リートリンの覚書

縄文時代・縄文人の祈り


太古の祈り

縄文時代には
今のような神社やお寺などありません。

その代りに集落や周辺の人々が
集まって祀りを行っていました。

自然界の霊的存在を感じ、
それらと共に生きていたと思われる彼らは、

特定の存在に祈るというよりは
色々なものに対して
祈りを捧げるといった具合だったようです。


祈りの場で使われた道具

土器や石器のような
明確な使用用途が想像しにくい
土偶や石棒は、

祈りの道具として
使われていたのかもしれません。



ストーンサークルと時の流れ

縄文時代の人々は
1年の大きな時間の流れは
分かっていたと思います。

ストーンサークルの作られた理由は、
諸説ありますが、

縄文時代の日時計だったのではないかと
言われるものがあります。

秋田県鹿角市にある大湯環状列石は
直径44mと52mの2つの環状列石で、

内側にそれぞれ直径15m前後の
サークルがあり、

「日時計」と呼ばれる
立石のある不思議な遺跡です。

その下は共同墓地になっていると
考えられているようです。

この遺跡からは
祭祀に使われていたと思われる
土偶、土器、石器も多数出土しています。
出典:鹿角市ホームページ

石棒

縄文時代には
男性器を模したとされる
「石棒(せきぼう)」
といわれるものが作られています。

女性を象ったとされる土偶に対して、
男性を象った石棒が
東日本を中心に

縄文時代中期から後期にかけて
盛大に作られ始め、

その後、
縄文時代が終わるまで続きました。

大きなものは2m以上のものもありますが、
場所と時代によって、
その大きさも変化していきました。

男性器を象ったといっても
太さも大きさも様々で、
模様が刻まれているものもあります。

石をコツコツ削り、形を整え、
表面を磨くわけですから
相当な時間がかかったはずです。

にもかかわらず、
これらのほとんどが
火にかけられ割れた状態で
見つかっています。

石棒は土偶と同じように
祈りの道具として使われていたとされ、

祭祀が済んだあとに集落内に立てておき、
一定期間が経った頃に、
焼いて打ち割り廃棄した、
という説もあるようです。
出典:Wikipedia

「炉」について

炉の火床は、
カチカチのレンガ状になって
発見されることから、
常時、
火が焚かれていたことが推測されます。

「食」を支える大切な場所なのだから、
火を守っていたのだろう
と考えるのが一般的だと思います。

しかし、イエの炉では、
煮炊きをはじめとする調理が
おこなわれた痕跡が見当たらないそうです。

様々な断片を繋ぎ合わせると、
縄文人の食事の支度は
もっぱら野外でされていたようです。

さらに調べると、
縄文竪穴住居の炉は
照明でも暖炉用でもないことが
分かってきました。

それでも火を守り、
こだわり続けてきたことは、
用途の分からない
土偶や石棒と同じく
祭祀道具なのかもしれません。

炉の存在は、
縄文人にとってイエが
単なる寝起きする空間ではなく、
聖なる空間だったのかもしれません。


感想

環状列石。
気になる遺跡のひとつです。

以前、記事に書いたと思うのですが、

学生時代、
日本史を勉強した内容全く覚えていません。

今にして思えば、
忘れてしまいたいほど、
偏った内容だったのだと思います。
(今の教科書も偏向しているけどね)

大分大人になってから
歴史に興味が湧き、
勉強し始めて、
地元に環状列石がある事を知りました。

身近にあったのに…見たことが無い。

酷く残念。

せっかく地元に環状列石があるのですから、
いつか、調べてみたいと思います。

石棒に関しては、
めちゃくちゃ手間暇かけて作ったのに、

火にかけて焼いていたとは、
驚き‼️

まぁ、
子宝祈願の儀式で使い、
願いが叶ったら、
自然に返したのかな?

さて、「炉」に関しては、
参考にした本に
家の中で調理した、と書かれてあったり、

今日ご紹介した説、
家の中で調理はしていなかった、と書かれてあったり、

どっちやねん!

と疑問に思い、ネットで調べたら

屋内で調理したとも、

屋外の炉で調理し、
室内の炉は調理に使わなかったと。

どっちもありでした😓

これは、困りましたね。

専門家が意見が割れているので、
どっちもありって事で😅

個人的には、
時代や地域で
炉に関しての考え方が違うのかな?
と思います。

神聖な場と考えていたとしたら、

つまり炉は、
その結界を作り出す道具だった。

家とは、
安全な結界内だったのではないでしょうか。

なーんてね。
今日も厨二病的。

さて、長〜く続いた縄文シリーズ。
いかがだったでしょうか?

教科書では、
肝心な事が省かれ、
ほんの数ページにまとめられてしまっている。

それは、
とても残念な事だと思います。

何故なら、
縄文人の心は、
連綿と受け継がれ
我々の中に生きているからです。

少しでも、
多くの人に知っていただきたい。

自然と共存し、
心の中で神との繋がり、
自由・平和・平等を
愛した縄文人たちのことを。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


参考にさせて頂いた本)

・入門 縄文の世界 監修小林達雄

・知られざる縄文ライフ 著者 譽田亜紀子 監修 奈良女子大学教授 武藤康弘

大変勉強になりました。
興味のある方は、是非読んでみては。


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