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LAPIS 学習内容と宿題

高校受験のLAPIS鎌ヶ谷で行われた授業と宿題をみなさまにお知らせします。

『日本人として忘れてはならない4つの日シリーズ』8月6日

2025-08-06 | 気になる文書
『日本人として忘れてはならない4つの日シリーズ』8月6日

田中の知り合いのある学校の先生がFACEBOOKに記された文章です。ぜひお読みください。
(ここから)
明日は8月6日。夏休みに入る前には話ができませんでしたので、今後、歴史の授業が進んでいき、昭和のところで必ず子どもたちには話したいと考えています。小学校6年生を対象に作成しました。参考になれば幸いです。

明日は上皇陛下(125代天皇陛下)が挙げられた「日本人として忘れてはならない4つの日」の1つに当たります。何の日かわかりますよね。

そう、8月6日は広島に原爆が投下された日です。

毎年、この時期になると、日本とアメリカが約80年前に行った戦争について報道がありますが、なかなか報道されないことがあります。なんだと思いますか。

それは、原爆投下の正しい名称です。

現在、小学校の教科書では「1945(昭和20)年8月6日、広島に世界で最初の原子爆弾が落とされ(原爆投下)、まちはいっしゅんのうちに破壊され、多くの人々がなくなりました」という説明があります。その他には「たった1発の原子爆弾が広島のまちをいっしゅんで破壊し、原爆の熱戦、爆風、放射線で数万人もの人々がなくなりました。1945年の12月末までに約14万人もの人々がなくなったと考えられています」というような説明もあります。

しかし、肝心な説明がないのです。

それは3月に行われた東京への空襲も同じです。

「1944(昭和19)年になると、アメリカ軍の飛行機が日本の都市に爆弾を落とすこと(空襲)が多くなりました。軍事施設や工場だけでなく、住宅地も爆撃され、東京や大阪をはじめ、多くの都市が焼け野原となり、多くの人々の命が奪われました」と。
ちなみに、3月10日の東京大空襲の死傷者は12万人と言われています。

では、何が報道されていないというのでしょうか。

その前に…

戦争の反対って何かわかりますか。「平和」ではありません。
よく、学校の授業でも戦争と平和を対義語のように教えることがあるようですが、よくよく考えると言葉の使い方がおかしいことがわかります。

なぜなら、「戦争」は国家間の問題を解決する際の手段の一つであるからです。そして、「平和」は状態や様子を表す言葉です。要するに、言葉の性質が違うもの同士を並べているから本質がわからなくなるのです。

ですから、手段を比較をするのであれば、戦争の反対は「話し合い」であり、平和の反対は「無秩序」となるわけです。

そもそも、国家間の問題を解決するために、軍服を着ている軍人同士が行う戦い(戦争)については国際法上、認められているのです。

ただし、絶対に許されないことがあります。それは、「一般市民」を攻撃することです。

国際法は一般市民の大量虐殺を「してはならない」と明確に規定しています。ですから、原爆投下は明らかな戦時国際法違反行為なのです。それなのに、教科書には一切、そのことについてふれられていません。おかしくないでしょうか。肝心の説明というのはそのことです。

そして、原爆投下の名称は正しくは「民族大虐殺」としなければならないのです。このことが全く報道されていませんし、なにより、学校でも教えてこられませんでした。

よって、3月10日は「東京大空襲の日」ではなく「東京大虐殺の日」、8月6日は「広島大虐殺の日」としなければおかしいのです。

アメリカのトルーマン大統領は原爆投下について説明を述べている中で、広島を「日本の陸軍の最重要基地」としています。しかし、原爆被害を受けた広島の市街地は陸軍基地ではありません。ただの市街地です。

そして、広島で原爆によって亡くなられた市民は一般人です。アメリカだってバカじゃありません。広島が一般人の住むところであることくらい、承知していたでしょう。にもかかわらず、広島が「日本の陸軍の最重要基地」と公式に声明を出しているのです。

なんということでしょうか。

さらに、広島長崎に原爆が投下された後、アメリカで原爆開発のマンハッタン計画を担当したロス・アラモス研究所は2つの原爆投下について、次のように公式に述べています。

「我々は、史上二度の『原爆実験』に成功した」と。

実験に成功した、です。あの2度にわたる原爆が実験だというのです。なんということでしょう。

広島に投下されたのは通称「リトルボーイ」、これは「ウラン235型原爆」です。この原爆によって1945年の12月末までに約14万人もの人々が亡くなっているのです。ただ、死んだだけでなく、原爆の熱線を浴びて、その何倍もの多くの人が苦しみ続けたのです。

それを「実験」とはなんたることでしょうか。

よく「原爆が落とされたから戦争が終わったのだ」ということを言う人がいます。それは、そのように教わってきたからか、もしくは報道の受け売りです。

はっきり言います。それは「嘘」です。事実ではありません。なぜか。

終戦後の昭和20年9日に日本に訪れた、米国戦略爆撃調査団が書いた「最終報告書」という資料があります。トルーマン大統領に提出された公式な報告書です。

『たとえ原爆が投下されなかったとしても、ソ連が参戦しなかったとしても、本土作戦が行われなくても、日本は非常に高い確率で九州上陸作戦の決行予定日である昭和20年11月1日から、12月31日までの間に、確実に降伏したであろう』

原爆を投下しなくても、「日本は確実に降伏したであろう」と書いてあります。 実はここに原爆投下が「実験」として行われた重大な意味が隠されているのではないか、といえます。

アメリカはこの時点で、「日本に何をしても、絶対に日本から報復を受けるおそれがない」 と踏んだから、日本に対して原爆投下「実験」をしたということです。

米国が原爆投下「実験」をした最大の理由は、ただひとつ。 それは「その時点で日本に何をしても日本からの反撃や報復攻撃を受ける可能性が皆無だった」 という理由です。

反撃される心配がないから、日本人は実験材料としての「モルモット」にされたのです。 古来、モルモットはさまざまな動物実験に用いられています。 なぜモルモットが使われるのか。 それは、モルモットが人間を襲う心配が100%ないからです。

なんということでしょうか。

ここでひとつ大切なことを伝えておかなければなりません。

広島、長崎に原爆が投下される前に、すでに日本では原爆の開発を終えていたという事実です。 開発途上だったという人もいます。そうではなく完成段階にあったという説もあります。

はっきりしていることは、その原爆(これを日本では新型爆弾と呼びました)は、すでに使用できる段階にまで至っていたという事実です。 当時、軍の上層部は、この新型爆弾をもってアメリカに大勝負を挑みたいと昭和天皇に上奏しました。 これは記録に残っている史実です。 けれど昭和天皇は、この上奏を却下しました。 そのとき昭和天皇は、次のようにおおせであったそうです。

「その新型爆弾によって、たとえ我が国の戦況が有利になることがあったとしても、そのために、相互が新型爆弾の投下合戦にいたり、結果、何百万もの民が死ぬようなことになるとしたら、私はご先祖に申し訳がたたない」

