日本書紀 巻第四
大日本根子彦太瓊天皇
(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
孝霊天皇
(こうれいてんのう)
大日本根子彦太瓊天皇は、
日本足彦国押人天皇
(やまとたらしひこくにおしひと・孝安)
の嫡子です。
母は押媛といいます。
おそらく天足彦国押人命
(あまたらしひこくにおしひと)の娘でしょう。
天皇は、
日本足彦国押人天皇の
七十六年の春・正月に、
皇太子となりました。
百二年の春・正月に、
日本足彦国押人天皇が崩御なされました。
秋・九月十三日、
日本足彦国押人天皇を
玉手丘の上の陵に葬りました。
冬・十二月四日、
皇太子は都を黒田に遷しました。
これを廬戸(いわと)の宮といいます。
元年、春正月十二日、
皇太子が天皇に即位しました。
(孝安)皇后を尊び皇太后としました。
この年、太歳は辛未(かのとひつじ)。
二年、春・二月十一日、
細媛命を立てて皇后としました。
また一書では、
春日千乳早山香媛(かすがのちちはややまかひめ)。
また別の一書では、
十市(とおち)の県主らの祖の
娘・真舌媛(ました)と伝えています。
后は、
大日本根子彦国牽天皇
(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
を生みました。
妃の倭国香媛(やまとのくにかひめ)
(またの名を緪某妹(はえいろね))は、
倭迹迹日百襲姫命
(やまとととひももそひめのみこと)と
彦五十狭彦命
(ひこいさせりびこのみこと・
またの名は吉備津彦命(きびつひこのみこと))と
倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)
を生みました。
また、
もうひとりの妃・緪某弟(はえいろど)は、
彦狭嶋命(ひこさしまのみこと)、
稚武彦命(わかたけひこのみこと)
を生みました。
弟の稚武彦命は、
吉備臣(きびのおみ)の始祖です。
三十六年、春・正月一日、
彦国牽尊を皇太子としました。
七十六年、春・二月八日、
天皇が崩御なされました。
・黒田
田原本町黒田