日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 十九
・仏法の始まり
すなわち、
三の尼をもって、
氷田直(ひたのあたい)と
達等(だちと)に付けて、
衣食を供えさせました。
仏殿を宅の東方に経営し、
彌勒の石像を安置しました。
三の尼を屈請(くっしょう)し、
大会(だいえ)の斎を設けました。
この時、
達等は仏舎利(ぶっしゃり)を
斎食(いもい)の上で得ました。
即、
舎利を馬子宿禰に献じました。
馬子宿禰は試しに、
舎利を
鐵(くろがね)の質(あて)に置いて、
鉄鎚を振るい打つと、
その質(あて)と鎚は、
悉くこなごなに壊れましたが、
舎利は
打ち砕かれることはありませんでした。
また、
舎利を水に投じましたが、
舎利は心の願う所に随い、
水に浮沈(ふちん)しました。
これによりて、
馬子宿禰(うまこのすくね)、
池邊氷田(いけへのひた)、
司馬達等(しめだちと)は、
深く仏法を信じ保って、
修行を解くことがありませんでした。
馬子宿禰は、
また石川の宅に、
仏殿をつくりました。
仏法の初めは、
ここよりおこりました。
・大会(だいえ)
規模の大きい法会。大法会。
・屈請(くっしょう)
1・神仏の来臨を祈り願うこと2・法会(ほうえ)に僧侶をまねくこと
・斎食(いもい)
=さいじき・1・仏語。正しいきめられた時にとる食事。正午の食事。在家でも、特に八斎戒をまもる斎日には、正午を過ぎてからは食事をしない。2・法要その他の仏事のおり、供せられる食事。
・仏舎利(ぶっしゃり)
釈迦仏の骨
・鐵質(くろがねのあて)
=鉄敷(かなしき・鍛造や板金作業で、工作物の下にあてる鋳鉄または鋳鉄製の作業台)
・浮沈(ふちん)
1・浮くことと沈むこと。浮き沈み
・石川
橿原市石川町
(感想)
(敏達天皇13年)
そこで、
三人の尼を、
氷田直と達等に付けて、
衣食を供えさせました。
仏殿を宅の東方に経営し、
彌勒の石像を安置しました。
三人の尼を法会(ほうえ)に招き、
大会(だいえ)の斎を設けました。
この時、
達等は供せられた食事の上で
釈迦仏の遺骨を得ました。
すぐに、
釈迦仏の遺骨を馬子宿禰に献上しました。
馬子宿禰は試しに、
釈迦仏の遺骨を作業台の上に置き、
鉄鎚を振り下ろし打つと、
その作業台と鎚は、
悉くこなごなに壊れましたが、
釈迦仏の遺骨は
打ち砕かれることはありませんでした。
また、
釈迦仏の遺骨を水に投げ入れましたが、
釈迦仏の遺骨は、
心の願うまま、
水に浮き沈みしました。
このことにより、
馬子宿禰、池邊氷田、司馬達等は、
深く仏法を信じ、
修行を怠ることがありませんでした。
また、馬子宿禰は、
石川の宅に、
仏殿をつくりました。
仏法の初めは、
ここよりおこりました。
食物から骨を得たとは…
ほんまに、
仏舎利なのか?
馬子宿禰が確かめたことに頷けますが…
このお話、
胡散臭いと感じるのは、
私だけでしょうか?
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました
ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。