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リートリンの覚書

天皇とは? 「改訂版」「第二版」・日本史上最大の謎!なぜ誰一人として天皇を滅ぼさなかったのか?

なぜ誰一人として天皇を滅ぼさなかったのか?

中国では、皇帝は「天命」によって定められるものであり、徳を失った王朝に天が見切りをつけたとき、革命(天命を革める)が起きるとされていました。

徳を失い天から見切りを付けられた王朝ですから倒しても問題ないという、古代中国において孟子らの儒教に基づく、五行思想などから王朝の交代を正当化する理論です。

王朝の血統が変わるため、これを
「易姓(姓が変わる)革命」
とも呼びます。

中国から沢山の影響を受けてきた日本ですが、何故この理論を適応する人が現れなかったのでしょうか?

日本の場合、天皇は「天命」によって定められるのではなく、その皇祖の血統によって定められるもとされていたからだと考える方が多いようです。

しかし、それでも「天皇家が、何故現在まで続いてきたのか」という問いは、日本史上最大の謎だと言われています

(例)その1
25代・武烈天皇(498~506)は、継承者がいないまま崩御されました。その当時、抜群の実力をもつ大族に大伴氏がありました。

大伴金村は「新王朝」を樹立できる勢力を持ちながら、自らは王とならず、懸命に皇位を継ぐべき皇系を探し出します。

その後継者が26代・継体天皇です。

都からはるか遠い片田舎におられ、しかも応神天皇の「五世の孫」という、令の制度で皇族にやっと入るか入らないかという、遠い血縁です。

それでも、物部氏、許勢氏らの大族も一致して、「皇系の中から十分選んでみると、天皇(王)たるべきお方は、ただ男大迹王(おおどのおおきみ)おひとりだ」といい、決めたのです。

大伴氏は、自分が王になれたかもしれないのに何故皇統にこだわったのでしょうか?

(例)その2
平安時代、藤原氏が天皇の外戚となり実権を握りました。栄華を誇った藤原氏でさえ、天皇になれませんでした。

(例)その3
平家は皇族が臣下に下り武士になった一族です。皇族の血筋ですから、天皇になる資格は一応あり、天皇を倒し自らが天皇になっても問題はなかったのでは?と思うのです。

しかし、平家は藤原氏と同じく天皇の外戚になり権力を握りました。

何故?平家は天皇になろうとしなかったのでしょうか?

(例)その4
源氏も平家と同じく皇族が臣下の籍に降り、武士になった一族です。しかし、彼らも天皇を倒さず、幕府を開きました。

承久三年、鎌倉幕府の執政・北条義時は、武家政権の支配者として、後鳥羽上皇の朝廷軍と戦いました。

「増鏡」によれば、この時、北条義時の息子北条泰時が「天皇が戦いの場にいたら、どうしたらいいか?」と問いました。

その問いに北条義時は、「その時は兜をぬぎ、弓の弦を切って降伏せよ。そうでなければ、千人が一人となっても戦え」と答えています。

この時代の武士の代表である義時には、「ただびと」となった上皇とは戦えても、天皇に弓引くことは出来なかった。それは、何故でしょうか?

(例)その5
また、室町幕府は、天皇を推戴することによって、自分達の正当性を示しています。戦国時代、徳川幕府などは保護者として、天皇を守護してさえいました。

破天荒な人物である織田信長でさえ、天皇を倒さなかった。それは何故でしょうか?

(例)その6
最後に、連合国は何故、日本から「天皇制」を無くそうとしなかったのでしょうか?

アメリカは天皇制を廃止し、天皇を戦犯容疑者として裁判にかけるという方向でほぼ固まっていました。

また、戦後連合国は、アメリカ合衆国、イギリス、ソ連、中華民国の連合国での日本分割統治する案も検討していました。

彼らは、天皇制を無くせば日本の団結がバラバラになることであろうことは知っていたはずです。天皇制を無くし、四つの国で日本を統治しなかったのは何故でしょうか?


(感想)
(例)1~5までは、日本人です。日本人は「天皇陛下」の「権威」に「畏れ」を抱き倒そうとしなかったのではないかという仮説ができます。

また、前回の感想で説明した、民に守られていたのではないかという説。

しかし、(例)その6は外国人です。外国人である彼らが何故、「天皇陛下」を倒さなかったのか?

理由の一つに、マッカーサーの決断があります。

戦後、昭和天皇は連合国軍最高司令官・ダクラス・マッカーサーと会談しています。
その際、昭和天皇は、

「責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命するところだから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうとも構わない。私はあなたにお任せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」
引用:「侍従長の回想」 藤田尚徳 講談社学術文庫

マッカーサーは、この自分の身を諾してでも日本国民を助けたいという昭和天皇の態度に感動し天皇家存続の決意を固めたようです。

天皇家存続には、日本国民の心をまとめ統治しやすいという実利的な面もあったでしょう。

また、マッカーサーは、もしも天皇を処刑すれば心のよりどころを失った日本国民は、一挙に共産党体制へとなだれこむおそれがあるとアメリカ政府を「脅して」います。

しかし…全権を持っていたとしても、たった一人の決断で、日本を統治する権利を放棄するなど…考えられませんねぇ。当時、裏舞台では、何が行われていたのでしょうか…
気になります。

…考えれば、考えるほど謎が深まります。やはり、歴史史上最大の謎です。


出典:朝日新聞 

あっでも、上の写真を見れば、「陛下」を処刑したらどうなるかは…想像できますね。
(戦後・昭和天皇、広島県御巡行・昭和22年12月7日)

続く

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