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越中国の歴史と文化

越中国(富山県)の歴史と文化を紹介します。

参考文献

2006-04-08 19:03:15 | 藩政期越中国の教育史
『日本教育史資料』貳・九(文部省、明治二十五年)
『日本庶民教育史』上・中・下巻(乙竹岩造、昭和四年、目黒書店)
『富山県教育史』上巻(富山県教育史編纂委員会、昭和四十六年)
『自天保至安政 塾寺子屋の概況』(辻意川、明治三十九年四月、窪美昌保蔵)
『富山県史』通史編?近世下(富山県、昭和五十八年)・?現代上(昭和五十六年)
『富山県史』史料編?近世中(富山県、昭和五十三年)・?近世下(昭和四十九年)・?近代上(昭和五十三年)
『人づくり風土記』(農山漁村文化協会、平成五年)
『越中百家』上巻(富山新聞社編、昭和四十八年)、下巻(昭和四十九年)
『富山県の歴史と風土』(越中風土記刊行会、昭和五十二年、創土社)
『富山県の教育史』(坂井誠一、高瀬保編、昭和六十年、思文閣)
『越中史略』(篠原久太郎編、明治二十八年、學海堂)
『改訂増補 郷土數學』(田中鉄吉、昭和十二年、池善書店)
『富山県薬業史』通史(富山県、昭和六十二年)
『富山県薬業史史料集』上巻(高岡高等商業学校、昭和十年、岡書院)
『富山の寺社』(梅原隆章・北沢俊嶺監修、昭和五十三年、巧玄出版)
『学国越中』(富山別院開創百周年記念出版『学国越中』編纂委員会、昭和五十九年、永田文昌堂)
『書道辞典』(飯島春敬編、昭和五十年、東京堂出版)
『富山書道文人名鑑』(村澤城山、平成十年、美術骨董全国大会本部事務局)
『富山県書道人志5』(宮崎重美編、平成十三年、富山県書道人志刊行委員会)
『越中の明治維新』(高井進、昭和六十一年、桂書房)
『肯搆泉達録』(野崎雅明、復刊昭和四十九年、KNB興産株式会社)
『加賀郷土辞彙』(日置謙、昭和十七年、金沢文化協会)
『石川縣史』第三編(石川縣、昭和十五年)
『稿本金澤市史』學事編第一(金澤市役所、大正七年)、第二(大正八年)
『加越能維新勤王史略』(中田敬義編、昭和五年、加越能維新勤王家表彰会代表木越安綱)
『富山県姓氏家系大辞典』(富山県姓氏家系大辞典編集委員会、平成四年、角川書店)
『富山県の地名』(平凡社、平成六年)
『郷土に輝く人びと』各巻(富山県、昭和四十四年、四十五年、五十年)
『地図の記憶~伊能忠敬越中測量記~』(竹内慎一郎、平成十一年、桂書房)
『礪波教育八十年史』(礪波教育八十年史刊行会編集部、昭和三十一年)
『城端町北野郷土史』(北野地区振興会、昭和五十二年)
『雄神村誌』(畑六次郎、大正十三年)
「青島村郷土史」(青島尋常小学校、大正五年)
「種田村誌」(福野町立図書館所蔵、大正七年)
『平村史』(平村史編纂委員会、上巻昭和六十年、下巻昭和五十八年)
『越中五箇山平村史』上巻(平村史編纂委員会、昭和六十年)
『上平村誌』(上平村役場、昭和五十七年)
『上平村教育八十年畧史』(上平村教育委員会、昭和三十年)
『利賀村史2』近世(利賀村史編纂委員会、平成十一年)
『庄川町史』下巻(庄川町史編纂委員会、昭和五十年)
『青島小学校史』(青島小学校史編纂会、昭和四十三年)
『井口村史』上巻、通史編(井口村史編纂委員会、平成七年)
『福光町史』下巻(福光町、昭和四十六年)
『福光小学校誌』(福光小学校誌編纂委員会、昭和五十二年)
『福野町史』(福野町役場、昭和四十九年)
『福野町史』通史編(福野町史編纂委員会、平成三年)
『野尻村史』(東礪波郡野尻村役場、昭和四年)
『野尻校史』(野尻校史刊行会、昭和四十四年)
『広塚村のあゆみ』(福野町、昭和四十七年)
『福野町のいしぶみ』第二集(福野町教育委員会、昭和六十年)、第三集(昭和六十二年)、第四集(平成元年)
『城端町史』(城端町史編纂委員会、昭和三十四年)
『天文暦学者西村太冲伝』(河崎倫代、平成十三年、城端町教育委員会)
『城端俳史と俳人伝』(西川栄一、昭和四十九年)
『碑調査報告書』(城端町教育委員会梨の木グループ、昭和五十九年)
『井波誌』(宇野次四郎、昭和十二年、町立井波図書館館友会)
