佐賀県太良町 竹崎城址
竹崎城は南北朝時代(1378年頃)足利尊氏の反逆に対して南朝の
懐良親王に味方して島原の有馬泰隆が築城し足利方(今川了俊)の
大軍を避けたといわれる。
戦国時代は有馬氏(島原)と龍造寺氏(肥前)の勢力の接点であったため
攻防が繰り返された。城の規模は名護屋城、唐津城、佐賀城などに比するもので
島原の乱(1637年~1638年)の後取り壊されたとされる。
竹崎城址展望台
竹崎観世音寺の拝み堂の跡地と言われている。
佐賀県太良町 竹崎城址
竹崎城は南北朝時代(1378年頃)足利尊氏の反逆に対して南朝の
懐良親王に味方して島原の有馬泰隆が築城し足利方(今川了俊)の
大軍を避けたといわれる。
戦国時代は有馬氏(島原)と龍造寺氏(肥前)の勢力の接点であったため
攻防が繰り返された。城の規模は名護屋城、唐津城、佐賀城などに比するもので
島原の乱(1637年~1638年)の後取り壊されたとされる。
竹崎城址展望台
竹崎観世音寺の拝み堂の跡地と言われている。