この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

ザ・ピーナツをご存じですか?

2021-07-08 13:10:00 | 歌は世につれ
ザ・ピーナツをご存じだろうか?
おそらくデビューは「モスラ」という特撮映画だったと思う。こびと役で登場して美しい歌声を披露した。(モスラが巨大だったからこびとではなかったかもしれない)「モスラ~ヤ!モスラ~、ドンガカチャックヤ!インドムゥ~」と何語か分からない歌を歌っていた。
歌とコントで綴る「シャボン玉ホリデー」は毎週楽しみだった。
「シャボン玉、ルルルルルルル。シャボン玉ラララララララ。ロマンティックな夢ね。まるい素敵な夢ね。リズムに乗せて運んでくるのね、ホリディ、ホリデーイ、シャボン玉~、シャボン玉ホリデー」「恋のフーガ」「恋のバカンス」「ウナセラディ東京」。綺麗な歌声と美しいハーモニーに魅了されていた。わたしの青春である。
しかし、当時はどちらが姉のエミでどちらが妹のユミであるかにはまったく興味なかった。

最近YouTubeで歌を楽しんでいたらピーナツにたどり着いた。懐かしくて見ていると、左の方が自由に楽しんでいて、右の方がハモらせることに専念していた。つまり補佐することに心を注いでいるように見えた。
どちらが姉でどちらが妹かという疑問が湧いた。
きっと右の方がお姉さんなのだろうと思ったら逆だった。ふつう妹が奔放で、姉の方が面倒を見るサポート役に回るのではないかと思ったのだ。

ジュリーは奔放な姉の方に惚れたのだ。確かに左側の姉の方が可愛い。素直に育ったように見える。
妹さんはずっと姉のセッター役に徹していたのだろう。少し屈折する人生を送っていたのかもしれない。
つきちゃん(妹のユミ)がインタビューに答えて、お姉さんのひでちゃんはおっちょこちょいで天然だったと語っている。また、姉のひでちゃんは「わたしたちは誰が姉で誰が妹かということはまったく意識してこなかった」と語っている。おそらく親もお姉ちゃんだから、妹だからという扱いをしなかったのだろう。それがこの個性を築いたのかもしれない。
姉はジュリーと別れて2012年に亡くなっている。妹は少し遅れて2015年にひっそりと亡くなった。
一世を風靡した双子のデュオにしては寂しい晩年だったと思う。

一卵性双生児の遺伝子はまったく同じである。にもかかわらず、別人格になるのはどういうわけだろう。
リチャード・ドーキンスがその著書「利己的な遺伝子」で人間を含めた生物は遺伝子が永続的に生き続けるための器に過ぎないと言っている。
しかし、わたしには逆に思える。
生命がその乗り物として遺伝子を作りそれを活用しているのではないだろうか。遺伝子の方が単なる乗り物なのだ。物質ではない生命がこの世界に存在するためには何らかの物質化を図らなければならない。それが遺伝子であり、脳という変換器なのだ。

遺伝子が全く同じなのに別の人格になるということはどういうことか。さらに個性が異なるということは。明らかにドーキンスの仮説を否定していると思うのだ。
ザ・ピーナツから偉大な仮説を否定するのは無謀の誹りと言われそうだが・・・。
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