陛下はそのように述べられ、原爆の製造の禁止を現下に却下しただけでなく、その開発の中止までをも命じられたのです。 日本は、広島、長崎に原爆が投下されたとき、それが新型爆弾(原子爆弾)だとすぐにわかりました。 なぜわかったかといえば、日本でも同じ爆弾を開発していたからです。

ですから日本は、すぐに米国政府に抗議文を出しています。 その抗議文は、スイスを通じて出されました。 引用しますので、是非、ご一読いただきたいと思います。

【米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文】
今月6日、米国航空機は、広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し、瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅させました。 広島市は、何ら特殊の軍事的防衛機能や、そのための施設を施していない普通の一地方都市です。 同市全体を、ひとつの軍事目標にするような性質を持つ町ではありません。本件爆撃に関する声明において、米国トルーマン大統領は「われらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊した」と言っています。 しかしこの爆弾は、落下傘を付けて投下され、空中で炸裂し、極めて広い範囲への破壊的効力を及ぼすものです。つまり、この爆弾で、この投下方法を用いるとき、攻撃の効果を右のような特定目標に限定することは、物理的に全然不可能なことは明白です。そして本件爆弾が、どのような性能を持つものであるかは、米国側は、すでに承知しているものです。 実際の被害状況は、広範囲にわたって交戦者、非交戦者の別なく、男女老幼を問わず、すべて爆風および幅射熱によって無差別に殺傷されました。 その被害範囲は広く、かつ甚大であるだけでなく、個々の傷害状況を見ても、「惨虐」なるものです。 およそ交戦者は、害敵手段の選択について、無制限の権利を有するものではありません。 不必要の苦痛を与えるような兵器、投射物その他を使用してはならないことは、戦時国際法の根本原則です。 そのことは、戦時国際法であるハーグ陸戦条約規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定されています。 米国政府はこのたびの世界大戦勃発以来、再三にわたって、 「毒ガスその他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の世論によって不法であり、相手国が先に使用しない限り、これを使用することはない」と声明しています。しかし、米国が今回使用した本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において、従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器よりも、はるかに凌駕するものです。米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたって日本の大都市に対して、無差別爆撃を実施しています。多数の老幼婦女子を殺傷しています。 神社や仏閣、学校や病院、一般の民家などを倒壊または焼失させています。 そしてさらにいま、新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物とも比べ物にならない無差別性、惨虐性をもつ本件爆弾を使用したのです。これは人類文化に対する新たな罪悪です。日本政府は、ここに自からの名において、かつまた、全人類、および文明の名において、米国政府を糾弾します。そして即時、かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求します。昭和20年8月11日

日本国政府はこの抗議文で、原爆を「非人道的兵器」と呼び、その使用を米国政府に「放棄せよ」とまで言っています。 科学技術としての開発はともかく、それを兵器として使用することは、人道上許されないと明確に述べています。 これが日本の姿勢です。

原爆を投下によって無差別大量殺人をしていながら、大統領声明で「広島は軍事基地だ」と強弁した米国政府、それが自国の原爆開発をむしろ積極的に放棄した日本国政府と、理はどちらにあるのでしょうか。

このことは、終戦の詔勅にも明確に述べられています。
(口語訳)
敵国は新たに残虐なる爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。 この上、なお交戦を続けるであろうか。 ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。 そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。

世界中、どこの国でもすべてに優先するのが国益です。どの国も、自国の利益のためだけに思考し行動します。 けれど、昭和天皇は「人類文明そのもの」と述べられています。人類史上、人類の福祉と幸福のために、身を切る覚悟とその実行をしてきたのは、昭和天皇のご意思です。

日本は戦争をしました。
日清戦争においても、日露戦争においても、第一次大戦、第二次大戦においても、軍人同士が衝突する、国際法上も適法な戦争をしました。

けれど日本以外の諸国は、最初のうちは戦争をしていたものの、途中からは武器を手にした軍人によって、武器を持たない民間人を殺戮する虐殺に変化しています。先の大戦でいうならば、昭和19年秋から日本本土への空襲が行われるようになりましたが、これにより戦争は、戦争ではなくなりました。

それでも日本は、日本を護ろうと軍人による戦争を継続しましたが、昭和20年8月の原爆投下により、日本は自主的に戦争を終わらせています。

このことを「日本が戦争に敗れた」という方がいますが違います。 日本は戦争はしたけれど、虐殺に加担はしなかったのです。 これが誇りある日本の姿勢というものです。

このようなことが報道されないから、そして、教育で教えられないから、私たち日本人は的外れな議論ばかりしているのです。
広島の平和記念公園には「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」と刻まれた石碑があります。

いったい、何が「過ち」だったのでしょうか。

少なくとも原爆を投下されたのは日本人の過ちではありません。広島への原爆投下はあきらかに民間人大虐殺であり、アメリカの過ちであることは明白です。そのことを私たち日本人は忘れてはいけないのではないでしょうか。

明日、午前8時15分に黙とうを捧げます。

※参考文献「ねずさんのひとりごと」

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祝日を知ろう! 4月29日:昭和の日

2025-04-25 | 気になる文書
前船橋小学校 校長 渡邉敬久先生のブログからいいただきました。

【祝日を日を教えようシリーズ:4月29日:昭和の日】
今年は昭和100年。大きな節目の年とも言えます。そんな大きな節目に考えたいことがあります。
なぜ、4月29日が「昭和の日」なのでしょうか。

それは、この祝日の名前の変化でわかります。何度か祝日名が変わっているのです。
「昭和の日」の前はなんだか知ってますか。
「みどりの日」です。

あれ、どこかで聞いた祝日名ではありませんか。
そう、5月4日の祝日が「みどりの日」です。

でも、もう一つ、その前に違う祝日名が付いていたんです。
それは、「天皇誕生日」です。
4月29日は昭和天皇の誕生日です。

ちなみに、
「昭和」という元号の由来は中国の書経という書物の
「百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す」から来ていて、
国民の平和及び世界各国の共存繁栄を願う意味です。

ところが、昭和という時代は一言で言えば「激動の時代」でした。
なんといっても大きな出来事は、
昭和16年から始まった大東亜戦争(日本政府が閣議決定した名称です)です。

昭和という時代はざっくりいうと、戦争へ突入、アメリカに負け、
どうなることかと思いきや、その後、日本人の努力によって復興し、平和が訪れた時代、と言えるのかもしれません。

そんな激動の時代ととともに昭和天皇がいらっしゃいました。
ここで、少し長くなりますが、昭和天皇のエピソードをご紹介します。

戦争がようやく終わり、アメリカに占領されているときのお話です。
昭和20(1945)9月27日のことです。
昭和天皇が一人の通訳だけを連れてマッカーサーのもとを訪れました。

「ついに天皇をつかまえるときが来た!」
事前に連絡を受けていたマッカーサーは二個師団の兵力の待機を命じました。
この時点で陛下をどのようにするのかGHQの中でも議論が交わされていました。

方針は大きく分けて三つありました。

一、東京裁判に引き出して絞首刑に処する。
二、日本共産党をおだてあげ人民裁判の名のもとに血祭りにあげる。
三、China(今の中国)に亡命させて秘密裏に殺害する。

