『日本人として忘れてはならない4つの日シリーズ』8月6日
田中の知り合いのある学校の先生がFACEBOOKに記された文章です。ぜひお読みください。
(ここから)
明日は8月6日。夏休みに入る前には話ができませんでしたので、今後、歴史の授業が進んでいき、昭和のところで必ず子どもたちには話したいと考えています。小学校6年生を対象に作成しました。参考になれば幸いです。
明日は上皇陛下(125代天皇陛下)が挙げられた「日本人として忘れてはならない4つの日」の1つに当たります。何の日かわかりますよね。
そう、8月6日は広島に原爆が投下された日です。
毎年、この時期になると、日本とアメリカが約80年前に行った戦争について報道がありますが、なかなか報道されないことがあります。なんだと思いますか。
それは、原爆投下の正しい名称です。
現在、小学校の教科書では「1945(昭和20)年8月6日、広島に世界で最初の原子爆弾が落とされ(原爆投下)、まちはいっしゅんのうちに破壊され、多くの人々がなくなりました」という説明があります。その他には「たった1発の原子爆弾が広島のまちをいっしゅんで破壊し、原爆の熱戦、爆風、放射線で数万人もの人々がなくなりました。1945年の12月末までに約14万人もの人々がなくなったと考えられています」というような説明もあります。
しかし、肝心な説明がないのです。
それは3月に行われた東京への空襲も同じです。
「1944(昭和19)年になると、アメリカ軍の飛行機が日本の都市に爆弾を落とすこと(空襲)が多くなりました。軍事施設や工場だけでなく、住宅地も爆撃され、東京や大阪をはじめ、多くの都市が焼け野原となり、多くの人々の命が奪われました」と。
ちなみに、3月10日の東京大空襲の死傷者は12万人と言われています。
では、何が報道されていないというのでしょうか。
その前に…
戦争の反対って何かわかりますか。「平和」ではありません。
よく、学校の授業でも戦争と平和を対義語のように教えることがあるようですが、よくよく考えると言葉の使い方がおかしいことがわかります。
なぜなら、「戦争」は国家間の問題を解決する際の手段の一つであるからです。そして、「平和」は状態や様子を表す言葉です。要するに、言葉の性質が違うもの同士を並べているから本質がわからなくなるのです。
ですから、手段を比較をするのであれば、戦争の反対は「話し合い」であり、平和の反対は「無秩序」となるわけです。
そもそも、国家間の問題を解決するために、軍服を着ている軍人同士が行う戦い(戦争)については国際法上、認められているのです。
ただし、絶対に許されないことがあります。それは、「一般市民」を攻撃することです。
国際法は一般市民の大量虐殺を「してはならない」と明確に規定しています。ですから、原爆投下は明らかな戦時国際法違反行為なのです。それなのに、教科書には一切、そのことについてふれられていません。おかしくないでしょうか。肝心の説明というのはそのことです。
そして、原爆投下の名称は正しくは「民族大虐殺」としなければならないのです。このことが全く報道されていませんし、なにより、学校でも教えてこられませんでした。
よって、3月10日は「東京大空襲の日」ではなく「東京大虐殺の日」、8月6日は「広島大虐殺の日」としなければおかしいのです。
アメリカのトルーマン大統領は原爆投下について説明を述べている中で、広島を「日本の陸軍の最重要基地」としています。しかし、原爆被害を受けた広島の市街地は陸軍基地ではありません。ただの市街地です。
そして、広島で原爆によって亡くなられた市民は一般人です。アメリカだってバカじゃありません。広島が一般人の住むところであることくらい、承知していたでしょう。にもかかわらず、広島が「日本の陸軍の最重要基地」と公式に声明を出しているのです。
なんということでしょうか。
さらに、広島長崎に原爆が投下された後、アメリカで原爆開発のマンハッタン計画を担当したロス・アラモス研究所は2つの原爆投下について、次のように公式に述べています。
「我々は、史上二度の『原爆実験』に成功した」と。
実験に成功した、です。あの2度にわたる原爆が実験だというのです。なんということでしょう。
広島に投下されたのは通称「リトルボーイ」、これは「ウラン235型原爆」です。この原爆によって1945年の12月末までに約14万人もの人々が亡くなっているのです。ただ、死んだだけでなく、原爆の熱線を浴びて、その何倍もの多くの人が苦しみ続けたのです。
それを「実験」とはなんたることでしょうか。
