本日も、お気に入りの本
「土器手帳」を参考に
土偶について語りたいと思います。
(一部引用させていただいただきます)
東北の土偶の特徴
縄文といえば
東北を思い浮かる人は多いと思います。
しかし、遺跡の数でいうと、
東北は関東に次いで2番目です。
遺跡の数というより、
東北で作られた土偶や土器、
環状列石などの祭祀場に、
縄文人の世界観が
色濃く残されていることに
由来しているようです。
東北がずっと
縄文の中心として繁栄していたかというと、
実はそうではありません。
縄文時代は1万年以上続き、
そのうち、東北での活動が活発になったのは、
今から約5000年前の
中期から晩期だと考えられています。
当時は、木の実がたわわに実り、
山菜が森に生い茂るなど、
食料も比較的安定していました。
植物食料資源だけではなく、
サケやマスなどのタンパク質も
生活には欠かせないものです。
森に暮らす動物に比べて、
サケやマスは比較的獲りやすい。
そこでそれらを捕獲し、
干物や燻製にして保存食を作り、
食料が乏しくなる季節に備えました。
現在行われている漁業方法の7割は
縄文時代に考え出され、
改良を重ねながら
今もその時の方法で
行われているという説もあるほどです。
縄文時代の最古の遺跡は九州南部に多く、
その後、人々は気候による
植生の変化と共に長い年月をかけ、
食料を求め北上し、
ついには東北の地で、
縄文文化を熟成させました。
感想
縄文時代と言うと、
東北と言うイメージが確かにありました。
三内丸山遺跡の
イメージが強いためでしょうか。
また、遮光器土偶の
イメージのためでしょうか。
弥生文化の伝来が遅かったのも
影響しているのかもしれませね。
しかし、縄文時代の人々が
干物や燻製を作っていたとは驚きです。
また、
先日勉強した、
編み籠作りに引き続き、
漁業方法も縄文時代にほぼ完成していたとは、
縄文人の技術力に驚きます。
外国の歴史情報は、
そこそこにして、
もっと、日本の歴史を詳しく
教科書に是非載せて欲しいものです。
国宝
合掌土偶(がっしょうどぐう)
出典:Wikipedia
時代は縄文後期
青森県八戸市・風張1遺跡から出土
現在は、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館
土偶のサイズは19.8cm
ポーズ土偶といわれる土偶の一種。
両手を合わせているところから
「合掌土偶」と名付けられましたが、
少し開いた脚の表現から
座産を表現したのではないかと
いう説もあります。
作られた当時は全身が赤色だったそうです。
脚には、
天然アスファルトで修復した痕があり、
持ち主にとっては、
なくてはならない存在だったことを
伺わせます。
竪穴住居の入り口から
一番おくまった壁際で、
右足が離れた状態で発見されました。
祭壇のような場所から
落下したと考えられています。
感想
自分のなかで、
三本の指に入る
お気に入り土偶です。
なにが何いいって、
顔。
何とも言えない表情。
ただ削って書いた顔ではなく、
凹凸をつけている。
凝った作りに、
縄文人の職人魂を感じます。
また、
アスファルトで修復されていた。
と言う事実に驚きです。
アスファルトが
縄文時代から使われていたとは。
秋田県から青森県まで、
どのようにして運んだのでしょうか?
遠くから運ばれた物ですから、
高価なものとの交換だったに違いない。
それでもなお、修復したとは。
本当に大切に扱われていた土偶ですね。
家内安全の神様として
祀られていたのでしょうか?
大型十字形土偶
(おおがたじゅうじがたどぐう)
出典:東京国立博物館ホームページ
時代は縄文中期
青森県青森市・三内丸山遺跡から出土
現在は、
縄文の丘 三内まほろばパーク「縄文時遊館」
サイズは32・5cm
十文字土偶の代表的な土偶です。
板状の身体の前後には、
ほぼ対象に縄文で模様が付けられています。
耳には当時の人々が付けていたとされる
丸い耳飾りがはっきりと表現されています。
頭の上は凹んでおり、
北陸地方で発見される
「河童土偶」に似ています。
また、
両腕を広げた形は
東日本で見られる作りです。
首と胴は90Mも離れた場所で
見つかっています。
感想
様々な地方の様式が取り入れられた土偶。
地方交流がなされていたことが
よくわかります。
また、
土偶。
パーツがバラバラな場所で見つかっています。
それは何故でしょうか?
土偶の役割に関係する可能性が高いですね。
やはり、
呪術として使われたものでしょうか?
身体の悪い部分を壊し、
身代わりとして埋めたのでしょうか?
山内丸遺跡では、
この十字形土偶が、沢山出土しています。
十字形…気になりますね。
十字架、キリスト、青森県。
遮光器土偶
(しゃこうきどぐう)
出典:岩手県立博物館ホームページ
時代は縄文晩期
岩手県盛岡市・手代森遺跡より出土
現在は岩手県立博物館
土偶のサイズは31.0cm
捨て場から発見されたときは、
バラバラだったといいます。
その破片をすべて拾い集め、
身長につなぎ合わせ、
現在のような完全に近い状態に
復元することができたそうです。
中身が空洞であるため、
つなぎ合わせるのもひと苦労したはずです。
頭や胴の破片には、
ベンガラで付けられた朱色が
塗られていたそうです。
感想
きた〜!
遮光器土偶。
まじ、一番好きな土偶です。
なんとも言えない顔。
やはり…頭はヘルメットでしょうか?
服装も何処となく、宇宙服。
紹介した土偶とは、
ちょっと形が違いますが
自分の実家の町でも、
遮光器土偶が出土しています。
それも、何かキュートです。
しかし、
バラバラになっていた
破片をつなぎ合わせるとは、
どれほど労力を払ったのでしょうか。
今、
ほぼ完全体を見ることができるのも、
修復した方々のおかげです。
ありがとうございます。
うーむ。
土偶見に行きたい。
国宝
縄文の女神
(じょうもんのめがみ)
出典:Wikipedia
時代は、縄文中期
山形県最上郡舟形町・西ノ前遺跡から出土
現在は、山形県立博物館
土偶のサイズは45.0cm(国内最大)
縄文中期の東北地方を代表する土偶です。
一度見たら忘れられない、
この磨かれたフォルムは、
角柱上の安定した脚の上に、
板状の上半身が奇跡のバランスで
乗っています。
生焼けにならぬよう、
脚の底を数cm掘るという工夫が
されています。
感想
やはり、
美しい土偶ですね。
ビーナスと名付けられたことに納得です。
横から見ると、
よく倒れないと思うような
絶妙なバランスですね。
下半身の工夫に感嘆。
試行錯誤の末に辿り着いたのでしょうか。
しゃがむ土偶
出典:福島市ホームページ
時代は縄文後期
福島県福島市・上岡遺跡から出土。
現在は、じょーもぴあ宮畑 体験学習施設
土偶サイズは21・5cm
頭が山のような形から
「山形土偶」の一種と考えられています。
また、腰を下ろした姿勢は
特別な祈りを捧げていたとも
考えられています。
感想
いったい、
何のポーズでしょうか?
現代と同じくストレッチ?
それとも何かの儀式の
ダンスのポーズでしょうか?
気になりますね。
やはり、東北の土偶の表情。
好きですね。
さて、今日はこれにて。
明日も縄文時代シリーズ続きます。
最後まで読んで頂き
ありがとうございました。