いずれにしても、
陛下を亡きものにすることが決められていたのです。

ですからマッカーサーは
陛下が命乞いに来られるのだと思いました。

このため彼はパイプを口にくわえてソファーから立ちあがろうともしませんでした。
このパイプをくわえたマッカーサーの姿は、彼が日本に降り立ったときの姿としても有名なものです。

当時の米国はトウモロコシが主たる産物でした。
これが小麦にとってかわるのは、日本占領後日本の農林十号と呼ばれる小麦が米国に渡ってからのことです。
ですから当時トウモロコシでできたパイプ(コーンパイプ)は、米国の象徴だったのです。

パイプタバコをやったことがある方ならおわかりいただけると思いますが、
マドロスパイプのような柄の長いパイプは長時間咥(くわ)えていれません。
口からヨダレがタラタラと流れてしまうからです。

ですからマッカーサーがパイプをくわえるということは、
米国のトウモロコシが日本を制圧したことの象徴であり、
彼独特の先勝を誇示したポーズでもあったわけです。

椅子に座って背もたれに体を預けて足を組み、
パイプを咥えた姿は、ですから陛下をあからさまに見下した態度であったわけです。

そのマッカーサーに対し陛下は直立不動の姿勢をとられました。
そして国際儀礼としてのご挨拶をしっかりとなさったうえで、このように仰せられました。

「日本国天皇はこの私であります。
戦争に関する一切の責任はこの私にあります。

私の命においてすべてが行なわれました限り、
日本にはただ一人の戦犯もおりません。

絞首刑はもちろんのこと、
いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります」

弱ったのは通訳です。
その通り訳していいのか?けれど陛下は続けられました。

「しかしながら罪なき八千万の国民が住むに家なく、
着るに衣なく食べるに食なき姿において、
まさに深憂に耐えんものがあります。

温かき閣下のご配慮を持ちまして、
国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように。」

マッカーサーは驚きました。

世界中、どこの国の君主でも
自分が助かりたいがために、平気で国民を見捨てて命乞いをし、
その国から逃げてしまうのが、いわば常識です。

ところが陛下は、やれ軍閥が悪い、やれ財閥が悪いという当時のご時勢下にあって、

「一切の責任はこの私にあります、
絞首刑はもちろんのこと、
いかなる極刑に処せられても」と淡々と仰せになられたのです。

マッカーサーは、くわえていたパイプを、机に置きました。
続いて椅子から立ち上がりました。

そして陛下に近づくと、
今度は陛下を抱くようにしてお掛けいただきました。
さらに部下に、
「陛下は興奮しておいでのようだから、コーヒーをさしあげるように」と命じました。

マッカーサーは今度はまるで一臣下のように
掛けていただいた陛下の前に立ちました。
そこで直立不動の姿勢をとりました。

「天皇とはこのようなものでありましたか!
 天皇とはこのようなものでありましたか!」

彼は、二度、この言葉を繰り返しました。

そして、
「私も、日本人に生まれたかったです。
陛下、ご不自由でございましょう。
私に出来ますことがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と言いました。

陛下も、立ち上がられました。
そして涙をポロポロと流しながら、

「命をかけて、閣下のお袖にすがっております。
この私に何の望みがありましょうか。
重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と申されたのです。

こののちマッカーサーは陛下を玄関まで伴い、
自分の手で車の扉を開けて陛下をお見送りしました。

そして慌てて階段を駆け上がると、
これまでのGHQの方針を百八十度変更するあらたな命令を下しています。

このことがあったあとマッカーサーは、次のように発言しています。
「陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた。」

「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね。
旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。
ヒロヒトが四十歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。
神さまじゃなくて人間だということをね。
それが生きた民主主義の教育というものだよ」

昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時、
占領軍総司令部の高官たちの間では、
そんな会話が交わされていたそうです。

ところがその結果は高官達の期待を裏切るものでした。
昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られました。

行程は3万3千キロ、総日数百六十五日です。
各地で数万の群衆にもみくちゃにされたけれど、
石一つ投げられたことさえありませんでした。

英国の新聞は次のように驚きを述べました。

「日本は敗戦し外国軍隊に占領されているが、
天皇の声望はほとんど衰えていない。
各地の巡幸で群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。
何もかも破壊された日本の社会では天皇が唯一の安定点をなしている」と。

イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、
長男が即位したが、わずか一ヶ月で廃位に追い込まれています。

これに対し日本の国民は、
まだ現人神という神話を信じているのだろうか。
欧米人の常識では理解できないことが起こっていたのです。

昭和の時代は世界恐慌から支那事変、先の大戦、戦後の復興、
東京オリンピック、そして高度成長と、激動の時代を生きられたのが昭和天皇です。

その昭和天皇の辞世の御製です。
 やすらけき世を 祈りしも いまだならず
 くやしくもあるか きざしみゆれど

この御製は昭和63年8月15日に陛下が
全国戦没者遺族に御下賜遊ばされたものです。

「安らかな世をずっと祈り続けたけれど、
それはいまだなっていない。
そのことが悔しい。
きざしはみえているけれど、
そこに手が届かない」という意味と拝します。

昭和天皇は崩御される直前に、
「悔しい」と詠まれておいでなのです。

以上です。
どこまでも国民のためを思うご生涯を遂げられた昭和天皇の思い、
皆さんに届いたでしょうか。

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日」
戦後80年が経とうとしています。

今、私たちは平和な状態というものが当たり前だと想っていますが、
世界を見ればわかるようにそれが当たり前ではない国もあります。

この日くらいは、
なぜ、今の日本が平和な状態でいられるのか、
また、この先は本当に大丈夫なのだろうかと考えてもいいのではないでしょうか。

この先も平和な状態が続くかどうかは
私たち一人ひとりにかかっているのです。

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二十代会社員への人脈作りアドバイス

2025-03-19 | 気になる文書
「志賀内泰弘の恩送り通信」第63回(その28)
志賀内人脈塾
「一つの出逢いが人生を変える」
~二十代会社員への人脈作りアドバイス~

今日は、20年ほど前に書いた拙著「タテ型人脈のすすめ」(ソフトバンククリエィティブ)の一部を参考に、若い人向けの人脈作りについてお届けします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ネットワークづくりは、まず社内人脈から優先すべし」

異業種交流会や「朝活」勉強会に参加すると、20代のサラリーマンからよくこう言われます。
「会社人間にならないよう、社外人脈を作りに来ました」
私も、20代、30代の頃、貪るようにして10以上の異業種交流会や勉強会、サロンに参加していました。
なので、とても共感でき好感が持てました。
変な社会人一年生だったかもしれませんが、学生時代に読んだ本に
「会社人間になるな! 社会人間になれ!!」
とあったことが頭に焼き付いていたからだと思います。
でも、私はあえて若い人たちに、
「社外人脈を若いうちに作るのは大切です。
でも、まずは、社内人脈から構築することをオススメします。
将来、スキルアップのために転職したり、起業する目標があるにしろ、ましてや定年まで勤め上げる覚悟ならなおさらですよ」
と、アドバイスしています。