よく「原爆が落とされたから戦争が終わったのだ」ということを言う人がいます。それは、そのように教わってきたからか、もしくは報道の受け売りです。
はっきり言います。それは「嘘」です。事実ではありません。なぜか。
終戦後の昭和20年9日に日本に訪れた、米国戦略爆撃調査団が書いた「最終報告書」という資料があります。トルーマン大統領に提出された公式な報告書です。
『たとえ原爆が投下されなかったとしても、ソ連が参戦しなかったとしても、本土作戦が行われなくても、日本は非常に高い確率で九州上陸作戦の決行予定日である昭和20年11月1日から、12月31日までの間に、確実に降伏したであろう』
原爆を投下しなくても、「日本は確実に降伏したであろう」と書いてあります。 実はここに原爆投下が「実験」として行われた重大な意味が隠されているのではないか、といえます。
アメリカはこの時点で、「日本に何をしても、絶対に日本から報復を受けるおそれがない」 と踏んだから、日本に対して原爆投下「実験」をしたということです。
米国が原爆投下「実験」をした最大の理由は、ただひとつ。 それは「その時点で日本に何をしても日本からの反撃や報復攻撃を受ける可能性が皆無だった」 という理由です。
反撃される心配がないから、日本人は実験材料としての「モルモット」にされたのです。 古来、モルモットはさまざまな動物実験に用いられています。 なぜモルモットが使われるのか。 それは、モルモットが人間を襲う心配が100%ないからです。
なんということでしょうか。
ここでひとつ大切なことを伝えておかなければなりません。
広島、長崎に原爆が投下される前に、すでに日本では原爆の開発を終えていたという事実です。 開発途上だったという人もいます。そうではなく完成段階にあったという説もあります。
はっきりしていることは、その原爆(これを日本では新型爆弾と呼びました)は、すでに使用できる段階にまで至っていたという事実です。 当時、軍の上層部は、この新型爆弾をもってアメリカに大勝負を挑みたいと昭和天皇に上奏しました。 これは記録に残っている史実です。 けれど昭和天皇は、この上奏を却下しました。 そのとき昭和天皇は、次のようにおおせであったそうです。
「その新型爆弾によって、たとえ我が国の戦況が有利になることがあったとしても、そのために、相互が新型爆弾の投下合戦にいたり、結果、何百万もの民が死ぬようなことになるとしたら、私はご先祖に申し訳がたたない」
陛下はそのように述べられ、原爆の製造の禁止を現下に却下しただけでなく、その開発の中止までをも命じられたのです。 日本は、広島、長崎に原爆が投下されたとき、それが新型爆弾(原子爆弾)だとすぐにわかりました。 なぜわかったかといえば、日本でも同じ爆弾を開発していたからです。
ですから日本は、すぐに米国政府に抗議文を出しています。 その抗議文は、スイスを通じて出されました。 引用しますので、是非、ご一読いただきたいと思います。
【米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文】
今月6日、米国航空機は、広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し、瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅させました。 広島市は、何ら特殊の軍事的防衛機能や、そのための施設を施していない普通の一地方都市です。 同市全体を、ひとつの軍事目標にするような性質を持つ町ではありません。本件爆撃に関する声明において、米国トルーマン大統領は「われらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊した」と言っています。 しかしこの爆弾は、落下傘を付けて投下され、空中で炸裂し、極めて広い範囲への破壊的効力を及ぼすものです。つまり、この爆弾で、この投下方法を用いるとき、攻撃の効果を右のような特定目標に限定することは、物理的に全然不可能なことは明白です。そして本件爆弾が、どのような性能を持つものであるかは、米国側は、すでに承知しているものです。 実際の被害状況は、広範囲にわたって交戦者、非交戦者の別なく、男女老幼を問わず、すべて爆風および幅射熱によって無差別に殺傷されました。 その被害範囲は広く、かつ甚大であるだけでなく、個々の傷害状況を見ても、「惨虐」なるものです。 およそ交戦者は、害敵手段の選択について、無制限の権利を有するものではありません。 不必要の苦痛を与えるような兵器、投射物その他を使用してはならないことは、戦時国際法の根本原則です。 