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リートリンの覚書

散策日記・京急線沿線 立会川駅

散策日記・京急線沿線

今回(2021.10)の散策は、
京浜急行・立会川駅から開始しました。

立会川駅(たちあいがわえき)
東京都品川区東大井二丁目にある京浜急行電鉄本線の駅です。

駅を出ましたら、立会川商店街を進みました。

途中、北浜川児童遊園で坂本龍馬像を発見。

龍馬像、マスクをしていました。

でも、お顔がよくわからん。


龍馬が世界と出会ったまち品川

 ペリーが初めて来航した嘉永6年(1853)、19歳の坂本龍馬は藩からの許可を得て江戸で剣術始業中でした。
 土佐藩は立会川河口付近にあった下屋敷(今の品川区東大井)警備のため、江戸詰めの武士を動員し、龍馬もその中に加わりました。
 同年9月には『異国船処々来り候へば、軍(いくさ)も近き内を存じ奉り候、其節は異国の首を打ち取り…』と、父親に手紙を書いています。
 品川での黒船警固から、龍馬の幕末は出発したのです。 


立会川 二十歳の龍馬像

 嘉永6年(1853)黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬(1835~1867)は土佐藩品川下屋敷の近くにあった浜川砲台の警護にあたります。
 当地は後に海運貿易の亀山社中の設立・薩長同盟の斡旋など、近代を切り拓いた龍馬が志を立てたゆかりの地と言えます。

 地元有志、品川龍馬会の人々のはたらきで、桂浜にあるものと同じ姿の龍馬像が高知市の寄贈により設置されていましたが、近頃の時代の閉塞感とあいまって、龍馬の事績に思いを到す人々の、ブロンズ像であればとの強い願いを受けて、東京京浜ロータリークラブは関係者と密に語らい議って、二十歳の龍馬像としてこれをここに建立したものです。

 なお、この像には、平成11年修復時の高知県桂浜の像の金属片が溶かし込んであります。

おー。
江戸時代には、龍馬がこの辺りを歩いていたのですね。感慨深い。

さらに進み、旧東海道に出たら浜川橋方面に進みました。

浜川橋(泪橋)


浜川橋(はまかわばし)

 立会川が海に注ぐこの辺りの地名の浜川から名付けられたこの橋は、またの名を「涙橋」ともいいます。
 この橋が架けられたのは、徳川家康が江戸入府後の1600年頃と思われます。現在の橋は、昭和9年(1934)に架け替えられたものです。

涙橋の由来

 慶安四年(1651)、品川にお仕置きば(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は裸馬に乗せられて江戸幕府から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、「涙橋」と呼ばれる様になりました。

平成13年3月30日
品川区教育委員会


浜川橋を渡った後すぐ側ににある、天祖・諏訪神社を参拝しました。

天祖・諏訪神社

東京都品川区南大井にある神社です。昭和40年(1965年)に天祖神社と諏訪神社が合祀してできました。

天祖・諏訪神社に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非ご覧ください。


天祖・諏訪神社を参拝した後は、旧東海道をさらに進み競馬場通りに出ましたら、左折し、大井競馬場方向に進みました。

競馬場通りと羽田線との交差点に出ましたら、品川区立なぎさ会館の側の道を進みました。

勝島運河


1939年(昭和14年)京浜弟一区埋立地として東京都により埋め立てが開始されました。1949年に勝島ができ、その後1987年に運河の一部を埋め立てて、勝島西側は勝島運河、南側は勝島南運河となりました。
水際には柵がなく、水面間近まで行くことができます。春には、桜が満開となります。


ここの場所は、名所江戸百景・第109景 「南品川鮫洲海岸」で描かれています。
当時の面影がかなり残っている場所で、美しい景色でした。

名所江戸百景に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非ご覧ください。


勝島運河を見学しましたら、再び立会川駅に戻り、電車で移動しました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。

リンクを貼ったのですが、
うまく飛びません。

お手数ですが、興味ある方は私の別ブログのホームから、記事を探してください。



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