社内での人付き合いとはどんなことなのかを、とことんマスターしてから外の世界を学んでもけっして遅くはない。
いや、社内で人脈ができない者が、社外で認められことは至難の業です。
中には、社内の人間関係が上手くいかないものだから、異業種交流会などに参加して、自分の存在を認めてもらおうという人もいます。
しょせん逃げの発想からの行動は、社外のデキル人間には人間の底が割れてしまうものです。

何よりも、社外の人脈作りで気をつけなければならないことがあります。
社外で徐々に人脈が広がっていくと、社内の人にしゃべりたくなってしまうのです。
「夕べ、○○工業の社長に会った」などと、自慢げに名刺を見せたりする。
実は、私も十数年前、この過ちに陥りそうになったことがあります。
それこそ、毎週のように財界や芸能界など各界のトップが集うパーティに顔を出していました。
一介のサラリーマンにとって、それはあまりにも新鮮な出来事でした。
新聞やテレビでしか拝見したことのない人と、名刺交換できただけで舞い上がってしまったのです。
きっと、先輩や上司は「そんなことより、目の前の仕事の山をどうするんだよ」と思っていたに違いありません。

まずは、社内で腕を磨き、それから外へ飛び出して欲しいと思うのです。

私は、入社して3年間ほどの間に、さまざまな社内の「雑用?」役を引受けました。
所属課や部の宴会や慰安旅行の幹事。
社内報の編集長。
社内のリクリエーションクラブ(音楽部、バレーボール部、スキー部、テニス部など)の幹事。
組合の委員。
組合の広報誌の編集長。

まだ慣れない仕事の合間を縫って、会社中を飛び回り、関係する人に連絡をしたり交渉していました。
正直、フラフラです。

それでは、会社人間ですよね。
はい、正直、休日でさえも会社にどっぷりと浸かっていました。
けっして、勤務先の労働環境はブラックではありませんでしたが、自らブラックに染め上げていたといっても過言ではありませんでした。
きっと、プライベートの時間を大切にするのが常識の現代の「働き方」からすると、信じられないことでしょう。

でも、そのおかげで、お金では手に入らないものを身に付けることができました。
社内報で取材したり記事を書いてもらうために、あちこちの部署の先輩、同僚と会って頼み込みます。
なかなか簡単に応じてもらえず、交渉にも時間がかかります。
慰安旅行では、仲が良くないと思われる人同士は、別の部屋に割り振らなくてはなりません。
そのため、社内の人間関係の情報も収集することが必要になります。
でも、そのおかげで、ほぼ全社員と知り合いになるだけではなく、人柄まで掴めるようになったのでした。
テニス部などの合宿では、夜、宴会になります。
100%仕事から解放されての会話という訳にはいきませんが、かなりプライベートの会話ができます。
すると、趣味とはいいながら、パチンコがプロ並みという人、夜と休日はエレキギターのスタジオミュージシャン、料理が得意で特にスイーツが絶品という人、
兄弟が証券会社の有名なディーラーで大富豪という人、実家が老舗の和菓子屋さんという人など。
普段、ただの同僚として一緒に働いているだけでは知り得ない、意外な「人脈」が裏に潜んでいたことに気付いたのでした。

そう、100人いれば、それぞれが何らかの趣味や特技があり、それぞれに親戚や友人で、一人くらいは飛び抜けた才能を持った人がいるものなのです。

社外に出て「人脈」を広げなくても、身近なところに、「人脈」となりうる人と繋がる同僚がいるかもしれない、いや、実際にいたのです。

そうした、社内での「雑用?」役を率先してこなして来たことは、30代、40代になって、会を主宰したり、イベントを仕掛けたりする際に、大いに役立ちました。

よく、クレームは宝と言います。
社内のみんなが嫌がる「雑用」も、実は「宝」なのです。


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ウリケ・シェーデ『シン・日本の経営』を読む

2025-03-14 | 気になる文書
The Globe Now: ゆっくりと進化を続ける日本企業
  〜 ウリケ・シェーデ『シン・日本の経営』を読む

■■ Japan On the Globe(1411)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

「失われた30年」は失われていなかった。多くの日本企業はゆっくりと着実に新しい時代に適応し、進化を続けていた。


■1.ゆっくりと着実に体質改善して、蘇りつつある日本企業

伊勢: 花子ちゃんは「失われた30年」という言葉を聞いたことがあるだろう?

花子: ええ、うちの父がいつも言っています。確か1990年代初頭から、現在まで続いている30年もの日本経済の停滞ということですね。

 父はちょうど2000年に大学を卒業したんですけど、その頃はバブル崩壊後の就職超氷河期でどこにも就職できず、やむなく近くの蕎麦屋さんでアルバイトを始めたそうです。幸い、一生懸命に働いたんで、ご主人からも気に入られて、暖簾(のれん)分けして貰って、今の蕎麦屋をやっています。

伊勢: お父さんはちょうど卒業時期が超氷河期にぶつかって不運だったけど、頑張って自分の店を持てたんだね。でも、それもできない多くの人々が、大学は出たけれど、派遣社員やアルバイトで安定した仕事につけないという悲惨な状況が続いた。

 こういうことから、私のメルマガ「国際派日本人養成講座」でも、何度か「失われた30年」という表現を使ってきたけど、実はこの期間、多くの日本企業が停滞していたのではなく、ゆっくりだけど着実に進化して、力強く蘇りつつある、と分析した経済書が出たんだ。『シン・日本の経営 悲観バイアスを排す』という本だけどね。


■2.今の日本の最大の課題は「絶え間ない悲観と憂鬱」

花子: 『シン・ゴジラ』みたいなタイトルですね。でも日本企業が蘇りつつある、なんて、初めて聞きました。少子高齢化、人口減少、円安、物価高、一向に出口の見えないデフレ、、、そんな暗いニュースばかり聞かされていますけど。

伊勢: そこが、この本で「悲観バイアスを排す」と副題についている理由だね。この本の著者ウリケ・シェーデさんは、ドイツ出身の女性経営学者で9年以上の日本滞在経験を持ち、一橋大学や日本銀行などで研究員や客員教授を務めた。現在はアメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校の大学院教授をしている。

花子: 「悲観バイアス」って、日本人が物事を悲観的に見過ぎているということですか?

