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『シュアリー・サムデイ』、感動!!!小栗旬の裏話

2010-08-02 | 気になる表現者

小栗旬さん所属のトライストーン。
社長であり、プロデューサーである山本又一朗さんって、
すごい方だったんですね。あ、それはいいとして、
山本さんが小栗さんを語っていらっしゃる、
興味深い記事を発見しました。


『シュアリー・サムデイ』、
感動!!! 小栗旬の裏話


メジャー映画らしからぬ、型破りの話題作を常に提供する"生きた伝説"、
その名は山本又一朗プロデューサー。
29歳にして日本映画史に残る大傑作『太陽を盗んだ男』(79)を放ち、
コッポラとルーカスを製作総指揮に迎えた『Mishima』(85)はカンヌ映画祭で
芸術貢献賞を受賞(ただし日本未公開)。
また、小栗旬が所属する芸能プロダクション「トライストーン・エンタテイメント」の
代表でもあり、小栗旬を主演に据えた『クローズZERO』(07)シリーズのヒットは
記憶に新しいところ。

──『シュアリー・サムデイ』は人気俳優・小栗旬が27歳で初監督に取り組んだことで
話題を集めています。『クローズZERO』から『TAJOMARU』まで、働きに働いた事務所の
稼ぎ頭へのご褒美としてGOサインを出したんでしょうか?

山本又一朗氏(以下、又一朗) いやいや、とんでもない! 映画はご褒美なんかで、
やれるもんじゃありませんよ。この作品はね、何よりも小栗が「映画を作りたい」と
昔からずっと抱いていた情熱が形になったものなんです。旬に初めて会ったのは、
まだアイツが15歳のとき。16歳の頃に食事をしながら「将来、どんな役をやりたいんだ?」
と聞いたら、「ボク、監督やりたいです」と答えたんですよ。俳優を志す者の夢としては、
最初から他の者と違ってた。ま、それから7年間、旬は俳優業に勤しんだわけだけどね。

──『花より男子』(05/TBS系)で人気に火がつき、映画『クローズZERO』シリーズの
ヒット、さらに蜷川幸雄演出による舞台『カリギュラ』の成功で若手俳優の筆頭格に
躍り出ました。

又一朗 24歳という年齢は、ひとつのターゲットだった。順調に伸びている旬を24歳で
一人前の俳優に、世間にきちんと名前の知られる存在にしようと考えて照準を当てて
いたんです。『クローズZERO』は旬の俳優としての実力を知らしめるために周到に準備して
いたビッグプロジェクトでした。旬は父親が厳格な舞台監督で、また比較的若い頃から
礼儀に厳しい俳優の世界に入ったこともあり、グレることはなかったわけだけど、アイツの
内面には、何か抑えがたい熱いものがあるのは分かっていました。絶対、『クローズZERO』
をやるにふさわしい奴だとね。それに蜷川さんの舞台を2作品、『お気に召すまま』と
『カリギュラ』。どの一本をとってもヘビー級の作品群。さらにはテレビの連続ドラマ
『花より男子2』(TBS系)、『花ざかりの君たちへ』(フジテレビ系)、『貧乏男子
ボンビーメン』(日本テレビ系)の収録。だから07年から08年にかけての旬のスケジュール
は大変過酷なものになってしまった。実は旬が16歳のときに映画監督をやりたいと言った
なんてことは、こっちもすっかり忘れてましたよ。俳優として一人前になるという目標に
向かって打ち込んでいたので、それどころではなかったですね。ところが、アイツが23歳
のときに、ロケなどでよく世話になっている広島のホテルのオーナーが、改装オープン
したんで遊びに来いと誘ってくれて、旬と新幹線に乗ったんです。乗るといきなり旬が
「ボク、監督したいと思ってるんですけど......」と。「おぉ、確か昔そんなことを
言ってたな」と、16歳の頃の旬の顔が浮かんだんですよ。「こいつ本気で考えていた
のか......」とね。ボクは前日、深酒して寝てなかったので車中で寝る気でいたのに、
旬が鞄から台本を出してきてね。何ページか抜けていたんだけど(笑)。それが武藤将吾が
書いた『シュアリー・サムデイ』だった。睡眠不足なのに、面白くて最後まで一気に
んでしまった(笑)。

