goo blog サービス終了のお知らせ 

リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 四十八 ・新羅、僧を献上する ・大臣が薨去する ・飢餓が起こる ・怪奇が続く



日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 四十八

・新羅、僧を献上する
・大臣が薨去する
・飢餓が起こる
・怪奇が続く



三十三年春正月七日、
高麗王が、
僧・恵灌(えかん)を貢ぎました。

なお、
僧正に任じました。

三十四年春正月、
桃李(ももすもも)が花ひらきました。

三月、
寒く霜が降りました。

夏五月二十日、
大臣が薨(みまか)りました。

桃原墓(ももはらのはか)に葬りました。

大臣は、
すなわち、
稲目宿禰の子です。

性は武略があり、
また、弁才もありました。

三宝(さんぽう)を
恭敬(きょうけい)しました。

飛鳥河の傍に家がありました。

すなわち、
庭の中に小池を開き、

なお、
池の中に小嶋を興しました。

故に、
時の人は嶋大臣といいました。

六月、
雪がふりました。

この歳、
三月から七月に至るまで
霖雨(ながあめ)となりました。

天下は大いに飢え、

老いた者は草の根を噉(だんず)し、
道のはてで死んでいきました。

幼い者は、
乳を含んだまま、
母子共に死んでしまいました。

また、
強盗も窃盗も、
並びに大いに起き、
止むことがありませんでした。

三十五年春二月、
陸奥国(みちのくのくに)で、
狢(むじな)があり、
人に化けて歌を歌いました。

夏五月、
蝿が集まっていました。

それは凝(こ)り、
累(かさ)なって、
十丈(とつえ)となり、

虚に浮かび、
信濃坂(しなののさか)を越え、
鳴る音は雷の如く。

すなわち東の上野国に至り、
自ずと散りました。



・三宝(さんぽう)
仏・法・僧。ここでは仏教
・恭敬(きょうけい)
つつしみうやまうこと
・噉(だんず)
むさぼりくう
・陸奥国(みちのくのくに)
東北地方
・一丈
1丈は約3.0303 m = 3030.3 mm



(感想)

推古天皇33年春1月7日、

高麗王が、
僧・恵灌を献上しました。

なお、
僧正に任じました。

推古天皇34年春1月、
桃李が花ひらきました。

3月、
寒く霜が降りました。

夏5月20日、
大臣が薨去しました。
桃原墓に葬りました。

大臣は、
すなわち、
稲目宿禰の子です。

性質は武略があり、
また、弁才もありました。

仏教を慎しみ敬いました。

飛鳥川の傍に家居していました。

その家の庭の中に小池を開き、

なお、
池の中に小嶋を作りました。

そういうわけで、
時の人は嶋大臣といいました。

6月、
雪がふりました。

旧暦の六月とは、
新暦では
6月下旬から8月上旬ごろにあたります。

6月下旬から8月上旬に雪だなんて、
変ですね。

この歳、
3月から7月に至るまで
長雨となりました。

天下は大いに飢え、

老いた者は草の根をむさぼりくい、
道の脇で死んでいきました。

幼い者は、
乳を含んだまま、
母子共に死んでしまいました。

また、
強盗も窃盗も、
並びに大いに起き、
止むことがありませんでした。

雪が降った上に長雨とは…

何処で大規模な噴火が起き、
異常気象になったのでは?

そこで、
調べてみると、

推古天皇34年は、
西暦でいうと626年です。

唐で玄武門の変が起こった以外
特に書かれていない。

うーむ。

噴火ではないとなると…

思い浮かばない。

しかし何で、
夏に雪…

呪い?

推古天皇35年春2月、

陸奥国で、
ムジナがいて、
人に化けて歌を歌いました。

夏5月、
ハエが集まっていました。

それは凝り固まって重なり合い、
十丈(とつえ)となり、

空に浮かび、
信濃坂を越え、

鳴る音は雷のようでした。

そして、
東の上野国に到着すると、
自然と散りました。

大物政治家の死、
異常気象、
怪奇現象、
虫が大発生…

何でしょう…

仏教を取り入れたことへの、
天神地祇の怒りでしょうか?

それとも、
呪い?

現代人の私ですら
このように考えるのですから

当時の方々は
よりそう思ったのではないでしょうか。

さて、
今後はどうなるのでしょうか。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事