LAPIS 学習内容と宿題

高校受験のLAPIS鎌ヶ谷で行われた授業と宿題をみなさまにお知らせします。

【過保護注意】「まるで動物園」のような家庭で育つ子の末路

2023-07-18 | 気になる文書
ダイヤモンド・オンライン  7月8日 配信

【過保護注意】「まるで動物園」のような家庭で育つ子の末路

1万件を超える「幼児から高校生までの保護者の悩み相談」を受け、4000人以上の小中高校生に勉強を教えてきた教育者・石田勝紀が、子どもを勉強嫌いにしないための『勉強しない子に勉強しなさいと言っても、 ぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋』を刊行。子どもに失敗してほしくない、教育熱心な人ほど苦悩を抱える大問題への、意外な解決法を提案します。

子育てを3つのステージにたとえたら、「覚悟が決まった」親が大量発生

● 子どもがやることは、すべて親が決めている。
● 子どもが何かするときは、親が先回りしてなるべく失敗させないようにしている。
● 子どもが親の思い通りにならないと、イライラして感情的になることがある。

 このいずれかに当てはまる人は、過干渉なタイプと言えるでしょう。もちろん愛する子どものために、よかれと思ってやっているに違いありません。
 しかし、子どもも自分の考えや価値観を持った1人の人間です。調教師が芸を覚えさせる動物のような存在ではありませんよね。

 親が過干渉でも、子どもが小さいうちは言うことを聞いてくれるでしょう。でも中学、高校生になると一様に反抗しはじめます。「何か言えば言うほど関係が悪化します……」という悩み相談が一気に増えるのも、この時期です。

 親と子は別人格ですから、親がいいと思うことが必ずしも子どもにいいとは限りません。むしろ親が子どものことを思えば思うほど、その愛情が形を変えて「よけいなお世話」になりがちなのです。

 親の焦りや不安、子どもへの期待や不信感から過干渉が続いていくと、最悪の場合、子どもが家庭内暴力をふるうようになります。

 その悪循環を断ち切るためには、自分が生んだ子どもでも基本的に「人は変えられない」と親が割りきる必要があります。

 そして今後、子どもから心は放さずとも、口と手は放す覚悟を決めることです。


子どもの成長に合わせて進めよう

 勉強を含め、子どもが自分から行動できるようになるには、成長に合わせて段階的に3つのステージを進むのが一般的な理想像です。

 まず前提として、動物の場合には大きく分けて次の3つの環境があるとします。

● 動物園型/何もしないでぐうたらしているだけでエサをもらえるけれども、自由のない狭い場所でしか生きられない。
● 牧場型/昼間は草原で自由に行動でき、動物舎に帰れば安全・安心が保たれた寝る場所やエサがある。
● サバンナ型/いちばん自由でどこにでも行けるけれども、危険から身を守り、自分で水や食べ物を探しながら生きていかなければいけない。

 人間の子育ても、この3つの環境に置き換えて考えるとわかりやすいと思います。あなたは今、どの環境で子育てしていますか? 子どもが大きくなったら、どの世界で生きていってほしいですか?

*本記事は『勉強しない子に勉強しなさいと言っても、ぜんぜん勉強しないんですけどの処方箋』から、抜粋・構成したものです

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懸命に生きている息子に感謝を!20230314

2023-03-12 | 気になる文書
私の大好きな河合先生(東洋大付属京北中高元校長、現京北幼稚園園長)の本
「賢く強い子になる男の子の育て方」からの引用です。

懸命に生きている息子に感謝を!

