭司(ぜにのつかさ)に拝しました。
十一日、
詔して、
「凡そ、
位の無い人を、
郡司に任するには、
進廣貳を
大領(こおりのみやつこ)を授け、
進大參を
小領(すけのみやつこ)を授けるように」
といいました。
十六日、
詔して、
「七年の歲次癸巳に、
醴泉が近江国の
益須郡(やすのこおり)の
都賀山(つがやま)に湧き出た。
諸々の病人が、
益須寺(やすでら)に停まり宿り、
療し、癒えた者がおおくいる。
故に、
水田・四町、布・六十端を入れる。
益須郡の今年の調役・雜徭を除する。
国司の頭(かみ)から
目(さかん)に至るまで、
位を一階進める。
その初めに醴泉を驗した者、
葛野羽衝(かどののはつき)、
百済土羅々女(くだらのつららめ)に、
人ごとに絁(ふとぎぬ)・二匹、
布・十端、鍬(すき)・十口を賜う」
といいました。
二十二日、
幣(みてぐら)を諸々の社に奉りました。
二十三日、
神祇官の頭(かみ)から
祝部(はふり)等に至るまでの、
百六十四人に、
絁(ふとぎぬ)、布を賜りましたが、
各々差がありました。
・鋳銭司(ぜにのつかさ)
=じゅせんし・ちゅうせんし・古代日本に置かれた令外官の一つ。銭貨鋳造をつかさどった。
(感想)
(持統天皇8年)
3月1日、
日蝕がありました。
2日、
直広肆の
大宅朝臣麻呂、
勤大弐の
台忌寸八嶋、黄書連本実らを、
鋳銭司に拝命しました。
11日、
詔して、
「およそ、
位の無い人を、
郡司に任命する場合は、
大領に進広弍を授け、
小領に進大参を授けるように」
といいました。
16日、
詔して、
「7年の歲に、
醴泉が近江国の益須郡の都賀山に湧き出た。
諸々の病人が、
益須寺に宿泊して、
療養し、治癒した者が多くいる。
こういうわけで、
益須寺に水田・4町、布・60端を
施入れる。
益須郡の今年の調役・雜徭を免除する。
国司の頭から目に至るまで、
位を一階進める。
その最初に醴泉を試した者、
葛野羽衝、百済土羅々女に、
ひとり絁・2匹、布・10端、
鍬(すき)・10口を与える」
といいました。
22日、
幣を諸々の社に奉りました。
23日、
神祇官の頭から
祝部たちに至るまでの、164人に、
絁、布を与えましたが、
各々差がありました。
明日に続きます。
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