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リートリンの覚書

123・日本の神様・髪長媛・諸県君牛諸井 改訂版


123・日本の神様

・髪長媛
・諸県君牛諸井


髪長媛
(かみながひめ)


諸県君牛諸井の娘
日向の美人


別名


日向髪長媛(ひむかのかみながひめ)
髪長比売(かみながひめ)


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“ある人が奏して、「日向の国に嬢子がいます。名は髪長媛といいます。諸県の君、牛諸井の娘です。国色之秀者です」といいました。”

ある者から、
日向の諸県君牛諸井の娘が美人だと聞き、
娶りたいと思った応神天皇は、

応神天皇13年春3月に使者を遣わして、
髪長媛を召し出しました。

秋9月中旬、
髪長媛が日向からやってきました。
そこで、桑津邑に安置しました。

この時、
皇子・大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が
髪長媛を見染めました。

それを知った天皇は、
後宮で宴会する日に初めて髪長媛を呼び寄せ、
宴席に座らせました。
そして歌を詠い、
髪長媛を大鷦鷯尊に授けました。

その後、
髪長媛は大鷦鷯尊の妃となりました。

巻第十一 本文では、

仁徳天皇2年春3月8日、

妃の日向髪長媛は、
大草香皇子(おおくさかのみこ)、
幡梭皇女(はたびのひめみこ)を生みました。


そのほか


・髪長媛は現在の宮崎県都城市早水町の早水神社の早水池のほとりに生まれたという伝説があります。


祀る神社


早水神社(宮崎県都城市)


日向諸県君牛
(ひむかのもろがたのきみうし)


髪長媛の父


別名


牛諸井(うしもろい)

日向之諸県君牛諸

(ひむかのもろがたのきみうしもろ)



「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“ある人が奏して、「日向の国に嬢子がいます。名は髪長媛といいます。諸県の君、牛諸井の娘です。国色之秀者です」といいました。”

本文では、
名前のみの登場ですが、
一書で詳しい活躍が記載されています。

朝廷に仕えていた諸県君牛は
年老いて仕えることが出来なくなりました。

そこで本国へ戻り退きました。
そして娘・髪長媛を献上しました。

始めて播磨に到着した時。
この時、天皇は淡路島に行幸し、
狩をしていました。

天皇が西を望むと、
数十頭の大鹿が海に
浮かんでくるのが見えました。

そこで使者を遣わして視察させると、
それは角のついた鹿皮を
衣服にしていた人でした。

使者が誰かと問うと、
諸県君牛は致仕しましたが、
朝廷を忘れることができず、
そういうわけで、
娘の髪長媛を献上しますと、
答えました。

天皇はよろこんで、
御船に呼び寄せて仕えさせました。


祀る神社


早水神社(宮崎県都城市)



勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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