『井波町史』上巻(井波町史編纂委員会、昭和四十五年)
『山田村史』上巻(山田村史編纂委員会、昭和五十九年)
『富山県西砺波郡紀要』(富山県西礪波郡役所、明治四十二年)
『礪波市史』(礪波市史編纂委員会、昭和四十年)
『礪波市史』資料編5集落(平成八年)
「出町史資料」(砺波市立図書館所蔵)
『礪波市の石碑』(礪波市教育委員会)
『礪波市に映える人びと』(礪波市教育会、昭和五十年)
『下山田村誌』(大木和平、平成三年)
『庄下村史誌』(庄下地区自治振興会、昭和五十四年)
『礪波市若林村史』(野原勇蔵、昭和三十九年、礪波市若林自治振興会)
『中野村史』(中野村史編纂委員会、平成十三年)
『南般若村誌』(南般若村誌編纂委員会、平成二年)
『柳瀬村史』(柳瀬村史編集委員會、平成十二年)
『栴檀山村史』(栴檀山村史編集部、昭和五十一年)
『五鹿屋校史』(五鹿屋小学校史編集委員会、昭和六十年)
『太田村史』(太田村史編纂委員会、平成三年)
『正得村史料』(西礪波郡正得村役場、昭和七年)
『石堤村誌』(西礪波郡石堤村役場、大正六年)
『百年のあゆみ』(高岡市立石堤小学校、平成四年)
『福岡町史』(福岡町史編纂委員会、昭和四十四年)
『乎乃郷の今昔』(山本善次、昭和六十三年)
『小矢部市史』下巻(小矢部市史編集委員会、昭和四十六年)
『小矢部のいしぶみ』第一集(小矢部市教育委員会、昭和六十一年)、第二集(平成三年)、第四集(平成五年)、第九集(平成九年)、 第十集(平成十年)、第十一集(平成十一年)、第十二集(平成十二年)、第十三集(平成十三年)、第十五集(平成十五年)『水島村史』(水島村史編纂委員会、昭和三十三年)
『荒川郷土史』(荒川郷土史編纂委員会、平成五年)
「幕末・明治の藩校と寺子屋、塾」(青嶋喜良、小矢部市立石動図書館)
『越中二塚史』(越中二塚史刊行委員会、昭和六十年)
『下島郷土誌』(下島郷土誌編纂委員会、平成七年)
『贈従五位五十嵐篤好翁事歴』(東五位村頌徳會)
『中田町誌』(中田町誌編纂委員会、昭和四十三年)
『郷土誌』(中田尋常小学校、大正六年頃)
『戸出史料』(戸出村、大正八年)
『戸出町史』(戸出町史編纂委員会、昭和四十七年)
『戸出町教育史概要』(西礪波郡戸出小学校、昭和二十八年)
『北般若村郷土誌』(棚田与吉編、大正四年、東砺波郡役所)
『吉江山願性寺』(浅香幸雄、昭和五十五年)
『射水郡志』上・下巻(射水郡役所、明治四十二年)
『いみずの神社・寺院』(射水地区広域圏事務組合、平成十二年)
『氷見市史』(氷見市史編修委員会、昭和三十八年)
「氷見市史』(氷見市史編さん委員会、平成十八年)
『氷見教育百年史』(氷見教育百年史編纂委員会、昭和四十七年)
『氷見百年史』(氷見市、昭和四十七年)
『氷見郡志』(氷見郡役所、明治四十二年)
「越中国射水郡姿村、広沢家文書」(深井甚三、広沢睦子『富山大学教育学部紀要A-33』昭和六十年三月)
『應響雑記』上(田中屋権右衛門、刊行平成二年、桂書房)
『近世越登賀史料』第一(深井甚三郎編、平成四年、桂書房)
『平成三・四年度 氷見市寺社調査報告書~浄土真宗本願寺派の部』(氷見市寺社所蔵文化財調査委員会編、氷見市教育委員会刊行)
『図説氷見の歴史・民俗』(氷見市教育委員会、平成十五年)
『氷見の先賢』第一集(「氷見の先賢」編集委員会、昭和五十年)
『氷見の譜』(嶋尾正一編、昭和四十二年)
『氷見町史考』(宮永善二、大正十三年)
『宮永家歴史』(宮永善二、大正十年)
『速川村史』(速川村史刊行委員会、昭和六十二年)
『速川史記』(安達長次郎、昭和三十六年)
『私達の集落 作道』(作道郷土史編纂委員会、平成元年)
『堀越村史』(堀越村役場、昭和十五年)
『しちみの郷土史』(七美郷土史編纂委員会、昭和五十八年)
『片口校誌』(片口小学校創立百周年記念事業実行委員会、昭和四十九年)
『越中の偉人石黒信由』(新湊市博物館、昭和六十三年)
『石黒信由事蹟一斑』(石黒準太郎、明治四十二年)
『算学鉤致』上・下(石黒信由、文政二年、水玉堂)
『算学鉤致解術』翻訳版・復刻版(石黒信由、訳註吉田柳二、平成十二年、桂書房)
『西藤平蔵村誌』(西藤平蔵村誌編纂委員会、平成十六年)


