日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 十六
・蝦夷の僧に仏具を与える
・柏原広山を土佐国に流す
秋七月一日、
陸奧(みちのく)の蝦夷の
沙門の自得(じとく)が請うところの、
金銅の藥師佛像、觀世音菩薩像、
各々一軀、
鍾(かね)、娑羅(さら)、
宝帳(ほうちょう)、
香炉、幡(はた)等の物を付け賜りました。
この日、
新羅の弔使の、
金道那(きんどうな)等が帰りました。
十五日、
左右京職、及び諸々の国司に詔して、
射(いくさ)を習う所を築かせました。
二十日、
偽の兵衛、
河内国(かふちのくに)の
渋川郡(しぶかわのこおり)の人の
柏原広山(かしわはらのひろやま)を
土左国に流しました。
追廣參を、
偽の兵衞廣山を据えた、
兵衞の生部連虎(みぶべのむらじとら)に
授けました。
二十三日、
越の蝦夷の八釣魚(やつりな)等に
賜りましたが、
各々差がありました。
(魚、これは儺(な)といいます)
(感想)
(持統天皇3年)
秋7月1日、
陸奥の蝦夷の僧の自得が請願した、
金銅の薬師仏像、観世音菩薩像、
各々一体、
鍾、娑羅、宝帳、香炉、幡らの物を
授け与えました。
この日、
新羅の弔使の金道那らが
帰国しました。
15日、
左右京職、および諸々の国司に詔して、
射を習う所を築かせました。
20日、
にせの兵衛、
河内国の渋川郡の人の柏原広山を
土左国に流しました。
にせの兵衛広山を捕らえた、
兵衛の生部連虎に、
追広参を授けました。
23日、
越の蝦夷の八釣魚らに、
物を与えましたが、
各々差がありました。
(魚、これは儺(な)といいます)
明日に続きます。
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