そのことは、戦時国際法であるハーグ陸戦条約規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定されています。 米国政府はこのたびの世界大戦勃発以来、再三にわたって、 「毒ガスその他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の世論によって不法であり、相手国が先に使用しない限り、これを使用することはない」と声明しています。しかし、米国が今回使用した本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において、従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器よりも、はるかに凌駕するものです。米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたって日本の大都市に対して、無差別爆撃を実施しています。多数の老幼婦女子を殺傷しています。 神社や仏閣、学校や病院、一般の民家などを倒壊または焼失させています。 そしてさらにいま、新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物とも比べ物にならない無差別性、惨虐性をもつ本件爆弾を使用したのです。これは人類文化に対する新たな罪悪です。日本政府は、ここに自からの名において、かつまた、全人類、および文明の名において、米国政府を糾弾します。そして即時、かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求します。昭和20年8月11日
日本国政府はこの抗議文で、原爆を「非人道的兵器」と呼び、その使用を米国政府に「放棄せよ」とまで言っています。 科学技術としての開発はともかく、それを兵器として使用することは、人道上許されないと明確に述べています。 これが日本の姿勢です。
原爆を投下によって無差別大量殺人をしていながら、大統領声明で「広島は軍事基地だ」と強弁した米国政府、それが自国の原爆開発をむしろ積極的に放棄した日本国政府と、理はどちらにあるのでしょうか。
このことは、終戦の詔勅にも明確に述べられています。
(口語訳)
敵国は新たに残虐なる爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。 この上、なお交戦を続けるであろうか。 ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。 そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
世界中、どこの国でもすべてに優先するのが国益です。どの国も、自国の利益のためだけに思考し行動します。 けれど、昭和天皇は「人類文明そのもの」と述べられています。人類史上、人類の福祉と幸福のために、身を切る覚悟とその実行をしてきたのは、昭和天皇のご意思です。
日本は戦争をしました。
日清戦争においても、日露戦争においても、第一次大戦、第二次大戦においても、軍人同士が衝突する、国際法上も適法な戦争をしました。
けれど日本以外の諸国は、最初のうちは戦争をしていたものの、途中からは武器を手にした軍人によって、武器を持たない民間人を殺戮する虐殺に変化しています。先の大戦でいうならば、昭和19年秋から日本本土への空襲が行われるようになりましたが、これにより戦争は、戦争ではなくなりました。
それでも日本は、日本を護ろうと軍人による戦争を継続しましたが、昭和20年8月の原爆投下により、日本は自主的に戦争を終わらせています。
このことを「日本が戦争に敗れた」という方がいますが違います。 日本は戦争はしたけれど、虐殺に加担はしなかったのです。 これが誇りある日本の姿勢というものです。
このようなことが報道されないから、そして、教育で教えられないから、私たち日本人は的外れな議論ばかりしているのです。
広島の平和記念公園には「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」と刻まれた石碑があります。
いったい、何が「過ち」だったのでしょうか。
少なくとも原爆を投下されたのは日本人の過ちではありません。広島への原爆投下はあきらかに民間人大虐殺であり、アメリカの過ちであることは明白です。そのことを私たち日本人は忘れてはいけないのではないでしょうか。
明日、午前8時15分に黙とうを捧げます。