『高岡市史』中・下巻(高岡市、昭和三十八年)
『高岡の町々と屋号』創刊号~第七号(高岡旧町諸商売屋号調査委員会、平成五年より)
「越中義塾規則」(高岡市立中央図書館所蔵)
『高岡史話~庶民の歴史~』(柿谷米次郎編、昭和四十年、高岡史壇会)
『高府安政録』(中条屋六郎衛門、安政六年二月、高岡市立中央図書館所蔵)
『射水通覧』(中条屋六郎衛門、明治十四年八月、再刊高岡市史編纂委員会、昭和三十四年)
『高岡中学・高岡高校百年史』(高岡高等学校百年史編集委員会、平成十一年)
『高岡史料』上巻、下巻(高岡市、明治四十二年)
「高岡史料編纂資料、教育ノ下ノ二下調」(高岡市立中央図書館所蔵)
『高岡詩話』(津島北渓、昭和二年、篠島先生頌徳会印行)
『高岡叢話』(石崎謙)
『立野郷土史』(立野郷土史編纂委員会、平成六年)
『南条~歴史と教育』(南条~歴史と教育編纂委員会、昭和四十九年)
『成美小学校九十年史』(成美小学校史編集委員会、昭和四十七年)
『守山小学校史』(守山小学校、昭和四十八年)
『下関小学校百年のあゆみ』(下関小学校、昭和四十九年)
『ふるさとと学舎の歩み』(能町小学校、平成二年)
『伏木小学校~学校と子どもの90年史~』(伏木小学校、昭和三十八年)
『牧野小学校百年史』(牧野小学校百年史編纂委員会、昭和五十二年)
『高山雑記』(大橋二水、昭和十年)
『古城の社~郷土雑纂』第三編(太田久夫、平成八年)
『二水遺稿』(瀬野喜太郎編、昭和二十四年、高岡女呉分の今社)
『津田家と高峰譲吉』(津田俊治編刊、平成七年)
『高峰譲吉の生涯~アドレナリン発見の真実~』(飯沼和正・菅野富夫、平成十二年、朝日新聞社)
『逸見舫齋傳』(逸見文綱編・発行、大正十三年)
『蘭学、その江戸と北陸~大槻玄沢と長崎浩斎~』(片桐一男、平成五年、思文閣出版)
『鳥山敬二郎行状録』(鳥山保、昭和四十九年)
『算學稽古記』復刻版(林五郎兵衛義清、昭和二十八年)
『大門町史』(大門町、昭和五十六年)
『大門町歴史の道調査報告書』(大門町役場、平成六年)
『わたしたちの浅井』(大門町立浅井小学校、昭和六十三年)
『稲垣示物語』(櫻木成一著・発行、昭和五十年)
『大島村史』(大島村役場、昭和三十八年)
『大島町史』(大島町教育委員会、平成元年)
『大島の教育百年』(大島教育百年史、昭和四十九年)
『小杉町史』(小杉町役場、平成九年)
『寺子屋の歴史と小杉町の寺子屋時代』(小杉町図書館)
『郷土教育資料』№2(郷土教育研究会小杉区域小学校、昭和八年)
『小杉町の先人を偲んで』(島木萬四郎著・発行)
『小杉町のいしぶみ』第一集(小杉町教育委員会、平成四年)、第三集(平成六年)
「吾郷旧記」下巻(小杉町立図書館所蔵)
『越中石川家史』(石川旭丸、昭和五十一年)
『中老田郷土史』(中老田郷土史編集委員会、昭和五十四年)
『下村史』(楠瀬勝監編、昭和六十一年)
『郷土史萩の野之下邑』(下村尋常小学校、昭和八年)
『富山縣中新川郡教育史』(富山縣中新川郡教育会、昭和十五年)
『下新川郡史稿』上巻・下巻(下新川郡役所、明治四十二年)
「安政六年諸商売取調理書上申帳 新川郡」『富山県史』?近世中付録
『追録 宇奈月町史』歴史編(宇奈月町史追録編纂委員会、平成元年)
『宇奈月町の文化財』(宇奈月町教育委員会、昭和四十七年)
『朝日町の歴史』(朝日町教育センター、平成八年)
『宮崎村の歴史と生活~舟と石垣の村~』(宮崎村史編纂委員会、昭和二十九年)
『黒部市教育の百年』(「黒部市教育の百年」編集委員会、昭和四十八年)
『黒部市史』歴史・民俗編(黒部市、平成四年)
