日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 二十七
・仏法についての詔
・売られた者への処遇
二月一日、
天皇は、公卿等に詔して、
「卿等よ。
天皇の世に、佛殿、經藏を作り、
月に六齋(ろくさい)を行った。
天皇は、時々、大舍を遣わして、
問訊(もんじん)した。
朕の世にもまた、これの如くしよう。
故に、當勤(ねんごろ)な心で、
佛法を奉るように」
といいました。
この日、
宮人に位記を授けました。
三月三日、
公卿と西の庁で
宴(とよのあかり)をしました。
五日、
天皇は、公私の馬を御苑で観ました。
二十二日、
詔して、
「もし、
百姓の弟が、
兄のために売られることがあったなら、
良に従うように。
もし、
子が父母のために
売られることがあったなら、
賤に従うように。
もし、
貸倍(かりもののこ)によって、
賤にしずんだなら、
良に従うように。
その子は、
たとえ奴婢を配して生まれたとしても、
また皆、良に従うように」
といいました。
夏四月一日、
詔して、
「もし、
氏の祖の時に、
奴婢を免ぜられ、
既に籍から除かれた者は、
その眷族(やから)等が、
訴えて、
我が奴婢と言うことはできない」
といいました。
大學博士の上村主百済
(うえのすぐりくだら)に、
大税(おおちから)・一千束を、
賜りました。
その學業を勧めました。
十一日、
使者を遣わして、
廣瀬の大忌神と龍田の風神を祭りました。
十六日、
天皇は吉野宮に幸しました。
二十二日、
天皇は、吉野宮から帰りました。
・六齋(ろくさい)
仏語。特に身を慎み持戒清浄であるべき日とされた6日
・問訊(もんじん)
問いたずねること。聞きただすこと。訊問
・大税(おおちから)
=たいぜい・日本の律令制の下において令制国国衙の正倉に蓄えられた稲穀・穎稲(えいとう)を指す
(感想)
(持統天皇5年)
2月1日、
天皇は公卿らに詔して、
「卿らよ。
天武天皇の世に、
仏殿、経蔵を作り、
月ごとに六斎を行った。
天皇は、時々、大舍人を派遣して、
問いたずねた。
朕の世にもまた、
このようにしようと思う。
こういうわけで、
心を込めて、仏法を奉るように」
といいました。
この日、
宮人に位記を授けました。
3月3日、
公卿と西の庁で宴会をしました。
5日、
天皇は、公私の馬を御苑で観閲しました。
22日、
詔して、
「もし、
百姓の弟が、
兄のために売られることがあったなら、
良の身分につけるように。
もし、
子が父母のために売られることが
あったなら、
賤の身分につけるように。
もし、
借金の利子によって、
賤になったものは、
良の身分につけるように。
その子は、
たとえ奴婢とつれあって生まれたとしても、
また皆、
良の身分につけるように」
といいました。
夏4月1日、
詔して、
「もし、
氏族の祖の時に、
奴婢を免除され、
既に籍から除かれた者は、
その一族たちが訴えて、
我が奴婢だと、
言うことはできない」
といいました。
大学博士の上村主百済に、
大税・1000束を与えました。
百済が、
学業を勧めた功績をもってのことです。
11日、
使者を派遣して、
広瀬の大忌神と龍田の風神を祭りました。
16日、
天皇は吉野宮に行幸しました。
22日、
天皇は、吉野宮から帰りました。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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