※参考文献「ねずさんのひとりごと」
田中の知り合いのある学校の先生がFACEBOOKに記された文章です。ぜひお読みください。
(ここから)
明日は8月6日。夏休みに入る前には話ができませんでしたので、今後、歴史の授業が進んでいき、昭和のところで必ず子どもたちには話したいと考えています。小学校6年生を対象に作成しました。参考になれば幸いです。
明日は上皇陛下(125代天皇陛下)が挙げられた「日本人として忘れてはならない4つの日」の1つに当たります。何の日かわかりますよね。
そう、8月6日は広島に原爆が投下された日です。
毎年、この時期になると、日本とアメリカが約80年前に行った戦争について報道がありますが、なかなか報道されないことがあります。なんだと思いますか。
それは、原爆投下の正しい名称です。
現在、小学校の教科書では「1945(昭和20)年8月6日、広島に世界で最初の原子爆弾が落とされ(原爆投下)、まちはいっしゅんのうちに破壊され、多くの人々がなくなりました」という説明があります。その他には「たった1発の原子爆弾が広島のまちをいっしゅんで破壊し、原爆の熱戦、爆風、放射線で数万人もの人々がなくなりました。1945年の12月末までに約14万人もの人々がなくなったと考えられています」というような説明もあります。
しかし、肝心な説明がないのです。
それは3月に行われた東京への空襲も同じです。
「1944(昭和19)年になると、アメリカ軍の飛行機が日本の都市に爆弾を落とすこと(空襲)が多くなりました。軍事施設や工場だけでなく、住宅地も爆撃され、東京や大阪をはじめ、多くの都市が焼け野原となり、多くの人々の命が奪われました」と。
ちなみに、3月10日の東京大空襲の死傷者は12万人と言われています。
では、何が報道されていないというのでしょうか。
その前に…
戦争の反対って何かわかりますか。「平和」ではありません。
よく、学校の授業でも戦争と平和を対義語のように教えることがあるようですが、よくよく考えると言葉の使い方がおかしいことがわかります。
なぜなら、「戦争」は国家間の問題を解決する際の手段の一つであるからです。そして、「平和」は状態や様子を表す言葉です。要するに、言葉の性質が違うもの同士を並べているから本質がわからなくなるのです。
ですから、手段を比較をするのであれば、戦争の反対は「話し合い」であり、平和の反対は「無秩序」となるわけです。
そもそも、国家間の問題を解決するために、軍服を着ている軍人同士が行う戦い(戦争)については国際法上、認められているのです。
ただし、絶対に許されないことがあります。それは、「一般市民」を攻撃することです。
国際法は一般市民の大量虐殺を「してはならない」と明確に規定しています。ですから、原爆投下は明らかな戦時国際法違反行為なのです。それなのに、教科書には一切、そのことについてふれられていません。おかしくないでしょうか。肝心の説明というのはそのことです。
そして、原爆投下の名称は正しくは「民族大虐殺」としなければならないのです。このことが全く報道されていませんし、なにより、学校でも教えてこられませんでした。
よって、3月10日は「東京大空襲の日」ではなく「東京大虐殺の日」、8月6日は「広島大虐殺の日」としなければおかしいのです。
アメリカのトルーマン大統領は原爆投下について説明を述べている中で、広島を「日本の陸軍の最重要基地」としています。しかし、原爆被害を受けた広島の市街地は陸軍基地ではありません。ただの市街地です。
そして、広島で原爆によって亡くなられた市民は一般人です。アメリカだってバカじゃありません。広島が一般人の住むところであることくらい、承知していたでしょう。にもかかわらず、広島が「日本の陸軍の最重要基地」と公式に声明を出しているのです。
なんということでしょうか。
さらに、広島長崎に原爆が投下された後、アメリカで原爆開発のマンハッタン計画を担当したロス・アラモス研究所は2つの原爆投下について、次のように公式に述べています。
「我々は、史上二度の『原爆実験』に成功した」と。
実験に成功した、です。あの2度にわたる原爆が実験だというのです。なんということでしょう。
広島に投下されたのは通称「リトルボーイ」、これは「ウラン235型原爆」です。この原爆によって1945年の12月末までに約14万人もの人々が亡くなっているのです。ただ、死んだだけでなく、原爆の熱線を浴びて、その何倍もの多くの人が苦しみ続けたのです。
それを「実験」とはなんたることでしょうか。
よく「原爆が落とされたから戦争が終わったのだ」ということを言う人がいます。それは、そのように教わってきたからか、もしくは報道の受け売りです。