伊勢: その通り、この本の結論部で、著者はこう語っている。
__________
 日本は過去20〜30年の「停滞」の間も着実に成長してきたという観点から、日本を見ていくべきだ。日本の失業率は他のOECD加盟国よりもはるかに低い。人々は勤勉かつ誠実に働き、高いスキルを持たない人でもパートタイムの仕事を見つけることができる。
多くを望みすぎなければ、一部のパートタイムの仕事は終身雇用に転換されることもある。社会は混乱状態にはないし、大きな社会的な分断もない。社会のセーフティネットは充実し、国土は美しく、都市は清潔で安全だ。これらはすべて大きな成果といえる。[シェーデ、p183]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

花子: そう言われれば、確かにアメリカのように大規模な黒人暴動が起きたり、ヨーロッパのように移民の集団が犯罪を犯すような混乱はないですね。でも、食料品の値上げで、みな大変な思いをしてますけど。

伊勢: 15歳から24歳の若者の失業率で見ると、アメリカは9.0%、ヨーロッパは14.1%に対して、日本は4.1%だから、欧米よりははるかにましなんだね。「国土は美しく、都市は清潔で安全」なのは、言うまでもない。こうして見ると、我々日本人は欧米などよりも、はるかに安定し、安全で清潔な国に住みながら、「日本には希望がない、もうダメだ」などと言っている訳だ。

 シェーデさんは、「悲観バイアス」について、こう語っている。
__________
 おそらく今の日本の最大の課題は「絶え間ない悲観と憂鬱」とでも呼ぶべき考え方が蔓延していることだろう。・・・
このように常に暗いトーンで語られるせいで、日本の強みはとかく見過ごされ、・・・最近の改善状況はほとんど注目されていなかった。これがあまりにも長く続いてきたので、良いニュースがあっても、日本人を含めて、ほとんどの人がそれを信じきれずにいる。[シェーデ、p185]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

伊勢: これはまさしく経済版の「自虐史観」だね。これでは本当の自分の実力を知って、それを発揮して主体的に未来を切り開いていることはできない。


■3.きわめて専門性の強い事業分野で高い利益率を持つ企業群

花子: 日本の失業率の低さや、安全で清潔な国、というのは、分かりましたが、「過去20 〜 30年の「停滞」の間も着実に成長してきた」というのは、どんな事実から言えるのでしょうか?

伊勢: それがシェーデさんの経営学者としての研究成果の核心なんだけど、冒頭でこんなふうに要約している。

__________
 日本が世間で言われるよりもはるかに強い理由は、日本企業の再興が進行中であり、グローバルな最先端技術の領域で事業を展開する機敏で賢い企業が新たに出てきたことにある。こうした企業の多くは最終製品ではなく、素材や部品などの中間財を製造している。消費者は日本の中間財の技術や生産設備の重要性に気づいていないことが多い。[シェーデ、p5]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 そんな「機敏で賢い」企業例が、シェーデさんの本に「2000〜2009年度の平均営業利益率の上位40社」として、一覧表として並んでいる。上位の5社ほど、事業内容と利益率を紹介すると、こんな具合なんだ。

・(株)キーエンス センサ、測定器など、47.48%
・ファナック(株) 工場自動化、ロボットなど、32.69%
・ヒロセ電機(株) 高性能コネクタ、29.42%
・(株)ホギメディカル 医療用不織布、24.72%
・ユニオン・ツール 産業用切削工具、24.38%

 等々、こんな具体に40社も並んでいる。利益率20%と言ったら、一億円売ったら、2千万円も利益が出る、という大変な水準だ。

花子: キーエンスとか、ファナックは聞いたことがありますけど、あとは知らない企業ばかりですね。

伊勢: そう、ひところのパナソニックとか、日立、ソニーなどの有名な大企業ではなく、きわめて専門性の高い事業分野で、独占的な位置を占め、高い利益率を誇っている企業がたくさん出てきている。

 特に、センサ、高性能コネクタ、医療用不織布など、高度に専門的な部品材料、あるいは、ロボットや産業用切削工具など、工場で用いられるハイテク設備類など、一般消費者には縁のない商品ばかりだから、聞いたことのないのは当然だね。こういうハイテク企業が、化学、鉄鋼、精密機械、医薬品などの分野でゴロゴロしている。

 ハーバード大学では、世界各国の「複雑性ランキング」を発表している。これは各国がどれだけ難しい、容易に真似できない製品を輸出しているか、のランキングだ。たとえば、ワイシャツなんかは、どこの国でも作れるけど、医療用不織布を作れる国は限られている。こういう観点から、世界の国々をランキングすると、日本は過去30年にわたって、1位を続けているそうだ。

花子: えーっ、そうなんですか? そんな話は初めて聞きました。

伊勢: 一般消費者の知らないところで、多くの日本企業が独自の製品技術や生産技術に磨きを掛け、他の国には容易に真似できない商品を生み出し続けているんだね。


■4.小錦から舞の海へ

伊勢: 昭和の頃の代表的な日本企業と、令和の日本企業の違いをシェーデさんは、大相撲の「小錦から舞の海へ」という巧みな比喩で表現している。

花子: 私は相撲はまったく知らないんですけど、その二人はどんなお相撲さんなんですか?

伊勢: 小錦は身長184センチで体重が275キロの巨漢だ。一方の舞の海は身長171センチ、体重は100キロに満たない。その小柄な舞の海が小錦と12回対戦して5勝を上げている。圧倒的な体格差から見れば、舞の海の善戦ぶりは凄いと言えるだろう。

花子: 身長171センチ、体重は100キロに満たないと言ったら、普通の人とあまり変わりませんね。それだけの体格差で、舞の海はどうして小錦に5回も勝てたんですか?

伊勢: 舞の海は現役時代に33種類もの決まり手を使ったそうだ。その技の多さで、「技のデパート」という異名をとった。しかも、対戦毎に相手も戦法を変えてくるから、それを上回る形で、毎回新たな技を繰り出して、対戦相手と観客を驚かせていたらしい。

花子: 「体格の小錦」対「技の舞の海」という構図は分かりましたけど、それが企業にどう関係するんですか?


■5.日立製作所の変貌

伊勢: 昭和の頃の日本企業は、とにかく大企業になろうということで、いわば小錦を目指していた。それが令和の日本企業は小さくとも、高度な技術で勝負する舞の海になった、ということだね。

 その代表例を、シェーデさんは、日立製作所の例で説明している。バブル崩壊前は日立に限らず、日本の多くの大企業は、とにかく事業を多角化して、売上げを大きくすることを目指していた。しかし、そんな「小錦」戦略はバブル崩壊で行き詰まる。
__________
 バブル崩壊後、日立は大苦戦し、2001年から2010年にかけて営業利益率は2%を割った。過度に多角化して多数の事業に手を広げたものの、その多くは収益性が低かった。

2010年の日立のウェブサイトには、冷蔵庫や掃除機などの家電製品、ハードディスク・ドライブや半導体などコンピュータの周辺機器、化学品、建設機械、医療機器、鉄道車両、フォークリフト、タービン、発電所など、10以上の「中核」事業が並んでいた。これら事業に共通するコア・コンピタンス(JOG注: 中核技術)は何かと聞かれると、日立の経営陣でさえ口ごもった。[シェーデ、p69]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.日立の「舞の海」への変貌

 日立はこの「小錦」戦略から、「舞の海」戦略に転換した。
__________
そんな日立が過去10年の間に新しい会社へと変貌を遂げている。既存事業の多くから撤退し、日立化成など珠玉の事業も売却した。新たに掲げた目標は「スマートシティ」技術とアプリケーションのリーダーになることだ。・・・
日立製作所は2023年に11年連続で、情報サービス企業クラリベイトの「Top100グローバル・イノベーター」に選ばれたが、これは同社が集中的にディープテック(JOG注: 先端技術)戦略に移行している証だ。[シェーデ、p69]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