『黒部市誌』(黒部市、昭和三十九年)
『黒部市荻生村郷土史』(森田良作、昭和五十五年)
『黒部奥山史談』(湯口康雄、平成四年、桂書房)
『大布施村誌』(大布施村誌編集委員会、昭和六十年)
『東布施村誌』(東布施村誌編纂委員会、平成六年)
『魚津市史』上・下巻(魚津市役所、昭和四十三年)、史料編(昭和五十七年)
『魚津町誌』(魚津町役場、明治四十三年)
『魚津區域郷土讀物』(堀内丈造、昭和十二年、魚津區域国語教育研究部)
『滑川町誌』上巻(滑川町役場、大正二年)
『椎名道三伝』(高橋政二、昭和六十二年)
『入善町誌』(入善町誌編纂委員会、昭和四十二年)
『片貝郷土史』(片貝郷土史編集委員会、平成九年)
『ふるさと再発見~昔在の村落と郷土芸能~』(大山町昔在の村落及び郷土芸能調査保存会、平成六年)
『上市町誌』(上市町誌編纂委員会、昭和四十二年)
『大岩小史』(大岩公民館、平成四年)
『白萩小史』(石原与作、昭和三十年、白萩小学校)
『立山町史』下巻(立山町、昭和五十九年)
『五百石地方郷土史要』(五百石地区小学校長会郷土史研究部、昭和十年)
『越中立山古記録』第三巻(廣瀬誠、平成三年、立山鉄道株式会社)
『筆魂翁久允の生涯』(稗田董平、平成六年、桂書房)
『東中野新史』(石原与作、東中野新史刊行委員会、昭和四十九年)
『舟橋村誌』第2編(舟橋村、昭和三十八年)
『細入村史』通史編(細入村史編纂委員会、昭和六十二年)
『大沢野町誌』下巻(大沢野町誌編纂委員会、昭和三十三年)
『熊野郷土史』(熊野郷土史編纂委員会、平成元年)
『新保村郷土誌』(新保校下自治振興会、昭和六十年)
『蜷川の郷土史』(蜷川校下史編纂委員会、昭和四十三年)
『広田郷土史』(広田校下自治振興会、平成八年)
『神明郷土史』(神明校下富山市合併五〇周年記念誌編集委員会、平成六年)
『新庄町史』(新庄校下自治振興会、昭和五十年)
『水橋町郷土史』第二巻(水橋町役場、昭和四十一年)
『富山縣婦負郡教育史』(婦負郡教育会、昭和四年)
『越中婦負郡志』(婦負郡役所、明治四十二年)
『婦中町史』通史編(婦中町史編纂委員会、平成八年)
『ふるさと碑と拓本』(婦中町教育委員会、平成元年)
『八尾町史』(八尾町史編纂委員会、昭和四十二年)
『続八尾町史』(同右、昭和四十八年)
『八尾史談』(松本駒次郎、昭和二年、松本商店)
『仁歩村郷土誌』(八尾町、平成九年)
『野積村史』(婦負郡野積村役場、昭和八年)
『富山市史』(富山市役所、明治四十二年)、第貳編(大正三年)
『富山市史』上・下巻(富山市、昭和四十二年)
『富山市史』第一巻(富山市史編修委員会、昭和三十五年)
『長岡の郷土史』(長岡の郷土史編纂委員会、昭和四十一年)
『呉羽の里』(呉羽地区自治振興会、昭和五十八年)
『寒江のれきし』(高瀬保、昭和三十四年、寒江小学校)
『富山柳町のれきし』(柳町郷土史編纂委員会、平成八年)
『奥田郷土史』(奥田郷土史編集委員会、平成八年)
『四方郷土史話』(布目久三、昭和五十六年)
『西岩瀬郷土史話』(布目久三、昭和六十二年)
『東岩瀬史料』(東岩瀬郷土史編纂委員会、復刻版昭和五十二年)
『月岡郷土史』(月岡郷土史編集委員会、平成三年)
『東岩瀬郷土史 近代百年のあゆみ』(東岩瀬郷土史編纂会、昭和四十九年)
『富山藩の文化と産業展』(富山市郷土博物館、平成元年、富山市教育委員会)
『富山藩侍帳』(高瀬保編、昭和六十二年、桂書房)
『富山藩士由緒書』(新田二郎編、昭和六十三年、桂書房)
『柳原草堂』(内山弘正、前仏勇、昭和五十七年、新興出版社)
