溝口城跡 福岡県筑後市
筑後15城のひとつ溝口城
1573年~1592年頃溝口氏の居城であったらしい。
度重なる矢部川の氾濫で城の明確な場所は定かではない。
現在竈門神社の建つ所は馬場のあった所らしい。
1351年肥後の菊池武光が征西将軍宮、懐良親王を奉じて
入城したのが初見で、溝口氏は下妻郡溝口(筑後市溝口)を
本拠とし南北朝、戦国時代の文書に名をみますが記録が少なく
不明な点が多く残されています。
溝口氏は1550年豊後国(大分県)大友氏に叛きますが
城を落とされ衰退、その後も各勢力の下で働きますが
往時の活躍は見られません。溝口集落ではかて多くの
遺墓が築かれていましたが、1804年~1818年には
転倒した石塔が散在していたと言われます。
この頃溝口村に疫病が流行り多くの人が亡くなりました。
ある人に見立ててもらうと、これは溝口宗清の祟りであると
出た為、村人達は倒れた石塔から良いものだけ選び
新たに石塔を建て9月11日に供養を行うようになりました。