かっぱblog

鍼治療のことや日々のことなどを書いてます。

適応的

2017年05月31日 | 鍼治療

「自分が何を見ているか」の判断は、その判断に対する行為の影響を受ける

 

“本研究によって、見ているものが一体何なのかを判断するとき、私たちは視覚情報のみを利用しているわけでなく、判断の報告に至るまでの処理すべてを利用して行っていることが明らかになりました。 ”

 

実験では行為の影響を調べているが、結論としては判断の報告に至るまでの処理すべてを利用しているとのこと。

 

 

旅では苦労した分、見たものに対する感動が高まることは多い。

ツアーで運ばれ連れていかれて見たものと、自分でいろいろ工夫して行って見たものは、たとえ同じものでも感じ方は異なるだろうと思う。
(同一人物で同じ場所は調べようがないけれど)

そして行為(運動)だけでなく、死を強く意識している時も見ているものが一体何なのかの判断は変わる。

来年は見れないかも、明日は見れないかもと意識していたら、

見ているものが今ここでしか見れない、二度と見れないモノだと意識したら、

何気ない夕日でも神聖に映ることだろう。

逆に、自分が常に緊張していたら(不要な力を入れる癖があったなら)、世界もそのように反映されて判断されるだろう。


見られているもの(対象)と見ている人(自分)は、切り離して考えることはできない。

鍼を受けた後も、感じ方が普段と異なることがあるのは、緊張が解消されるからだと思う。

 

 

“私たちの日常行為は、些細な癖が存在するなど、必ずしも適応的ではありません。そのような非適応的な行為の負荷を増やすような環境をデザインすることで、ヒトの情報処理・行為の適応性を高めるような研究にも着手する予定です。”


 

とのことだが、あえて非適応的な行為の負荷を増やすような環境に入らなくても、緊張が解消されて識別力が高まり、意識できなかった癖を意識できるようになっていけば、ヒトの情報処理・行為の適応性は高まると思われる。

 


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動機

2017年05月30日 | 日記

昨年の今頃、子供が一輪車の練習を少しはじめた。

うちの子供より学年が上の子達は一輪車を上手に乗りこなしていたのを見て、自然とはじめたようだった。

 

ちょくちょく、

「今日はこれぐらい乗れたよ」

などと教えてくれていた。

 

ある日、何気なく

「一輪車に乗れるようになったら、何かおもちゃを買ってあげるよ」

と言った。

少しでもモチベーションが高まればという思いもあった。

でも、子供はだんだん練習しなくなっていった。

そして今は興味を示さない。

 

最近、この記事↓を見てなるほどと思った。

http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/201701206_env.pdf

 

“自らの好奇心(内発的動機づけ)によってせっかく続いていた勉強に対するやる気が、勉強の成績に応じたお小遣い(外発的動機づけ)が与えられるようになった場合に、勉強の意欲が高まるどころか、むしろ、下がってしまう”


こういった現象は「アンダーマイニング効果」と呼ばれているらしい。

 

 

子供はただ新たなバランスを楽しんで、学んでいた。

それなのに、「乗れるようになったらおもちゃを買う」という自分の言葉が子供の好奇心の邪魔をしてしまったようだ。

これから気をつけていこうと思う。

反省。

 

 

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天気

2017年05月29日 | 日記

紫陽花が咲き始めた

 

海へドライブ

気持ちよい天気だった

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前回(「門」)のつづき

2017年05月24日 | 鍼治療

 

前回の感覚ゲーティングの話のつづき。

 

 

以前もblogで書いたことがあるが、慢性的な筋緊張は自分でそのように力を入れ続けていることには気づかない。

肩や首のこりに対して、

「何か石がのっているような」

という表現をする人は多い。

さらにひどいと「霊のせい・・・」などになり、「させられ体験」に近くなっていく。

そのように力を入れ続けている自覚がない場合、自他の境界も曖昧になっている。

逆に言えば境界や身体イメージが混乱しているから、力を入れ続けていることに気づかない。

それに対して気になったのが今回の研究の以下の部分。

 

“今回の研究成果は、自他の行動識別(自分の行動と、他人の行動により受け身で起こった運動の識別)に用いられている脳機能を反映している”

“例えば統合失調症など精神疾患の患者さんの一部はこの感覚ゲーティングに異常があることが知られ、それが自他混同などの病態の背景にあるとする考えがありました。”

 

とのこと。

 

体表のツボに鍼をすると筋緊張が多かれ少なかれ解除される。

そして続けていくと、慢性的な緊張がだんだん解消していくとともに、自分が力を入れていることを意識していくことになる。

力を入れている理由(記憶)を思い出したりするし、自他境界も明瞭になってくる。

皮膚が自我と関係していることは以前から指摘されているが、体表(皮膚)のツボは自覚や自己認識を賦活する(もしくは障害している)ポイントと自分は考えている。

 

 

