かっぱblog

鍼治療のことや日々のことなどを書いてます。

刻みこまれる

2014年04月30日 | 鍼治療

こないだ外出していたら、子供に怒っているお母さんがいた。

とても怒っていて、子供をおいて先に歩いて行った。

子供はあわてて後ろから追いかけていた。

その後、自分が帰ろうとしたら、さっきの子供が離れた場所で激しく怒られていた。

 

子供の姿勢や、お母さんを追いかける時の走り方。

それらがとても不自然に感じた。

先にそういった子供の姿に目がいって、後でお母さんが怒っているのに気づいたぐらい。

10歳に満たない子供だったが、筋緊張が小さな首や背中や肩に刻み込まれ、姿勢や動き方を子供らしくないものにしていた。

それは、その時たまたま怒られていたからという、一時的なものではないように感じられた。

すでに深く傷ついているのだろう。

 

あの子は緊張から解放される必要がある。

毎日力が抜けず、疲れやすいだろう。 

そしてあの子の母親も。

 

 

 

 

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散策

2014年04月27日 | 日記

散策。

行くたび毎に、「いい場所だな」と感じる。

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処分

2014年04月25日 | 日記

最近子供は保育園で折り紙やら工作をよくしているようだ。

家でもよく作っている。

そしてたまっていく。。

「捨てていいのはどれ?処分していこう」

などと促すものの、なかなか捨てることができない。

 

逆に、

「パパ、ここら辺の本読んでないでしょ。処分したら?」

と本棚の中の、あまり読んでいない本(漢方薬系)を指差して言ってくる。

よく見ているな。。

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混沌

2014年04月23日 | 鍼治療

昨日の記事を書いて、荘子の渾沌(混沌)の話を思い出した。


「荘子 応帝王」  中国古典文学大系4  倉石武四郎  関正郎訳

『南海の帝を(シュク)といい、北海の帝を忽(コツ)といい(シュクコツは時の流れのすみやかなこと)、
中央の帝を渾沌(こんとん)といった。
このシュクと忽が、ある時、渾沌のところでいっしょになった。
渾沌はたいへん丁寧に接待してくれた。
そこでシュクと忽とは渾沌の恩義に報いようと相談した。

「人にはみな7つの穴があり、見たり、聞いたり、ものを食べたり、息をしたりする。
しかしこの帝にだけはなにもない。ひとつためしに穴をあけてやりましょう」

一日に一つずつ穴をあけたところ、七日目に渾沌は死んでしまった。』


感覚的なことを明確に言語で意識しようとすると情報にフィルターがかかる。

そのため、言語で表現できないフィルターがかかっていない情報の方が遥かに大きい。

それは曖昧で混沌とした情報だ。

それを明確に表現しようとしたり、何か具体性を持たせようとすると、それは死んでしまう。

 

 

 

 

 

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言語化とイメージ

2014年04月22日 | 鍼治療

こないだ書いた記事「つかれ」で、

『その身体と心の状態が続いてしまっている状態で全身の筋肉の緊張(バランス)だけでなく、自律神経など身体内部の様々なはたらきとも関連している。』

などと書いたが、東洋医学の言葉はそういった全体の傾向をあらわすのに適していると思う。

「気が」と言うと「気???」などと驚かれて引っ込めることもあるが、

「気が上がっている」「気が滅入っている」ぐらいは普通に通じる(と思う)。

そして陰と陽。

木火土金水の五行。

身体で感じた情報を説明可能な言葉に変換しようと意識すると、強力なフィルターがかかる。

そして言葉で伝えることができるのは、とても限定されたものとなってしまう。

その過程で失われる多くの身体知(情報)は切り捨てられたままとなる。


しかしシンボルやメタファーは身体という自然を非言語的(直観的)に理解するのを助けてくれる。

陰陽や五行は対象(のバランス)の観方であり、身体と付き合いアプローチする際のコミュニケーションツールとなる。

昔はそのイメージを伝えて、そのまま共有することもできたのだろうと思う。

ただ、現代ではそういった表現は普通にはなかなか通じない。

古来から使われているイメージをそのまま使うのではなく、もう少し分かりやすくしないと伝わらない。

 

シンボルやメタファーの呼び起こすイメージ(とその共有)には治癒力を賦活するのに役立つ。

そんなわけで、適当で曖昧な東洋医学的説明を大切にしていこうと思う。

 

 

 

 

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疲れが解けるプロセス

2014年04月19日 | 鍼治療

以前書いた「立ち方の学習」。

こないだ緊張を自覚して、この記事のことを思い出した。

慢性的な疲れ(緊張)を解いていくプロセスは学習というより脱学習。

でも、プロセス自体は似ていると思う。

ずっと右肩上がり(下がり)で解けていくわけではない。

 

日々の疲れに対しては、意識できている範囲の緊張をできるだけスムーズに解いていく。

それがある限界に達すると、次第に意識できていない部分が出てくる(気づいていく)。

そして”その部分”の緊張を解いていくプロセスがはじまる。

 

そうすると、全体が強張っていく。

それまでできていたことが一旦できなくなる。

それを外から見ると退化と感じる。

でも実際は次のステップに進むためのサナギの状態であり過渡期。

この状態でそれまでの枠組みが再編される。

「そこを意識できないようにしている障害」に気づくことで緊張は除かれていく。

この状態で外から過干渉されると、こじれる。

 

”その部分”の緊張が解けると、全体に再統合される。

それまでできていたことが、再び”そこを含めて”できるようになる。

それは以前より快適な状態となる。

 

 


 

    治療所の情報

     愛知県一宮市の九河堂(きゅうがどう)針灸院

      ホームページはこちらです

      刺さない鍼の専門院です

 