『図翁遠近道印~元禄の絵地図作者』(深井甚三、平成二年、桂書房)
『小西有實・小西有義兩先生建碑記念帖』(小西両先生遺徳碑建設事務所)
『呉陽遺稾』上・下(岡田信之、大正六年、岡田正之発行)
『凡山遺集』乾・坤(杏甲子次郎、明治二十六年、吉川半七発行)
『林忠正とその時代~世紀末のパリと日本芸術~』(木々康子、昭和六十二年、筑摩書房)
『昌平校と藩学』(和島芳男、昭和三十七年、至文堂)
武藤元信「舊藩の學校」『三州史料』第壹冊(加越能史壇会、大正六年)、第貳冊(大正七年)
小松外二「幕末・明治に生きた人物二題」『水橋の歴史』第二集(水橋郷土歴史会)
高瀬重雄「藩儒岡田呉陽の人と学芸」『富山史壇』第五十・五十一合併号(越中史壇会、昭和四十六年八月)
石田与作「富山藩の藩学校」同右
広田寿三郎「明治のはじめ小学校の学校制度が確立するまで~魚津市立大町小学校の場合」『富山史壇』第四十四・四十五合併号(昭和四十四年十二月)
前田英雄「富山県の寺子屋の概況」『富山史壇』第七十八号(越中史壇会、昭和五十七年三月)
大西紀夫「越中の漢詩人~東林とその交遊~」『研修年誌』第十~十七号(富山女子短期大学、昭和五十六年から)
中村彰彦「捜魂記」『諸君!』平成十五年三月号
西尾幹二「江戸のダイナミズム?」『諸君!』平成十五年四月号
『加賀藩・富山藩の天文暦学』(富山市科学文化センター、昭和六十二年)
『続和算を教え歩いた男』(佐藤健一、東洋書店、平成十五年)
『ふるさとの心 宮永家譜誌』(小矢部市教育委員会、昭和五十九年)
『筏井四郎右衛門と自然登水車~わが国江戸時代文化年間の永久機関』(正橋剛二、平成三年)
『富山藩十村嶋倉家文書』(高瀬保編、昭和六十年)
『富山縣統計書』(富山県、明治二十三年~四十四年)
「和田一郎収集史料」(高岡市史編纂室所蔵)
「佐渡家文書」(高岡市立中央図書館所蔵)
渡辺誠「石黒伸由考案の磁石盤の特徴とバーニア目盛りについて」『富山史壇』第百四十号(平成十五年三月)
楠瀬勝「江戸時代末期の郷紳の学問と技術の文化的・社会的意義~石黒信由遺品等高樹文庫資料の総合的研究」『富山大学人文学部紀要』第五号(富山大学人文学部、昭和五十六年)
水間直二「吉田鉄郎と五島寛平」『近代史研究』第十八号(富山近代史研究会、平成七年)
正橋剛二「各地医学塾門人帳中の越中人」『近代史研究』第十八号(富山近代史研究会、平成七年)
正橋剛二「続・各地医学塾門人帳中の越中人」『近代史研究』第二十号(平成九年) 
正橋剛二「江戸後期高岡見在蘭語関係医事資料について」『近代史研究』第二十五号(平成十四年) 
正橋剛二「長崎敬明の法橋允許(印可)状をめぐって」『醫譚』第六十八号(平成七年五月)
正橋剛二「『長崎蓬洲の年譜』について」『醫譚』第六十九号(平成七年十一月)
正橋剛二「長崎浩斎稿『未曽欺録』について」『醫譚』第七十七号(平成十三年七月)
正橋剛二「適塾門人佐渡賢隆と『蘭訳千字文』」『適塾』第三十四号(平成十三年十二月)
舘秀夫「高岡の優れた先人」『高岡市医師会記念誌』(高岡市医師会、昭和五十九年)
寺畑喜朔「佐渡家の阿波加脩造について」『北陸医史』(平成三年)
寺畑喜朔「長崎家六代言定に関する資料」『醫譚』第八十三号(日本医師学会関西支部、平成六年五月)
太田久夫「高峰家と高峰譲吉」『北陸医師』第十八巻第一号(平成九年)
津田進三「杉田玄白門人高峰幸庵について」『日本医師学雑誌』第四十一巻第二号(平成七年五月)
橋場吉盛「木町の稲荷信仰と大橋家の歴史」(平成四年)
※その他、本文中に適宜記載。



