佐賀県唐津市呼子町 名護屋城跡
約400年前全国統一を果した豊臣秀吉は朝鮮や中国大陸をも
侵略しようとして1592年~1598年にかけて文禄・慶長の役を起こしました。
この時、配下の諸大名に命じて出兵基地として築かせたのが名護屋城です。
総面積17万㎡の巨大な城と各地から参集した大名の陣屋の跡は
国の特別史跡に指定されています。
唐津市呼子町 加藤嘉明陣跡
加藤嘉明はその当時伊予松前(愛媛県伊予郡松前町)の1万5000石の
城主で文禄・慶長の役では水軍の将として750人の兵を率いて参陣しました。
秀吉古参の武将であり賎ケ岳の七本槍の1人として知られています。
この役の後、嘉明は伊予松山20万石から会津若松40万石に移され
68歳で没しました。