はっきり言います。それは「嘘」です。事実ではありません。なぜか。
終戦後の昭和20年9日に日本に訪れた、米国戦略爆撃調査団が書いた「最終報告書」という資料があります。トルーマン大統領に提出された公式な報告書です。
『たとえ原爆が投下されなかったとしても、ソ連が参戦しなかったとしても、本土作戦が行われなくても、日本は非常に高い確率で九州上陸作戦の決行予定日である昭和20年11月1日から、12月31日までの間に、確実に降伏したであろう』
原爆を投下しなくても、「日本は確実に降伏したであろう」と書いてあります。 実はここに原爆投下が「実験」として行われた重大な意味が隠されているのではないか、といえます。
アメリカはこの時点で、「日本に何をしても、絶対に日本から報復を受けるおそれがない」 と踏んだから、日本に対して原爆投下「実験」をしたということです。
米国が原爆投下「実験」をした最大の理由は、ただひとつ。 それは「その時点で日本に何をしても日本からの反撃や報復攻撃を受ける可能性が皆無だった」 という理由です。
反撃される心配がないから、日本人は実験材料としての「モルモット」にされたのです。 古来、モルモットはさまざまな動物実験に用いられています。 なぜモルモットが使われるのか。 それは、モルモットが人間を襲う心配が100%ないからです。
なんということでしょうか。
ここでひとつ大切なことを伝えておかなければなりません。
広島、長崎に原爆が投下される前に、すでに日本では原爆の開発を終えていたという事実です。 開発途上だったという人もいます。そうではなく完成段階にあったという説もあります。
はっきりしていることは、その原爆(これを日本では新型爆弾と呼びました)は、すでに使用できる段階にまで至っていたという事実です。 当時、軍の上層部は、この新型爆弾をもってアメリカに大勝負を挑みたいと昭和天皇に上奏しました。 これは記録に残っている史実です。 けれど昭和天皇は、この上奏を却下しました。 そのとき昭和天皇は、次のようにおおせであったそうです。
「その新型爆弾によって、たとえ我が国の戦況が有利になることがあったとしても、そのために、相互が新型爆弾の投下合戦にいたり、結果、何百万もの民が死ぬようなことになるとしたら、私はご先祖に申し訳がたたない」
陛下はそのように述べられ、原爆の製造の禁止を現下に却下しただけでなく、その開発の中止までをも命じられたのです。 日本は、広島、長崎に原爆が投下されたとき、それが新型爆弾(原子爆弾)だとすぐにわかりました。 なぜわかったかといえば、日本でも同じ爆弾を開発していたからです。
ですから日本は、すぐに米国政府に抗議文を出しています。 その抗議文は、スイスを通じて出されました。 引用しますので、是非、ご一読いただきたいと思います。
【米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文】
今月6日、米国航空機は、広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し、瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅させました。 広島市は、何ら特殊の軍事的防衛機能や、そのための施設を施していない普通の一地方都市です。 同市全体を、ひとつの軍事目標にするような性質を持つ町ではありません。本件爆撃に関する声明において、米国トルーマン大統領は「われらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊した」と言っています。 しかしこの爆弾は、落下傘を付けて投下され、空中で炸裂し、極めて広い範囲への破壊的効力を及ぼすものです。つまり、この爆弾で、この投下方法を用いるとき、攻撃の効果を右のような特定目標に限定することは、物理的に全然不可能なことは明白です。そして本件爆弾が、どのような性能を持つものであるかは、米国側は、すでに承知しているものです。 実際の被害状況は、広範囲にわたって交戦者、非交戦者の別なく、男女老幼を問わず、すべて爆風および幅射熱によって無差別に殺傷されました。 その被害範囲は広く、かつ甚大であるだけでなく、個々の傷害状況を見ても、「惨虐」なるものです。 およそ交戦者は、害敵手段の選択について、無制限の権利を有するものではありません。 不必要の苦痛を与えるような兵器、投射物その他を使用してはならないことは、戦時国際法の根本原則です。 