リンク集
 越中国の歴史、講演記録
 藩政末期、富山藩と加賀藩の歴史
 藩政末期、越中国の海防
 明治初年の全国軍事史

 どうでしたか。藩政期や明治の富山県を担った人材は、こうした教育者の熱心な努力により生み出されたのです。先人たちの偉大な業績を、現代の私たちは再認識し、国学や漢学の教養と共に今後へ引き継いでいく責務があります。 
 皆さんの中に興味を持った方には、更に個々の人士についてお調べになることをお薦めします。そうすれば人となりや懸ける思い等がひしひしと伝わってくることでしょう。



明治維新後の教育行政

2006-04-08 19:01:58 | 藩政期越中国の教育史
文部省設置と学校設立 慶応三年十二月九日朝廷は将軍徳川慶喜の辞職を許し、王政復古が宣言された。翌年一月に鳥羽伏見で旧幕軍は敗れ、ここに約七百年続いた武家支配、徳川家康以来約二百六十年続いた幕藩体制は完全に倒壊した。
 三月五箇条の御誓文で今後の方針が指し示された。直ちに京の学習院が再興され、皇学所と漢学所を創設し、「国体を弁明し名文を正し」「漢土西洋の学を以て共に皇道の翼」となることが宣せられた。 
 明治二年東京の昌平黌を大学と改称して全国の教育行政を統べさせると共に、皇漢両学所を廃した。更に開成所を大学南校、医学所を大学東校に改め、京都に小学校を設けた。府県には「府県施政順序規則」を頒布して小学校の設置を命じ、読書算で手紙や計算の知識を教え、講談で忠孝の思想を与えるべきことを説いた。そこで全国に暫定的な変則学校が設立されていく。その多くは寺子屋等からの移行であった。
 三年二月大学規則と中小学校規則を発令、東京に小学校六校が設けられた。
翌年七月大学を廃して文部省を設置し、廃藩置県に伴い府県の学校も統括下に入れる。初代文部卿には大木喬任が就任、五年八月太政官布告で学制が頒布された。
以後フランスの制度を範に、本格的な校舎・教科書・学習計画を持った学校が作られていく。
一方寺子屋は激減し、過渡期の措置として小学私塾の扱いで存続が認められるが、学制に則ることを必須とした。やがてわずかな私塾や未就学者のための塾を除き、姿を消していくことになる。