花子: 今でも家電の量販店に行けば、日立の冷蔵庫やエアコンなどが並んでいますから、そんな風に変わったとは気がつきませんでした。

伊勢: 2010年度と2023年度を比べると、売上高は約9兆3100億円から10兆8900億円と、13年で17%ほどしか伸びていない。年平均の成長率は1.2%ほどに過ぎない。これだけ見たら「失われた30年」の停滞と言えるだろう。でも、営業利益は約4,400億円から7,481億円へと1.7倍に伸びている。営業利益率も4.6%から6.9%に伸びた。

「スマートシティ」技術の一環が鉄道事業で、売上高は約5倍に伸びて、その8割を海外で稼いでいる。日本の高品質な鉄道技術を海外市場に展開し、信頼性や安全性の高さが評価されている。イギリスで車両約600両の製造と27年半の保守事業の一括受注で、総事業費5500億円もの巨大プロジェクトの受注に成功している。

花子: イギリスのような先進国で、そんな巨大事業の受注に成功するなんて、凄いですね。

伊勢: 鉄道事業は、中国が低コスト戦略で海外受注にも積極的だが、車両の製造から保守、線路、信号の保守点検、運行システムなど、実にさまざまな技術を総合的に組み合わせて初めて高度の信頼性、安全性が実現する。それこそ「舞の海」戦略そのものだろう。


■7.社会の安定、安心を維持するための「遅い」変化

花子: パソコンや家電で、日本企業のブランドが見えなくなって、その代わりに中国や韓国ばかりが活躍しているので、日本企業は衰退一方かと思っていました。

伊勢: 確かに、日本企業の活躍舞台はハイテクの部品材料や、設備・インフラなど、一般消費者には見えない所に移ったので、そう思うのは無理はない。もう一つ、日本企業の進化が目に見えないのは、それがとてもゆっくりだからだ。

 たとえば、GAFA、つまり、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンは近年、急速に我々の生活シーンに入ってきて、いかにもアメリカ企業のスピードの速さが印象づけられている。たとえば、Amazonは過去5年間で年平均約16%もの成長を続けている。5年で2倍以上だね。

花子: 確かにウチの父も、数年前にアマゾンを使い始めて、今ではあれこれ日常的に使っています。

伊勢: しかし、こうした成功企業の陰では、多くの敗残企業が倒産し、失業者をたくさん出している。それに比べると、日本企業はリストラと言っても、退職金の上乗せをした早期退職制度や、配置転換など、穏やかな手段をとっている。

花子: 国によって、企業のスピードはだいぶ違うんですね。

伊勢: そう、それをよく「日本の企業はアメリカに比べて、変化のスピードが遅い」などと言う人がいるけど、シェーデさんは、変化のスピードの遅さは、「日本企業が安定し、安全で、比較的平等な社会を維持するために甘んじて支払っている代償だ」[シェーデ、p128]と指摘している。

「スピードが遅いから日本企業はダメだ」というのは、これまた自虐的な指摘で、「安定、安全で、比較的平等な社会を維持するためには、変化はゆっくりで良い」と言う戦略と考えるべきだね。その根本にあるのが、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を調和を理想とするの日本の「三方よし」の事業哲学だ。「売り手よし」には従業員の生活も入るから、急激な人員整理などできない。
__________
テーマ・マガジン「三方よしの日本的経営」
 多くの企業が、買い手よし、売り手よし、世間よしの「三方よし」を追求することで、永続的な成功を享受してきた。
https://note.com/jog_jp/m/me3ec3c881a98
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伊勢: この哲学で、多くの日本企業がじっくり自らの技術を磨き、今では世界市場でも独自の技術で活躍し、高収益と安定的な雇用を維持している。それが我々、日本の事業哲学なんだ。

花子: 私も、そんな企業に就職したいなぁ。何か、希望が湧いてきました。
(文責 伊勢雅臣)


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夫婦別姓? で、家族の名前はどうするの?20241125

2024-11-25 | 気になる文書
<選択制夫婦別姓について>
長いですがぜひお読みください。
「歴史人物学習館 https://rekijin.net/ 」や私の主催する「大人のための歴史講座」で
たいへんお世話になっている伊勢雅臣先生のコラムです。
百姓一揆は闘いではなく話し合いであったことも書かれています。
それもぜひ知っていただけるとありがたいです。

■■ Japan On the Globe(1397)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

Common Sense: 夫婦別姓? で、家族の名前はどうするの?

 姓は個人名の一部ではなく、家族の名前。夫婦・親子別姓になれば、家族の姓がなくなり、家族はバラバラの個人になる。
■転送歓迎■ R06.11.24 ■ 77,010 Copies ■ 8,763,688Views■
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■■■ 徳川幕府が目指した「百姓成立(なりたち) ■■■

 百姓一揆は革命を目指した階級闘争ではありません。

 領主は百姓の生活が成り立つ(百姓成立)ような統治をする責務があり、百姓はそれに応えて、年貢を納めるという原則がありました。

 江戸時代に発生した百姓一揆は、1430件。その中で役人が殺害されたのは、わずか1件のみ。百姓一揆は「百姓成立」の責任を果たしていない領主に対する集団交渉でした。

 幕府も百姓成立の責任を果たしていない領主はお取り潰し。逆に上杉家の米沢藩は、天明の大飢饉でも、備蓄米を活用して餓死者ゼロ、他藩からの難民も救って、幕府から「美政である」と三度も表彰されています。

 徳川幕府は、こういう形で、「民を大御宝として大切にしよう」という神武天皇の詔の実現に努めたのです。

伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』、発売中
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459409788X/japanontheg01-22/
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■1.「70.6% 選択的夫婦別姓に賛成」のウソ

「【政策解説】立憲民主党は選択的夫婦別姓の実現をめざします」という同党のホームページ[立憲民主党]を読むと、この党は夫婦別姓に関する基本的な知識を欠いているのでは、と思えてきます。

 まずは、冒頭に「70.6% 選択的夫婦別姓に賛成」という大きな円グラフがあります。この数値は、本誌JOG(1393)で述べたように、内閣府調査での「夫婦同姓制度を維持した上で旧姓の通称使用」という選択肢を隠した上での調査です。これを入れると、次の結果となります。

(1)「現在の制度である夫婦同姓制度を維持した方がよい」27.0%、
(2)「現在の制度である夫婦同姓制度を維持した上で、旧姓の通称使用についての法制度を設けた方がよい」42.2%
(3)「選択的夫婦別姓制度を導入した方がよい」28.9%

 (2)の「夫婦同姓維持+旧姓の通称使用」は「条件付き夫婦同姓制度維持」ですから、(1)「夫婦同姓制度維持」と合わせて、69.2%の国民が「同姓制度維持」に賛成していることになります。