これまで、数多くの子育てに悩む保護者とお会いして、その悩みの多くが、過去の経験、あるいは未来への不安から起こっていることに気づきました。
●新しいクラスになじめず、なかなか友達をつくれなかったことがある
●自分からいい出して始めた習い事を、途中で投げ出してしまったことがある
過去のこうした記憶が、頭のなかに残っているものだから、子供がしようとしていることに対しても不安を抱えてしまうのです。要するに、子供のことを過去の行いから判断しがちで、現在の視点で素直に見ていないということです。だから、つい、
「あなた、以前も同じようなことをいって結局放り投げたじゃない。今回も、同じことを繰り返すんじゃないの。あんな思いは、もうこりごりよ」
「こんなことでは、この先どうなるか心配。きちんとできるのかしら」
などと、現在とはまったく関係のない過去のことをわざわざ持ち出したり、過去はおろか、未来のことを持ち出してしまうのです。
そんなことをいわれても、今を生きている子供には伝わりません。ましてや、子供の未来の行動に対してまで、勝手に不安を膨らませ。それをあおることに何の意味があるでしょうか。いうまでもなく、大切なのは今この瞬間です。
あなたの息子さんは、今を懸命に生きています。誰かに認めてもらいたがっています。それはとても立派なこと。目の前にいるお子さんのことを、これからもずっと、しっかり見守っていてあげてください。
「生まれてきてくれて、ありがとう!」
「母さんでよかったよ!」
「父さんでよかったよ!」
こんな親子の関係でありたいものです。

河合正著「賢く強い子になる男の子の育て方」三笠出版 知的生き方文庫 p205~206

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男の子の育て方「あなたを見守っている」というサインとは

2023-03-01 | 気になる文書
私の大好きな河合先生(東洋大付属京北中高元校長、現京北幼稚園園長)の本
「賢く強い子になる男の子の育て方」からの引用です。

子供の成長のために、もっとも簡単で効果が期待できる習慣を1つ上げろといわれれば、それは間違いなく「挨拶」です。
挨拶の効能の1つは、相手をしっかり認識していることを、シンプルかつストレートに伝えられることです。つまり、挨拶とは、
<私はあなたの行動をしっかりと見守っていますよ>
というメッセージなのです。あなたが出かけようとしていることを知っているから、「いってらっしゃい」といえるのだし、あなたが帰ってきたことに気がついているから、「お帰りなさい」といえるのです。
だから、朝、子供が目覚め、台所にやってきたのなら、
<私は、今日もあなたが、また眠いのにもかかわらず、頑張って朝早くベッドから抜け出し、学校に行く準備を始めたことを、しっかり認識しているわよ>
という意味をこめて、一言、「おはよう」鍵と明るく大きな声で挨拶をしてあげましょう。家事で慌ただしくても、子供に顔を向け、子供の目を見て言うこと。形式的なものではなく、気持ちを伝えるのです。
「ありがとう」「いただきます」「お休みなさい」もすべて同じです。
考えてみれば、挨拶の言葉というのは、その一つひとつに深い意味がこめられていますよね。
「ありがとう」。これは、ありえないくらいのことをしてくれたあなたはかけがえのない存在です、心から感謝していますよというメッセージ。
「いただきます」。これは、母親が愛情をこめて作ってくれた食事をいただくとともに、自然のめぐみをいただくことに感謝の気持ちを表す言葉です。
「お休みなさい」。これは、今日も1日ご苦労さま。今はもう休んでいいですよ、という気遣いの言葉なのでしょう。だから、安心してぐっすりと眠りに入ることができるのです。
本書では、親子のコミュニケーションを様々な視点から考えてきましたが、挨拶ほどシンプルで奥の深いコミニケーションの形態はないような気がします。

河合正著「賢く強い子になる男の子の育て方」三笠出版 知的生き方文庫 p203~204

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【資料】年表「日中戦争は、なぜどのように起きたのか」

2022-11-22 | 気になる文書
年表「日中戦争は、なぜどのように起きたのか」

昭和12(1937)年
◎7/7午後10:40/日本の駐屯軍(5600 名)が対岸から2度にわたって10 数発の銃撃を受けた「盧溝橋事件」。わが軍は「暗号書なし、鉄帽なし、空包使用の演習中だった」。
(注)これは中国共産党軍による「日中戦争を起こすための工作」だったとされる。日本の駐屯軍がいたのは、当時の中国に各国の大使館を守る能力がなく、中国政府から各国が大使館の護衛は各国自身でやってくださいとお願いされたから。日本だけが特別ではなく、どの国も駐屯軍を置いていた。