寺子屋・私塾の統制
 四年十一月の布告で全国各府県の学校を統括下に置いた文部省は、翌五年三月十四日の文部省第六号付達で
「但府県学之外皆私塾トス。唯一家或ハ二家迄子弟ヲ教候者ハ家塾ニ属シ候間私学之数ニ算入セス」
と私塾を定義付けた。学制案は六月の太政官裁定を経て、八月三日文部省第十三号付達により全国へ頒布されると共に、太政官布告第二百十四号「学事奨励に関する被仰出書」で念を押している。
その一方で私塾に対しても統制に乗り出す。九月二日文部省付達第二十四号で「第四十三章ノ末左ノ但書ヲ加フ。但家塾ハ地方官ニテ之ヲ聞キ届毎年二月八日取集メテ督学局ニ出スヲ法トス」と規定する。これに則り、十月二日文部省付達第三十号で私学・私塾の開学を許可制とした。

新川県の場合 富山藩では明治維新以後も生徒の留学を継続させた。大学南校への留学生は士族入江鷹之助、千秋一郎、林志藝二、高畠里美、佐々間多、卒の磯部四郎(大参事林太仲の実弟)である。
西京(京都)への遊学生は士族田尻虎雄と高澤誠で、獨逸学を専攻した。
自費留学生は士族富田快山と平民庶人卒二十名がいる。

 廃藩置県以後、富山県は七尾県の一部を併せて、五年九月二十五日新川県に改組される。教育機関として小学校が設立され、中学校は正則中学校である明治十八年の富山県中学校創立まで変則中学校(文部省の教則で授業する学校)であった。
六年に井波で私立変則中学校の設置が認められ、十年に致遠中学校が富山町に設立される(生徒減少で13年2月休校)。その他に、商業教育のため十八年私立富山英語学校(富山市、英語・簿記等)、十九年鳳崗学校(高岡市、物理・簿記・算術)、二十三年富山簿記学校(富山市)、二十四年北陸簿記学校(富山市)が設けられ、私立英学会が富山、高岡伏木、滑川にできている。

 小学校に関し、新川県は六年一月学制実施の告諭、七月学区・学校の設置計画策定、九月小学校生徒心得を受け、十二月に新川県小学教則を制定する。
しかし就学率は寧ろ藩政時代より低下したようである。六年の人口六十二万九千四百五十四人の内学齢は十万三百三十五人であったが、就学者は二万三千九年四月四百一人であり、就学率は二三・三二%(全国二八%)である。
翌年は就学者が二万七千九百八十六人で、就学率が二十七%(全国三十二%)、内訳は男二万四千二百八十二人・就学率四十六%(全国四十六%)であるが、女三千七百四人・就学率七%(全国十七%)にすぎない。理由の一つには授業料を徴収すると発表したことにある。
実際は八年で県内三百二十二校中徴収したのは四十四校のみで、あとは寄付金で成り立っていたのであるが、寺子屋では特に定めを設けなかったのであるから、印象は良くない。
寺子屋から小学校に移行した所ではそれほどの心理的抵抗はなかったであろうが、改めて設けた場合には師弟関係が薄いため出席率も低くなるであろう。また半年や一年で来なくなる地区も多かったという。

 六歳から下八~三級までの三年間は義務、下二~上五級の三年間は任意であり、上四~一級は四年の夜学であった。一月と夏休みの後に各々入学期を設け、年齢が過ぎた者も八級から始めさせた。六月と十二月に進級試験があった。なお転学は認められなかった。 