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つかれ

2014年04月17日 | 日記

「何でこうなっているのか?」、「どういう状態ですか?」などと聞かれた時、

「とてもつかれてますね」という言葉を時々使う。

こう答えると、

「はー、そうですか。そんなにつかれてないですけどね」

などと反発する人もいる。

つかれていると認めたくない人程、つかれていることが多い。

医者(整形)や接骨院でされるような「○○筋がこうなって」といった説明が欲しいのかも知れない。

 

不要な力が入っていると、ある動きがしにくかったり、動きに痛みが伴なったりする。

動かなくても違和感(肩こり)や痛みが出たりすることもある。

そういった状態は”今ここでこうしているには”不要な力が入っているということになる。

その状態は他の(過去の)ある場面・状況では有用だったのだろう。

でも、その身体と心の状態が続いてしまっている状態。

それは全身の筋肉の緊張(バランス)だけでなく、自律神経など身体内部の様々なはたらきとも関連している。

「原因は○○筋です」とか「骨盤の歪みです」などとは、(自分は)言えない。

 

それらを要約するに、”つかれ”ている。

「疲れ」であって、「憑かれ」。

皮にやまいだれで「疲れ」。

皮膚が偏ったままニュートラルな状態に戻っておらず、そのため筋肉の緊張もニュートラルに戻れない。

そして過去の状態を引きずったままになっているから、「憑かれ」。

ある状況への反応状態に取り憑かれたままになっている。

”今ここでこうしているには”不要な力が入っているということに気づいていない状態。

気づくことで解消されていく。

施術を受けなくても解消できる場合もあるし、他者のサポートが必要な場合もある。

しかし掘り下げていくと、それらの「場合」がつながって問題は収斂されていく。

ここでは皮膚へ鍼をすることで、そういった状態を解いている。

それは気づきのサポートとなる。

 

身体状態に気づくことがなければ慢性的な”つかれ”は解消はできない。

そして電気治療や強すぎるマッサージやシップは感覚を鈍くして、気づきは遠のく。

鍼でも同じだ。

ツボに不用意な刺激をすると、虚を衝くことになる。

虚を「衝かれ」ては、解けない。

それは新たな”つかれ”を生み出す。

 

 

 

 

 

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引き出す

2014年04月10日 | 鍼治療

施術後、最初に気になっていた部分(こと・主訴)と別の部分(こと)が気になってくることがある。

・最も気になっていた部分が気にならなくなることで、他の部分が気になりはじめる。

・それまで意識できなかった部分を意識できるようになり、新たな問題を認識する。

などがその理由。

 

そして施術後に施術前の主訴とは異なる、

「この部分(こと)が気になるからもっと鍼をしてほしい要求」

には応えないほうが結局よい結果となることが多い。

逆に要求に応えて追加でやると、刺激過多となることが多い。

まだ変化していくところだから。

 

「言い忘れてた」と考えることもあるが、実際にそれは施術前は気になっていなかったのだ。

つまり最も気になっていた部分(こと)が変化した結果出てきたのだが、最初と比べてよくなった部分に自分で目を向けようとしない状態。

その場合もやはり追加でやらない方がいい。

自分で身体の変化に目を向けるために。

 

治癒力を引き出すには、時にあえて要求に応えないことが必要となる。

そして問題は一つずつ解決していくほうが着実だ。

商売として考えると難しいところはあるけれど、やはり「ここ」と感じたヤメ時で終るのがお互いのためとなる。 

 

 

今日見てたスポーツニュースで印象に残ったコメントがあった。

選手を身体に置き換えると、自分で身体にこのように↓語りかけたら治癒力も高まるだろうなと思った。

うちの選手たちには、鼓舞のための言葉など必要ない。必要なのは安心と、明確な指示、そして彼らの力を最大限に引き出すことだ。私は彼らを高く評価している。その献身的なプレーと、チームとしての団結力に称賛を贈りたい」  ディエゴ・シメオネ

 

 

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親指側

2014年04月08日 | 鍼治療

以前のblog記事

『「動き」としては手の回内・回外は構造上、肘の真ん中あたり(橈骨頭)から手の小指側(尺骨茎状突起の辺り)を通るライン(尺骨)が軸となっている。

元々間違えて親指側を軸に動かしている場合も多いが、たとえそのことを知っていても小指側の意識が低くなると親指側を軸にして動かそうとするのだろうと思う。』

と書いた。

親指側で手の回内・回外をしていると構造上無理が生じて肩甲骨の間がこる。

東洋医学で言えば、太陽小腸経。

これまで小指側の小腸経に鍼をする他、解剖学の本を見せて、

「小指側を軸に回すようにできてるんですよ」

と言葉と視覚で説明したりしていた。

 

ところが、それがなかなかうまくいかないことがあった。

それで親指側の肺経に鍼をしたら変化した。

後で考えてみると、小指側の小腸経の意識が低くなってというより、親指側の肺経と関連する「悲・憂」といった感情が強くなりすぎて、そういった習慣が強く出ていたように思う。

五行論で言えば、火(小腸)→金(肺)の関係。

そういった場合、直接肺経に鍼をした方がいいのかも知れない。

そして、言葉や視覚での説明してもうまくいかない場合、とても幼いうちにその習慣が始まったのかも知れない。

推測ばかりですが。

 

 

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2014年04月07日 | 日記

桜をはじめ花が咲き乱れていた。

ウグイスなど鳥も多かった。

芝生の上を裸足で遊んだ。

今春も何ヶ所か桜を観に行ったけど、ここが一番だった。

 

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