実際に体表のツボに鍼をしていると、それは扉(門)という感覚に近い。

閉じているのが開く(反応する)ことで、筋緊張など心身全体に変化が及ぶ。

そういった変化の瞬間や長期的なプロセスにおいて、何が起きているのか。

自他境界や識別そして自我などと、皮膚・脳(中枢)・感覚ゲーティングの関連は興味深い。

 

 

 

 

 

 

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2017年05月22日 | 鍼治療

自分と他人の行動を識別する新たな神経機構を解明
-運動中の『感覚ゲーティング』がになう新たな機能-

 

鍼灸やマッサージの鎮痛効果を説明するためによく出てくる「ゲートコントロール理論」。

専門学校の教科書にも載っていた。

途中で修正されたりしているが簡単に言えば、

触刺激(触圧覚)による太い神経線維からの情報が入ることで、痛みを伝える細い神経線維から入る情報が抑制されて(細胞のゲートが閉じて)、痛みの感覚が減るというもの。

だから痛みがあると手を当てたり、さすったり、マッサージしたり、(痛くない)鍼刺激をすると鎮痛作用が生じるなどと説明されている。

そして痛みは末梢から中枢というだけでなく、情動や価値判断なども痛みと関連している。

 

この発表は筋肉の固有受容(運動)と皮膚感覚との関係におけるゲートについて。

 

“本研究グループは、手の運動を行っているサルの感覚応答を脊髄で測定する方法を新たに開発しました。その結果、皮膚からの感覚入力は予想通り運動中に低下していましたが、驚くことに筋肉からの感覚入力は反対に高まっていました。このことは、従来報告されてきた感覚ゲーティングとは異なる新しい発見でした。”

 

“皮膚感覚と筋感覚が全く異なるコントロールを受けていたことは、自分の行動の認識が、脳が末梢感覚の種類に応じて、きめ細かなコントロールを行った結果であることが示唆されました。”

 

とのこと。

 

 

自分自身がどのような姿勢をしているか、どのように力を入れているか、よくわからなくなっている(固くなっている)場合、運動をするとよくなる(ほぐれる)ことは多い。

それは単に心拍数を上げて血流をよくするというだけでなく、運動することで自分の身体の位置や状態の(固有受容)情報が高まり、不要な筋緊張が解消されやすくなるのだろう。

そしてたぶん、ゆっくり動く運動の方が効果的だろうし、変化の確認(自覚)も大切だろう。

 

 

しかし、運動しても解消できない慢性的な筋緊張もある。

もし慢性的な筋緊張自体をある種の運動とするなら、それは固有受容器からの情報を高めて皮膚からの情報を閉じる(低下させる)ことになるのだろうか?

トラウマのような感情を伴なう記憶を意識しないために、皮膚からの情報を(部分的に)遮断する必要があり、そのために力を入れ続けている(緊張し続けている)ということではないだろうか?

 

“たぶんこれは真実だろう 皮膚伝導反応なしに、ある情動に特有な自覚的な身体状態をもつことはない。”

「生存する脳 Descartes'Error」 アントニオ・R・ダマシオ著

 

 

そしてそういった筋緊張が慢性的になってくると、変化しないものは次第にそれを意識できなくなっていく。

筋緊張も皮膚感覚も意識(知覚)できず、痛みや動作制限が残されることになる。

身体を動かしても不要な筋緊張を持続させたまま運動をしてしまうことになり、無理が生じて偏った疲れにつながるし、怪我をしやすくなったりもする。

 

そういった状態に対して、皮膚のツボに鍼をすることで筋緊張が解ける。

ツボに鍼を当てた瞬間に寝てしまう人も多い。(マイクロスリープ)

その時、ゲートではどういった作用が生じているのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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変化

2017年05月03日 | 鍼治療

 

たとえば目が疲れている人がいるとする。

それでいろいろ不調(頭痛など)が起きているとする。

 

本人は他の不調には気づいていても、慢性的になった目の疲れは意識できなくなっている。

その疲れた心身状態を異常として気づくことで、自然とそれを解消するように自ら動く(変化する)。

PCやスマホやTV、読書を控えたり、目の運動をしたり、食生活など様々なことが変化する。

 

そのように識別力を高める治療がもっともよい方法だと自分は考えている。

そうすれば問題がよくなるだけでなく、治療を受ける必要性が低下していく(自身の問題を解消する力が高まる)から。

でも、治療(やっていること)や効果は気づかれにくい。

その場で変化する部分(問題)もあるが、それ以降は本人にとって『のどが渇いたから目の前の水を飲む』のと同じように、ごく自然な変化が多い。

水を飲んで渇きが収まってもそれが治療効果とは言えないし、『のどが渇いた』という気づきも、一旦潤えば気づいたということは忘れる。

「普通」に戻るだけだ。

そして気づきのきっかけはごく弱い刺激だから、なお更だ。

 

 

これまで自分もいろいろな治療〈施術)を受けてきた。

そして、今は実践している側だ。

自然と自分がもっともよいと思う(思った)こと行うようになった。

今では「自分はこんな治療をしている」などの想いはずいぶん希薄となったけど、そういう話をする機会があると、「ああそうだったな」と思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

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