 文部省は全国を八大学区に分け、一大学区は三十二中学区とし、新川県は五中学区に分かれている。一中学区には二百十小学区があった。十二年九月の教育令でこのような学区制が廃止され、町村単一または連合で設置することになった。
就学年齢は六歳から十四歳で、その内義務を十六ヵ月としたが、十三年十二月の改訂では義務三年に戻す。十四年五月三等に分けて初等と中等が各三年・高等二年で、義務は初等のみとする。
学区と行政区画にズレがあったが、十七年頃には是正される。
十九年四月森有礼文部大臣は小学校令を布令し、尋常・高等各四年に分けて義務を尋常四学期(現在の学年)と定める。これで初等教育の形はほぼ完成をみた。

●学制の変遷
明治五年八月文部省(正則) 
 下等六歳~九歳四年 
 上等十歳~十三歳四年 
六年新川県学事取調書 
 実態に合わせ正則(町用)ではなく変則(村用)を採用する。 
九年四月新川県学規 
 下等小学校をそのままにし、上等小学校を各一大区に一校、別に男児の就学困難者のために季節制の夜学を設けた。十二年一月石川県小学科準則 
 簡易速成科 三年、六等級、 
 一日三時間 
 下等小学 四年、八等級、 
 一日三・四時間 
 上等小学 四年、八等級、 
 一日五時間 
●学制頒布に基づく小学校設立の告諭
明治六年一月
 明治六年一月学制二基キ管内毎大区二一小学校ヲ設立セ
ンコトヲ告諭ス其略二日ク今般学制ヲ発行シ普ク子弟ヲシテ学術ヲ勧励セシメラル、所以ノモノハ各自其天賦ノ知識ヲ発舒シ才芸ヲ長進シ大ハ以テ天下有用ノ器トナシ小ハ以テ一家ノ営業ヲ盛昌ニシ将来人生ノ幸福ヲ全フセシメ給ハンカ為ナリ是ヲ以テ全国ヲ分チ八大学区トシ一大学区ヲ分チ三十二中学区トシ一中学区ヲ分チニ百十小学区即チ全国ヲ通シテ五万三千七百六十小学校トス由是観之本県ノ如キ亦大凡中学十校小学二千百校ヲ設クヘキノ比例ナリ然シテ県下今日ノ勢二就テ之ヲ論スレハ則其十分ノ一モ猶旦置クヘキコト難キモノアリ雖然教育ハ土地開化ノ一大要事ニシテ須臾モ忽セニスヘカラサレハ木県其実際ノ情勢ヲ斟酌シ先ツ学制大凡百分ノ一即チ毎大区ニ一小学校ヲ置ントス其レ区戸長等管内人民ト協同商量シ学校ヲ設クヘキ至便ノ地ヲ撰ミ以テ開申スヘシト尋テ各区々戸長等ト謀リ小学校ヲ置クヘキノ地ヲ定メ未タ学舎アラサルノ地ハ仮ニ寺院等ヲ貸リ以テ学校二充ツ其地名ヲ左ニ開列ス
第一大区 第二大区 入膳村
第三犬区 生地村 第五大区 水橋町
第六大区 上市町 第七大区 東岩瀬
第八大区 下大久保村 第十一大区 四方町
第十二大区 愛宕町 第十三大区 八尾町
第十四大区 下村 第十五大区 小杉新村
第十六犬区 吉久新村 第十七大区 湶分村
第十八大区 高岡町 第二十大区 氷見町
第廿一大区 加納村 第廿二大区 戸出村
第廿三大区 福岡町 第廿四大区 今石動町
第廿五大区 杉木新町 第甘六大区 井波町
第廿七大区 福光村
〔石川県史料九十旧新川県誌稿三 国立公文書館内閣文庫蔵〕
●明治10年就学率(「文部省年報」)
富山76.63%
新湊70.48%
高岡63.45%
井波62.30%
福光56.72%
氷見54.74%
東岩瀬49.13%
城端46.62%
滑川44.02%
泊39.98%
魚津32.76%
福野31.47%
今石動23.11%
平均50.03%