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リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 九 ・天智天皇3年の出来事 一



日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 九

・天智天皇3年の出来事 一



三月、
百濟王の善光王等を、
難波に居らせました。

星が有り、
京の北に殞(お)ちました。

この春、
地震がありました。 

夏五月十七日、
百濟の鎮将(ちんしょう)の
劉仁願(りゅうじんがん)は、

朝散大夫(ちょうさんだいぶ)の
郭務悰(かくむそう)等を遣わして、

表函(ふみひつ)と献物(けんもつ)を
進めました。

この月、
大紫(だいし)の
蘇我連大臣(そがのむらじのおおおみ)が
薨(みまか)りました。

(或る本は、大臣が薨ったのは五月だと注(さ)していると)

六月、
嶋皇祖母命(しまのすめみおやのみこと)が
薨りました。

冬十月一日、
郭務悰(かくむそう)を
発遣(はっけん)する勅の宣べました。

この日、
中臣内臣
(なかとみのうちつまへつきみ)は、

沙門(ほうし)の智祥(ちじょう)を
遣わして、

物を郭務悰(かくむそう)に賜りました。

四日、
郭務悰等を饗賜(きょうし)しました。

この月、
高麗の
大大臣蓋金(おおまへつきみかうこむ)は、
その国で終えました。

兒等に遺言して、
「汝等兄弟は、魚と水の如く、
和やかにして、
爵位(かうぶりくらい)を
争うことなかれ。

もしこれの如くしなかったら、
必ずこのことのために
隣にわらわれるだろう」
といいました。

十二日、
郭務悰(かくむそう)等が
罷帰(まかりかえる)しました。



・献物(けんもつ)
献上品
・発遣(はっけん)
差し向けて行かせること。使者などを派遣すること
・中臣内臣(なかとみのうちつまへつきみ)
藤原鎌足のこと
・饗賜(きょうし)
もてなしをいただく。 祭礼や会食の酒食を賜ること
・郭務悰(かくむそう)
唐の使者
・罷帰(まかりかえる)
退き帰る。まかる。帰る



(感想)

(天智天皇3年)

3月、
百済王の善光王らを、
難波に居住させました。

星が有り、
京の北におちました。

この春、
地震がありました。 

夏5月17日、
百済の鎮将の劉仁願は、
朝散大夫の郭務悰らを派遣して、
表函と献上品を献上しました。

この月、
大紫の蘇我連大臣が亡くなりました。

(或る本は、大臣が亡くなったのは五月だと注(さ)していると)

6月、
天智天皇の祖母・嶋皇祖母命が
亡くなりました。

冬10月1日、
郭務悰を発遣する勅の宣べました。

この日、
中臣内臣は、
法師の智祥を派遣して、
物を郭務悰に与えました。

4日、
郭務悰らに祭礼や会食の酒食を与えました。

この月、
高麗の大大臣蓋金は、
その国で生を終えました。

子どもたちに遺言して、
「汝ら兄弟は、
魚と水のようであるが、

和やかにして、
爵位を争うことがないように。

もしのようにしなかったら、
必ずこのことのために
隣にわらわれるだろう」
といいました。

十二日、
郭務悰らが帰国しました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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