リートリンの覚書

日本の神様67・高倉下・頭八咫烏・日臣命


高倉下
(たかくらじ)


夢で見た神託により、
神武天皇に
霊剣・布都御魂をもたらしました。

・別名 
高倉下命
高倉宇志命
手栗彦命
天筑摩命
熊野耳命

「高倉下」という名は
「高い倉の主」という意味です。

・神格 ?


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“その者は熊野の高倉下(たかくらした)と名乗っていました。その夜、彼は夢を見ました。”

熊野の荒坂津(あらさかのつ)で
舟敷戸畔(ほしきとべ)を
討伐した皇軍ですが、
悪神の毒気により病に伏してしまいます。
その時、
高倉下は武甕雷神から
韴霊(ふつのみたま)を授かり
神武天皇に献上しました。
すると天皇や兵軍が目覚めました。


主な神社 

高座結御子神社(愛知県)
高倉神社(三重県)


頭八咫烏
(やたがらす)


日本神話に登場する烏(からす)。

神武天皇を
大和の橿原まで案内したとされており、
導きの神と信仰されています。

・別名 八咫烏

・神格 ?


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“その夜、夢の中に天照大神が天皇に教えを説いて、「私は今、頭八咫烏を遣わします。そのものを道案内としなさい」という、夢を見ました。その言葉の通り頭八咫烏がいて、空から飛び降りてきました。“

皇軍は内部の土地へ向かおうとしましたが、
山路は険しく、
しかも道が途絶え、
行くことも退くこともできませんでした。
その際、天照大神が遣わした
頭八咫烏が道案内をし、
皇軍は菟田に着くことができたのです。


そのほか


・熊野本宮大社では、
八咫烏は、
熊野本宮大社の主祭神である
家津美御子大神(素戔嗚尊)の
お仕えと言っています。

・「新撰姓氏録」、
八咫烏は高皇産霊尊の曾孫である
賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の
化身であり、
その後、
賀茂県主(かものあがたぬし)の
祖となったとしています。


主な神社

八咫烏神社(奈良県)


日臣命
(ひのおみ)


大伴氏の遠祖
天忍日命(あまのおしひのみこと)の後裔。

・別名 
道臣命(みちのおみ)
厳媛(いつひめ)

・神格 ?


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“大伴氏の遠祖・日臣命(ひのおみ)が、大来目(おおくめ)を率いて、大軍を監督する大将となり、山路を踏み分けて入って行ったが、烏の向かう所を仰ぎ見ながら追いかけていきました。遂に菟田(うだ・奈良県宇陀郡)の下県(しもあがた)に到着しました。”

神武東征において、
八咫烏の先導により久米部を率いて
菟田(宇陀)への道を開きました。
その功績により
神武天皇から名を授かり
改めて道臣としました。


そのほか


・神武天皇自ら高皇産霊尊を
顕斎するときにその斎主に任じられ
「巌媛(いづひめ)」と
号を授けられました。
道臣命は男性ですが、
女性の名を付けたのは、
神を祀るのは女性の役目であった
名残と考えられます。


主な神社

刺田比古神社(和歌山県)
伴林氏神社(大阪府)
住吉大伴神社(京都府)


感想

八咫烏に関しては、
日本サッカー協会のエンブレム
三本足の烏が有名ですね。

その八咫烏、
三本足なんて
かなりインパクトがある姿なのに、
日本書紀では、
その特徴が全く記述されていません。

では、いつ三本足に?

三本足と記述された文献は、
平安時代中期の「倭名類聚抄」で、
この頃に中国や朝鮮の伝承の鳥
「三本烏(さんそくう)」と同一視されて、
三本足となった説があります。

おそらく、
平安時代中期以降から
八咫烏は3本足になったのでしょう。

それ以前の、
日本書紀に登場する八咫烏は、
烏だったのか?
それとも人だったのか?

頭八咫烏は、
神武天皇から褒美をもらい、
後の
葛野主殿県主(かずののとのものあがたぬし)
とあります。

また、
「新撰姓氏録」では、
八咫烏は高皇産霊尊の曾孫である
賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の
化身であるとされています。

日本書紀に登場した八咫烏は、
人だったのでは、
と自分は思っています。

烏は、
使い魔?
なーんてね。

厨二病的な考えでした。

本日は、これにて。

明日も日本の神様シリーズ続きます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。










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