 本稿では、この国民の約7割が支持している「同姓制度維持」が歴史的、社会的、道徳的にも積極的な意義を持つ事を論じます。


■2.「家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから」

 今まで最高裁は、現在の夫婦同姓制度を合憲とした判決を二度出しています。その最初の判決(平成27(2015)年12月16日)では、こう指摘されています。
__________
 家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから,このように個人の呼称の一部である氏(JOG注: 本稿での姓)をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性があるといえる。[最高裁]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位」とは、国連の人権宣言で、次のように謳われている一文そのままです。
__________
第16条3 家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その「自然かつ基礎的な集団単位」の呼称が「姓」なのだから、「その家族に属する親子が共通の姓を使うことは合理性がある」ということです。以下、本稿ではこの点を強調するために、「家族姓」という言葉を使いましょう。

 この点で、夫婦別姓論者たちは、姓は個人の名前の一部だと誤解していて、家族の名称であることを理解していない、あるいは意図的に隠しているのでは? という疑問が湧いてきます。

「選択的夫婦別姓」で、「選択的だからいいじゃないか」という主張に対して、それは「姓を個人名の一部にしてしまうことであって、家族の名前が失われ、ひいては家族の消滅を助長する」という問題が隠されてしまいます。正確には「夫婦別姓」ではなく「家族姓廃止」と捉えるべきなのです。


■3.家族姓がないと、こんな問題が、、、

「家族姓を廃止して姓名を個人の名」とすると、どんな問題が起きるのでしょうか。姓に関する各国事情をまとめた栗田路子『夫婦別姓――家族と多様性の各国事情』にこんなフランス人女性の声が紹介されています。

 この女性は二度の離婚を経験しており、それぞれの夫と一人づつ子供をもうけました。二人の子供はそれぞれの父親の姓を引き継いでおり、子供を連れて旅行する際には、三人とも姓が違うので、空港ではこんな目に遭(あ)うそうです。
__________
 子どもの連れ去りではないことを証明するために、父親の合意書を提出させられ、その都度、親子関係について詳しい説明を強いられる。書類を失くしたら、誘拐したと言われても仕方ないんですよ。[栗田、P81]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「同じ姓なら同じ家族」という社会常識が欧州でもあるのですね。この女性は、子供たちを自分の姓にしておけば、こんな事にはならなかったと言いたいようですが、たとえ、そうしても父親と子供が一緒に旅行したら、同じ問題が発生します。

 フランスでは出生時に届け出た姓名を変えることは許されていないので、こんな不合理なことが起こるのです。日本なら母親が離婚して旧姓に戻った場合、母親に養育される子供は家庭裁判所に申請すれば、母親の籍に入って母親の旧姓を名乗ることができます。日本の戸籍制度は、フランスよりも合理的かつ現実的なのです。

 またブランというフランス人男性は、子供に妻の姓バルックをつけたら、幼稚園に連れて行くたびに「バルックさん」と呼ばれて、そのたびに「いや、子どもはバルックですが、私はブランです」と何度訂正しても直らないとボヤいています。

 父親のぼやきだけでなく、こんな訂正を子供の前で何度もしていたら、子供はこの父親は自分のことを本気で愛してくれているのだろうか、と不安に思ってしまうのではないでしょうか?

 こんな例でも、日本の戸籍制度で現在広まりつつある旧姓の通称使用を適用すれば、この男性は仕事では通称の「ブランさん」のままで通り、幼稚園では子供と同じ家族姓の「バルックさん」となります。子供に心配を与える恐れはなくなります。

 この一文の著者は、「子どもの姓=父親の姓という図式は深く社会に根付いている」と批判的に述べていますが、これは「家族の姓は一つ」という人類が長い歴史を通じて深めてきた叡知なのです。

 夫婦と子供が同じ家族姓を名乗ることで、夫婦関係と親子関係を簡単明瞭に周囲に示し、また親は子の養育責任を自覚し、子供には安心を与えるのです。最高裁判決で「氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性がある」というのは、こういうことを指しているのです。


■4.「タラちゃんとワカメとカツオはひとつの家族」?

 家族姓の意義を、サザエさんの例で考えてみましょう。サザエさんは磯野家の長女として生まれました。父・磯野波平、母・磯野フネ、弟に磯野カツオ、妹に磯野ワカメがいます。サザエさんはフグ田マスオと結婚して、フグ田サザエとなり、長男フグ田タラオを生みました。社民党の福島瑞穂議員はかつて夫婦別姓を推す本で、こんなことを書きました。
__________
タラちゃんとワカメとカツオは一緒に遊んでいるけれども姓は違う。 しかし、やっぱりひとつの家族である。[福島]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 タラちゃんとワカメとカツオは法律上は「ひとつの家族」ではありません。磯野家とフグ田家の二つの家族が同居しているだけです。夫婦別姓を唱える国会議員、しかも弁護士出身の人間がこんな初歩的な事も理解していないのか、と驚いてしまいます。

 磯野カツオと磯野ワカメの養育責任は、父・磯野波平と母・磯野フネにあります。タラちゃん、ことフグ田タラオの養育責任はフグ田サザエとフグ田マスオにあります。磯野、フグ田という家族名によって、この養育責任が誰の目にも明らかになるのです。

 マスオさんにとっても磯野家に同居していますが、サザエさんもタラちゃんもフグ田という自分の姓を名乗っている以上、二人を、夫として父親として守る責任を自覚するでしょう。

 内閣府の令和3(2021)年の世論調査においても、夫婦別姓で「子どもにとって好ましくない影響があると思う」と答えた人の割合が69.0%にも達しているのは、上記の世間常識を現しています。[内閣府]

 また内閣府の令和3年の調査で、「婚姻によって、自分の名字・姓が相手の名字・姓に変わったとした場合、どのような感じを持つと思うか」という設問に対して、以下の結果が得られています[内閣府]。

・「名字・姓が変わったことで、新たな人生が始まるような喜びを感じると思う」54.1%
・「相手と一体となったような喜びを感じると思う」39.7%
・「名字・姓が変わったことに違和感を持つと思う」25.6%

 大多数の人が、相手との家族姓の共有に喜びを感じると考えているのです。家族姓の意義については、国民常識となっているのです。


■5.「夫婦同姓」の「伝統」は「せいぜい」(?)5、6百年

 立憲民主党のページでは、「夫婦同姓は明治31(1898)年の民法(旧法)で、はじめて設定され、江戸時代以前には農民・町民には苗字=氏の使用は許されなかった」という法務省の「我が国における氏の制度の変遷」[法務省]という文書を引用しています。これは今日の研究で判明している事実を正確に表現していません。

 江戸時代以前の庶民は、武士の手前で苗字を名乗ることを許されなかっただけで、村内では苗字を持ち使っていました。たとえば、長野県のある寺が天明3(1783)年に再建された時に、その奉加帳に名前だけで苗字の書いてない寄付者は一人もいませんでした。そのような例がたくさん見つかっています。[豊田、P161]