そのことは、戦時国際法であるハーグ陸戦条約規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定されています。 米国政府はこのたびの世界大戦勃発以来、再三にわたって、 「毒ガスその他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の世論によって不法であり、相手国が先に使用しない限り、これを使用することはない」と声明しています。しかし、米国が今回使用した本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において、従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器よりも、はるかに凌駕するものです。米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたって日本の大都市に対して、無差別爆撃を実施しています。多数の老幼婦女子を殺傷しています。 神社や仏閣、学校や病院、一般の民家などを倒壊または焼失させています。 そしてさらにいま、新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物とも比べ物にならない無差別性、惨虐性をもつ本件爆弾を使用したのです。これは人類文化に対する新たな罪悪です。日本政府は、ここに自からの名において、かつまた、全人類、および文明の名において、米国政府を糾弾します。そして即時、かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求します。昭和20年8月11日
日本国政府はこの抗議文で、原爆を「非人道的兵器」と呼び、その使用を米国政府に「放棄せよ」とまで言っています。 科学技術としての開発はともかく、それを兵器として使用することは、人道上許されないと明確に述べています。 これが日本の姿勢です。
原爆を投下によって無差別大量殺人をしていながら、大統領声明で「広島は軍事基地だ」と強弁した米国政府、それが自国の原爆開発をむしろ積極的に放棄した日本国政府と、理はどちらにあるのでしょうか。
このことは、終戦の詔勅にも明確に述べられています。
(口語訳)
敵国は新たに残虐なる爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。 この上、なお交戦を続けるであろうか。 ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。 そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
世界中、どこの国でもすべてに優先するのが国益です。どの国も、自国の利益のためだけに思考し行動します。 けれど、昭和天皇は「人類文明そのもの」と述べられています。人類史上、人類の福祉と幸福のために、身を切る覚悟とその実行をしてきたのは、昭和天皇のご意思です。
日本は戦争をしました。
日清戦争においても、日露戦争においても、第一次大戦、第二次大戦においても、軍人同士が衝突する、国際法上も適法な戦争をしました。
けれど日本以外の諸国は、最初のうちは戦争をしていたものの、途中からは武器を手にした軍人によって、武器を持たない民間人を殺戮する虐殺に変化しています。先の大戦でいうならば、昭和19年秋から日本本土への空襲が行われるようになりましたが、これにより戦争は、戦争ではなくなりました。
それでも日本は、日本を護ろうと軍人による戦争を継続しましたが、昭和20年8月の原爆投下により、日本は自主的に戦争を終わらせています。
このことを「日本が戦争に敗れた」という方がいますが違います。 日本は戦争はしたけれど、虐殺に加担はしなかったのです。 これが誇りある日本の姿勢というものです。
このようなことが報道されないから、そして、教育で教えられないから、私たち日本人は的外れな議論ばかりしているのです。
広島の平和記念公園には「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」と刻まれた石碑があります。
いったい、何が「過ち」だったのでしょうか。
少なくとも原爆を投下されたのは日本人の過ちではありません。広島への原爆投下はあきらかに民間人大虐殺であり、アメリカの過ちであることは明白です。そのことを私たち日本人は忘れてはいけないのではないでしょうか。
明日、午前8時15分に黙とうを捧げます。
※参考文献「ねずさんのひとりごと」