──小栗旬は「いつか必ず、映画製作を」と、『花ざかりの君たちへ』の若手脚本家・
武藤将吾と密かに映画の企画を練っていた。

又一朗 武藤さんの脚本はジャンプ力があり、話の流れを平気で断ち切り、どんどん展開を
飛ばす独特の面白さがある。当時同じ20歳代である2人の創作した脚本は、とても新鮮に
感じられました。でも、だからといって23歳の売り出し中の俳優に即映画を任せるわけには
いきません。まず、小栗旬を俳優として押しも押されぬ存在にすることが先決でした。
ある意味、映画監督をやると俳優としては横道に逸れることになる。24歳という節目を
迎えて、まず俳優としてやらねばならない企画が目白押しだったんです。
それで「旬、この脚本は面白い。いつかきっと映画化しよう。だけど、今じゃない。
それよりこの脚本家をオレに紹介してくれ」と。そういう経緯で、小栗旬主演作として
準備を進めていた『クローズZERO』の脚本家に武藤さんを選んだんです。
『クローズZERO』の前後は、本当に旬も大変だったでしょう。それこそ寝る間もない
1年間は、役者としていいことも嫌なこともたくさん味わったはず。演じるために
思考する余裕も、台本を覚えるための最低限の時間もない中で、小栗旬は俳優として
急速に成長した。またそういう状況を乗り切ったことで、実は監督をやるときに必要な
"人間力"のようなものを身につけていったと思いますよ。だけど、あまりに多忙になり
すぎて、旬のスケジュールは次々にやってくるオファーで流され気味になっていたんです。
そんなある日、旬が「来年、この映画を撮れないから、もう諦めます」と言ってきた。
なんで諦めると口にしたのかと、これはオレの推測なんだけど、若い頃の、旬自身まだ
10代の気分の残っているうちに撮りたかったんじゃないかな。年齢を重ねてからでは
空気感が損なわれてしまうと考えたんだろうね。旬は極めて自己内省力の強いタイプ。
他人の言葉だけではなく、自分の口から発した言葉も、その後もずっと考えて検証したり
するような性格の持ち主。その頃の旬は「最近のオレって、面白いですか?」なんて
周囲に尋ねたりしていましたからね。そんな言葉が聞こえてきて、ひとつのいい区切りだな
と感じたんですよ。「よし、映画やろうか」と。それで思い切って旬のスケジュールを
監督をやるために空けたんです。
                        《日刊サイゾーより抜粋引用》

記事全文はここから


伝説の映画ですよ。私は観たことないんですが、今でもパンクな内容として、
十分インパクトがある「太陽を盗んだ男」。原爆をつくった一般人が政府を脅迫すると
言う内容、第一の要求は「プロ野球を完全中継しろ」第二は「ストーンズの来日公演を
実現させろ」。
いやあ、その製作に山本氏が関与していらして、トライストーンという会社を作って
いらしたとは。
松フリさまと会ったとき、「小栗旬さんの事務所って力ありますよね」って、
話したんですよね。謎だったんですけど、いやはや、謎がとけてよかった(笑)

この記事は読んでもう、小栗さんという人間の、夢をもつこと、夢をあきらめないこと、
その実現のために頑張りぬくこと、どんなに辛くてもへこたれないこと、などなど、
いろんなことに感動したんですけれど、
その上で一番の驚きは、

>「来年、この映画を撮れないから、もう諦めます」と言ってきた。
>なんで諦めると口にしたのかと、これはオレの推測なんだけど、
>若い頃の、旬自身まだ10代の気分の残っているうちに撮りたかったんじゃないかな。
>年齢を重ねてからでは空気感が損なわれてしまうと考えたんだろうね。

ここですよ。
まだ20代の若者が、来年撮れないならあきらめます、
この言葉に衝撃を受けました。
あの映画は技術や経験で撮ろうと、満を持して撮った映画ではないんだと。
こらえてこらえて機が熟すまで仕事をこなし続けて、
デッドラインにやっと間に合った映画だったんですね。
そのことに感嘆しました。
来年撮れないならあきらめます、という言葉が出たのは
自分の抱いてきた作品を中途半端なものにしたくないという、
ものすごい愛情も感じられるじゃないですか?
「カリギュラ」すらも途上であって、夢の到達ではないというのに絶句。
小栗さんの深みって、私にはまだまだわかってないんだろうなと、
この山本さんの記事に思いました。

記事には吉田鋼太郎さんの、映画への起用など、面白い話も聞けます。
ご興味ある方はぜひ、リンクから飛んで、ご一読くださいね。

長文記事にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
それにしても、旬くんはすごい。




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