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風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽描き水彩画「近江八幡の八幡堀に見る下水道のルーツ『背割排水溝』を絵に」

2016-11-03 06:50:00 | アート・文化

   

滋賀県近江八幡市の八幡城跡を流れる八幡堀を歩くと、あちこちでこの絵のような石を敷き詰めた溝を目にします。
溝は堀より高いところにある城下町の通りから堀へと伸びて、雨水が流れ込む仕組み。「背割り排水溝(せわりはいすいこう)」と呼ばれます。
断続的に雨が降ったこの日も雨水が流れ込んでいました。
調べてみると、何とこれはわが国の下水道のルーツだったのです。

天正期の1585年、豊臣秀吉の甥にあたる豊臣秀次は八幡城を築いた際、防衛目的と琵琶湖を活用した水運振興のため八幡堀を造りましたが、秀次は八幡堀建設にもう一つの目的を加えていました。

当時の人々の毎日の暮らしから出る糞尿や生活雑排水は、一部は貯えて田畑の肥料にしていたでしょうが、多くは穴を掘って捨てるか、いわゆる垂れ流しに近い状態だったと思われます。
秀次は、城下を臭気と非衛生から守ることに目を付けたのでしょう。いわば下水処理施設を建設したのです。

背割排水溝という名称は、外見が切り出した木材の乾燥によるひび割れ防止のため表面に切り込みを入れる背割に似ていることから呼ばれました。
糞尿も流し込む八幡堀はすごい臭気や汚れだっただろうと思いきや、そうではなかったようです。近年の研究によると、堀を運航する船から通行料を徴収して浚渫費をひねり出し、町民も積極的に清掃や堤防の下刈りなどをして、いまのような美観のある堀だったそうです。

もちろん、現在は糞尿や生活雑排水は別処理され、流れ込んでいるのは雨水だけです。
古代ローマが地下に掘り巡らした下水道はよく知られていますが、日本ではこの背割排水溝が環境衛生の保護や都市造りの貴重なレガシーだといえますね。
作品は10号で描きました。
     
 

排水溝からの流れ口(上)と八幡堀


 

 


楽書き雑記「高校生らしい着想を楽しむ=愛知県私学美術展へ」

2016-11-02 16:31:35 | 催し







      

名古屋・栄の愛知県美術館で開催中の県内の私立高校生による第63回愛知県私学美術展を見てきました。ことしは夏から秋にかけて同美術館をメーンに「あいちトリエンナーレ」があったため開催が各校の文化祭と重なったせいか、参加校・出点数とも少な目ですが、高校生らしい新鮮な表現が楽しませてくれました。6日(日)まで。

展示されているのは絵画・デザイン画、写真、書道の3部門。
とりわけ、デジタル化もあって豊かな着想が求められる写真では、泳ぐコイと水底に映るコイの影を入れて「クローン」と題した作品や、「ひとりぼっち」の題で背後から足だけをとらえた作品、生物の一瞬の表情や姿をかなりの時間をかけて狙ったことがうかがえる作品などが目立ちました。

絵画部門では波打ち際からの風景や、実際に描くとなると難しい水面に映る空の表情を思い切って絵にした作品、書道部門でも伸び伸びと力強く筆を走らせた文字が見る側の足を止めてくれました。







 

     







楽描き水彩画「廃寺の庭に敷き詰められたイチョウのじゅうたん」

2016-11-01 06:50:00 | 催し



公園でも街路でも、イチョウのじゅうたんが敷かれ始めました。
ただ、この絵のじゅうたんは数年前の秋、ドライブ中に見かけたのですが、もう見ることはできません。

というのは――。
この風景があったのは、豊田市郊外の山あいの集落。小高い所に小さな廃寺があり、本堂に面した境内の庭が一本のイチョウの大木から舞い落ちた黄金の葉で埋め尽くされていました。
「描きたいな」と思ったものの「難しいそうだから、いずれまた」とカメラに収め、近くにあった池の水面に映る紅葉を描いただけだったのを思い出します。

この夏、再び近くへ出かけて思い出し「秋に来て今年こそ描いてやろう。その前に写真に撮っていなかった廃寺をスケッチしておこう」と現地へ車を走らせました。
ところが、驚いたことに廃寺を含めてあとかたなく整地されていたのです。

仕方なく保存してあった写真を引っ張り出し,10号の絵にしました。
「思い立ったが吉日」。絵画の制作に限らず、この教訓に背く失敗をまたやってしまったのです。