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リートリンの覚書

日本書紀 巻第四 観松彦香殖稲天皇


日本書紀 巻第四

観松彦香殖稲天皇
(みまつひこかえしねのすめらみこと)
孝昭天皇
(こうしょうてんのう)

観松彦香殖稲天皇は、
大日本彦耜友天皇
(おおやまとひこすきとも・懿徳)の嫡子です。
母、皇后・天豊津媛命
(あまとよつひめのみこと)は、
息石耳命(おきそみみのみこと)の娘です。

(孝昭)天皇は、
大日本彦耜友天皇の
二十二年の春二月十二日に、
皇太子となりました。

三十四年の秋・九月に、
大日本彦耜友天皇が崩御なされました。

翌年の冬・十月十三日に、
大日本彦耜友天皇を、
畝傍山の南纖沙谿(まなごたに)
(ほとり)の陵に葬りました。

元年、正月九日、
皇太子が、天皇に即位しました。

夏・四月五日、
(懿徳)皇后を尊び皇太后としました。

秋・七月、
都を掖上(わきのかみ)に遷しました。
これを池心(いけごころ)の宮といいます。

この年、太歳は丙寅(ひのえとら)

二十九年、春・正月三日、
世襲足媛(よそたらしひめ)
皇后としました。

別の一書では、
磯城の県主葉江の
娘・渟名城津媛(ぬなきつひめ)

また一書では、
倭国の豊秋狭太媛(とよあきさだひめ)
娘・大井媛と伝えています。

后は
天足彦国押人命
(あまたらしひこくにおしひとのみこと)
日本足彦国押人天皇
(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
を生みました。

六十八年、春・正月十四日、
日本足彦国押人尊を皇太子としました。
年は二十歳。

天足彦国押人命は、
和珥臣(わに)らの始祖です。

八十三年、秋・八月五日、
(孝昭)天皇は崩御なされました。


・掖上(わきのかみ)
御所市池之内辺


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