◎7/8午前3:25/再び数発の銃声あり。午前5:30 中国軍の攻撃を受ける。「我が軍は7時間にわたって銃撃に耐えた」。日本政府は「不拡大方針」で派兵せず。
◎7/9 /現地で停戦のための話し合い。中国軍は協議に違反して撤退しなかった。
◎7/11/「現地停戦協定」が結ばれ平和がもどった。しかし、すぐに中国軍の日本に対する挑発行為が続いた。
◎7/13 /中国軍が北京で日本軍を襲撃し4 名を爆殺した。
◎7/14/ 北京近郊の通州で日本の近藤二等兵が惨殺された。
◎7/20/ 盧溝橋で日本軍が一斉射撃された
◎7/25/ 「廊坊事件」日本軍電信隊が襲撃された
◎7/26/ 「広安門事件」広安門の城壁上から日本軍が乱射を受けた。これらは日本でも報道され、中国側の挑発に国民の怒りが高まっていった。
◎7/28/ 日本政府はやむなく陸軍の派兵を決定。開戦を通告し攻撃開始。翌日、北京を攻撃し占領した「北支事変」。日本は治安を守ってこれ以上戦争を拡大しない方針を固めた。

◎7/29/ 「通州事件」が起きた。・・・通州の日本人居留民260名の虐殺事件!
北京東方の通州で中国軍保安隊が日本人居留民(一般市民)を襲撃した。日本守備隊が守ったが150名全員が戦死した。日本の民間人380名中260名が虐殺された。女性や子供や老人が中国人のあまりにもむごたらしいやり方(ここには書けません。調べてください)で殺されたので、日本国民の怒りは頂点に達した。不拡大方針で平和を守ろうとする日本政府と軍部を非難する声が全国にあふれた。

◎8/7/中国国民党の総統:蔣介石は「日本と全面的に戦う」と発表した。
◎8/9/日本は平和を求めて、「船津(辰一郎)和平案」にもとづき、平和会談を進めた。平和会談の最中に大山勇夫海軍中尉と部下が虐殺された。会談はつぶされてしまった。

◎8/13/ 「上海事変」が起きた。中国国民党軍(20万人)による上海包囲攻撃が始まった。日本側は約6000人(海軍陸戦隊)。
・蔣介石は、国際都市・上海に国民党軍を入れ無差別攻撃した。日本艦船、日本領事館、その他上海市街を空襲し、外国人・中国人を含め多数の死者が出た。
・ついにわが軍も派兵し、ここから本格的な日中軍の全面戦争になった。中国軍は完全に準備を整え、近代的なトーチカをつくって、進撃する日本軍を迎え撃った。(戦争の準備を前もってしていたということ)。激戦でわが軍の死傷者は4万3672名(戦死9150 名)。中国軍は首都南京に退却しわが軍はこれを追撃した。

◎12/13/ 日本軍、首都・南京(ナンキン)を占領。
・両軍あわせて10余万の戦死者を出す激戦だったが、蒋介石も南京防衛の大将も逃げてしまったので中国兵はやぶれかぶれの規律のない戦い方をした。20万の南京市民は全員市内の「安全区」に避難していた。日本軍は南京の一般市民を保護した。
蒋介石は首都を「重慶」に移し(重慶政府)、いつまでも降参しなかった。

(注)
「中国共産党」・・・盧溝橋事件から抗日戦争が始まった。(事実は、盧溝橋事件から様々な工作を進めて日中を戦争に引きずり込んだ。最後に中国を乗っ取った)
「中国国民党」・・・北支での戦闘が日本の侵略戦争の始まりで上海攻撃はその延長だ。
「日本」・・・・・・北京の治安が回復し日本は撤兵する予定だった。国民党の上海攻撃がなければ日中は本格戦争にはなっていない。戦争を始めたのは国民党軍。

以上です。

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