goo blog サービス終了のお知らせ 
見出し画像

リートリンの覚書

散策日記 永代橋周辺


前回は、木場駅を出発、神社や史跡を巡りながら永代通りを西に進みました。今回は、永代橋周辺を散策します。

永代橋

 永代橋は、隅田川にかかる橋です。東京都道・千葉県道10号東京浦安線を通しています。国の重要文化財となっています。

 創架は元禄11年(1698年)3月25日で、徳川家康の江戸入府から江戸時代にかけて隅田川に架橋された5つの橋のうち、4番目です。

 架橋は江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の誕生から50歳を祝う記念事業として造られました。

 「永代橋」の名の由来は、架橋された江戸対岸にあった中洲の永代島にちなみます。


永代橋を渡りましたら、すぐに右手に曲りました。白い橋が見えてきました。

豊海橋(とよみばし)



 中央区民文化財
豊海橋
所在地 中央区新川一丁目 日本橋箱崎町(日本橋川)
 現在の豊海橋は、大正15年(1926)五月起工、昭和二年(1927)九月に竣工。
 日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁です。橋の歴史は古く、江戸時代中期には豊海橋(別名「乙女橋」がありました。この辺り新掘河岸と呼ばれ、諸国から廻船で江戸に運ばれた酒を陸上げする所で、川に沿って白壁の酒倉が並んでいました。
 明治期に豊海橋は鉄橋になり、大正十二年(1923)の関東大震災で落橋してしまいました。復興局は新規に設計を土木部の田中豊に依頼、実際の設計図は若手の福田武雄が担当。隅田川支流の河口部の第一橋梁はデザインを一つ一つ変えて区別しやすく工夫していきました。それは隅田川から帰港する船頭に対する配慮でした。
 福田武雄はフィーレンデールの案出した橋梁デザインを採用し、梯子を横倒しにした様な外観で重量感のある豊海橋を完成しました。この様式は日本では数カ所あるのみで近代の土木遺産としても貴重な橋で、区民有形文化財に登録されています
平成十四年三月 中央区教育委員会





中央区民文化財
豊海橋(とよみばし)
所在地 中央区新川1丁目 日本橋箱崎町(日本橋川)
 現在の豊海橋は、大正十五年(1926)五月起工、昭和二年(1927)九月竣工。
 日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁です。橋の歴史は古く、江戸時代中期には豊海橋(別名「乙女橋」)がありました。この辺りは新掘河岸と呼ばれ、諸国から廻船で江戸に運ばれた酒を陸上げする所で、川に沿って白壁の酒倉が並んでいました。
 明治期に豊海橋は鉄橋になり、大正十二年(1923)の関東大震災で落橋してしまいました。復興局は新規に設計を土木部の田中豊に依頼、実際の設計図は若手の福田武雄が担当。隅田川支流の河口部の第一橋梁はデザインを一つ一つ変えて区別しやすく工夫していました。それは隅田川から帰港する船頭に対する配慮でした。
 福田武雄はフィーレンデールの案出した橋梁デザインを採用し、梯子を横倒しにした様な外観で重量感のある豊海橋を完成しました。この様式は日本では数ヶ所あるのみで近代の土木遺産としても貴重な橋で、区民有形文化財に登録されています。
平成十四年三月 中央区教育委員会

豊海橋、白くて美しい橋ですね。

しかし、説明書きを読むまで知りませんでした。鉄橋が落橋関東大震災の惨状を物語っています。

恐ろしや。
天災は忘れた頃にやって来る
防災意識を忘れないようにしましょう。

さて、豊海橋を渡り江戸時代の永代橋西詰のあった場所へ行きました。


永代橋
 元禄11年(1698)に架橋された木造の永代橋は、現在の永代橋の場所よりも約150m上流のこの付近に架けられていました。橋名の由来は、当時このあたりが永代島と呼ばれていたことから名付けられたようですが、一説には五代将軍綱吉の50歳を迎えた記念として名を付けられたとも伝えられています。江戸時代には橋桁が高く取られたこともあり、橋上からは”西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総、限りなく見え渡り眺望よし”などといわれるほど美しい景色が広がっていました。
 歌川広重が江戸後期に描いた「東都名所永代橋全図」には、隅田川河口のこの辺りに多数の廻船が停泊している様子がうかがえます。また、永代橋西詰のにぎわいとともに、幟が立つ高尾稲荷社へ参詣する人びとの姿もみられ、詩情豊かな情景が描かれています。
 なお、永代橋が現在の場所に移されたのは明治30年(1897)のことで、道路橋としては初めてとなる鋼鉄橋に生まれ変わりました。その後、関東大震災で被災したため、大正15年(1926)に現在の橋へと架け替えられました。上流に架かる清洲橋の女性的で優美な雰囲気とは対照的に、男性的で重厚感あふれる永代橋は、隅田川の流れとともに広く都民に親しまれています。
2019年
中央区

注)一部、説明書きが撮影しきれず、書かれていた説明の一番最後の部分がわからなくなってしまいました。
多分、中央区教育委員会と書かれていたと思うのですが。
すみません。


 江戸時代の永代橋西詰の辺りで佃島方面を撮影しました。

 この場所も、名所江戸百景 第4景 「永代橋佃しま」で描かれています。「永代橋佃しま」に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。気になる方は是非ご覧ください。





その後は、茅場町へ向かい、帰路につきました。

今回の散策
地下鉄東西線「木場駅」~「茅場町」

橋の魅力に取り憑かれてしまったようで、橋の説明ばかりですみません。

しかし、記事に改めますと、鉄橋いい!
いつの日か、橋見学巡りできたらいいなぁ。

さて、次はどこを散策しましょうか。
それではまた。

読んで頂き
ありがとうございました。


ランキングに参加中。励みになります。
ポッチっとお願いします。
にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「散策日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事