 また、夫婦同姓については、室町時代に同じ家族姓を持つ夫婦が、嫁ぎ先の家族姓に改名した娘に土地を譲り渡す書状の実例が見つかっています。[坂田、p155] こうした研究から、坂田聡・中央大学教授は次のように結論づけています。
__________
「夫婦同姓」(夫婦同苗字)の「伝統」なるものは、さすがに一〇〇年よりは長いが、せいぜい五〇〇〜六〇〇年がいいところであった。[坂田、P154]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「さすがに一〇〇年よりは長いが」というのは、夫婦別姓論者で夫婦同姓の歴史は明治31(1898)年の民法から始まる、と誤解している人がいるからです。明治政府は当初、武士階級の慣習から、夫婦別姓を布告しましたが、各地方から民衆の夫婦同姓の慣習から異議申し立てが続出して、同姓制度に変更したのです。

 この坂田教授は別姓支持者らしく、夫婦同姓の伝統は「せいぜい五〇〇〜六〇〇年がいいところ」と口惜しげな物言いですが、「5、6百年もの伝統」と言ったら、随分長いというのが、通常の国民の常識的な感覚でしょう。


■6.「家族同姓」は男女差別?

 立憲民主党のページでは、さらに「夫婦同姓の下で結婚前の名字を変更するのは、ほとんど(96%)が女性であり、国連の女性差別撤廃委員会から女性差別だと繰り返し指摘されています」と指摘していますが、これは問題でしょうか?

 民法第750号では「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と規定しており、平成27(2015)年の最高裁判決では「夫婦が協議して、どちらかの姓に決める」のだから、そこに男女差別はない、と結論づけられています。国連機関の勧告は、日本の左翼論者が暗躍しているようですし、何の権限も権威もない文書なので無視しておけば良いだけです。

 そもそも社会的事実として大多数の家族が夫の姓を家族姓としていることは、男女差別でしょうか? 夫婦別姓が認められているアメリカでも約70%が夫の姓を名乗っています。イギリスではほぼ90%[BBC]。フランスは戸籍名は変えられませんが、通称で夫の姓を名乗る女性が91%[フランスシャボー]。

 こうしてみると、夫婦別姓でも夫の姓を名乗ることが、欧米でも一般的と言えます。したがって、そこには人類共通の伝統的智慧が潜んでいると考えられます。

 その一つは、妻は妊娠と出産時に、家族の経済的・精神的保護を必要とします。その際に、妻が夫の姓を名乗っていれば、夫は妻を守らなければ、という自覚を持ちます。また、周囲もそれが夫の責務だという見なします。妻が夫の姓を名乗ることは、女性差別ではなく、女性を守る為の伝統的智慧なのです。

 家族姓が夫の責任を明確化するというメリットは、子供も享受します。子供は生まれてから成長するまでに親の養育が必要です。母親と子の間は出産という絆で固く結ばれていますが、父親と子の絆は家族として一緒の生活と、同じ家族姓を持つ事で生まれてきます。

 夫婦同姓で夫の姓を家族姓とすることは、欧米でも日本でも長い歴史を通じて深められた社会の伝統的な智慧なのです。この智慧に比べたら、「男性も50%は妻の姓を選ぶべき」などという男女同数を理想とするのは、何の合理的根拠もなく、歴史的検証もされていない、机上の空論だという事が分かります。


■7.夫婦同姓制度は世界で最も安定した日本社会を支え続けてくれる

 日本の女性は守られるだけではありません。2012年の「妻が財布の紐を握る国」ランキングでは、日本が55.7%のダントツです。これがアメリカは16.8%、フランス3.2%です[プレジデント]。家族が財布を共有し、家事や育児などの出費も全般的に把握している妻が出費を管理するのは家族として合理的です。

 このように夫と妻がそれぞれの適性や能力を発揮して、それぞれの役割を果たして、家族を支えていくというのが、日本古来からの「男女対等」の理想です。そして、夫も妻も子供たちも、みな大切な大御宝であり、それぞれ「処を得て」安らかな、そして生き甲斐のある生活をしていくことが古来からの理想でした。[伊勢]

 JOG(1385)で紹介した次期米副大統領ジェームス・D・ヴァンス上院議員(40歳)が自伝『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』には、母が2年間で4回も結婚と離婚を繰り返し、ヴァンス少年が「ただただ落ち着ける家が欲しかった」と悲痛な思いを述べる一場面がありました[ヴァンス、p170]。

 家族姓を否定し、家族を消滅させてバラバラの個人に還元してしまおうという文化マルクス主義者たちの犠牲者が、このような気の毒な子供です。我が国の子供たちにこういう思いをさせないためにも、我が先祖が長い時間をかけて深めてくれた伝統的な智慧に学ぶ必要があります。夫婦同姓制度は旧姓の通称使用という改良を加えるだけで、世界で最も安定した日本社会を支え続けてくれるのです。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・伊勢雅臣『大御宝 大御宝 日本史を貫く建国の理念』、扶桑社、R06
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459409788X/japanontheg01-22/

・JOG(1385) ヒルビリーの「不仕合わせ」、大御宝の「仕合わせ」
 アメリカの繁栄から取りのこされた山地の白人貧困階級ヒルビリー、それは我が国でも決して他人事ではない。
https://note.com/jog_jp/n/ne839b9564adb

・JOG(1152) 結婚・出産・育児は幸福の源泉
 米国における多くの科学的調査で、結婚・出産・育児は幸福の源泉であることが示されている。
https://note.com/jog_jp/n/n2ffa18aaa992

・JOG(6) リベラル派の欠陥 〜 事実把握力と論理思考力
 ロシア革命後の家庭崩壊をも評価する夫婦別姓論者の論理破綻。
https://note.com/jog_jp/n/ncb8cfcf60555

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・栗田路子『夫婦別姓 ――家族と多様性の各国事情』★★、ちくま新書、R03
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4480074406/japanontheg01-22/

・最高裁判所「平成27年12月16日 大法廷判決」
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/546/085546_hanrei.pdf

・豊田武『苗字の歴史』★★、吉川弘文館、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4642063846/japanontheg01-22/

・内閣府「家族の法制に関する世論調査」R03.12
https://survey.gov-online.go.jp/r03/r03-kazoku/2-2.html

・BBC「Why do women still change their names?」R0209
https://www.bbc.com/worklife/article/20200921-why-do-women-still-change-their-names

・ヴァンス、J・D『ヒルビリー・エレジー』★★★、光文社未来ライブラリー、R04
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4334770525/japanontheg01-22/

・フランスシャボー「フランス人女性はなぜ結婚すると苗字を変えるのか」H31.02
https://francechapeau.com/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BA%BA-%E7%B5%90%E5%A9%9A-%E8%8B%97%E5%AD%97/

・プレジデントオンライン「世界的にみて異質「なぜ日本の家庭では妻が財布の紐をにぎるのか」、R03
https://president.jp/articles/-/47414
・法務省「我が国における氏の制度の変遷」
https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html

・立憲民主党「立憲民主党は選択的夫婦別姓に実現をめざします」
https://cdp-japan.jp/news/20210707_1758


■伊勢雅臣より

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